67 カバヤ文庫のはなし。⑬
カバヤ文庫を立ち上げた原敏。大正15年(1926年)裕福な家庭で上海に生まれ育ち、昭和12年に帰国、学校の先生を夢見て昭和19年同志社経済専門学校入学、20年に同志社大学法学部神学科の選科生となりました。
終戦後昭和22年、同志社を中退して「夕刊岡山」の記者になり、労組にいた恩人、佐藤一郎が会社を追放された一年後の昭和26年に退社、映画興行の福武興行へ入ります。そうしてのち、カバヤから原に声をかけたのが佐藤一郎、という縁でした。
原はカバヤに『カバヤ文庫』の誕生からひと段落つく昭和33年まで勤めました。
〈「カバヤ文庫」の時代? 今から思えばまさに青春の夢のような時代でしたねえ。〉
このように回想しています。
『おまけの名作』はここから、『カバヤ文庫』にまつわる事柄をひとつずつ解き明かしていきます。
●文庫のキャッチフレーズ
『カバヤ文庫』には文学者などの「はしがき」が寄せられていますが、これらはカバヤ側の原らが準備した文章に目通ししてもらい、署名をもらったものだということです。
『カバヤ文庫』第一巻第一号『シンデレラひめ』の、京都大学教授で仏文学者の伊吹武彦の署名入りの「はしがき」を引用します。
〈よい
この
『カバヤ文庫』は教師や父母に受け入れられ、カバヤキャラメルを良いキャラメルのイメージに変えた、と、のちに原は語ったそうです。
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