応援コメント

82 開高健『日本人の遊び場』⑥」への応援コメント

  • これ、どうなんですかね?
    63年というとオリンピックでしたっけ——調べたら64年か。ちょうどテレビが普及し始める頃、そこらへんも関係しているような。いうてもプロレスも野球も、直接見に行ける人ばかりでもないですし、テレビもまだ各家庭に一台というのはやや尚早なタイミングだし、開高健も広告人だし、ってあたりが関係しているのでは?
    これからはテレビの時代だ的な。
    でないと、映画貶めすぎな気がするんだよなあ……🤔

    作者からの返信

    『昭和・平成家庭史年表1926-1995』眺めながら書いてますけど、1963年のテレビはNHKの大河ドラマが始まったり、鉄腕アトムの放映が始まったり、テレビも「始まった」ところな感じですね。

    あと、1963年は『武士道残酷物語』がベルリン映画祭でグランプリとってまして、なんで開高健、そんなに邦画サゲるかなあ、と、ますます疑問が深まったのでした。

    テレビ業界の方が勢いづいてるので、その分映画に辛辣になっていたのかしら。

    すぐに結論出せませんが、テレビは関係ありそうですね。

    追記:上の資料に1962年のテレビ普及率がでていて、48.5%だそうです。NHKの受信数が1,000万6,952。
    1970年のNHK契約数が2,200万突破。
    テレビの勢いあったのは間違いないかんじです。

    で、『巨人と玩具』の増村保造監督での映画化が1958年なんですよね。
    その時に気に入らないことでもあったのかな(汗)

    追記2:あとですね、この『日本人の遊び場』って、全体的にわりと都会目線なので、そのへんもなんかありそうです。

    編集済