第29話 我ら精霊密使

森の外に細い光がちらついていた。

黒い影が跳ねるように近づいている。先ほどの激しい雨で既に炎は消えかかり、あちこちに白い煙が立ち登っていた。


「大丈夫か、坊や」

影が飛びかかってきた。清水探偵だ。少し遅れて先生もやってきた。

「ええ、でもどうしてここに」

つたが教えてくれたのよ。一枚の葉が、突然、ブザーのような音を立てて振動しはじめたの。その直後、ひかりちゃんが変身しながら飛び出していった。これは光一くんの身に何か起こったのに違いない。そう思って、蔦の葉の方角を手掛かりにやってきたら、青沼の森に雷が落ちたのが見えたの」

「で、坊や、お嬢ちゃんは」

「・・」

光一は目の前の剣を見つめた。


「そう・・納まるべき所に帰ったのね」

先生は地面から剣を引き抜いた。

たぶん、ひかりのために準備をしてきたのだろう、腕にかけていたコートで剣を包み、鈍く光る玉をでた。優しい指の動きは、まるで、ひかり本人を撫でているようだった。光一の頬に熱いものが流れた。


「僕が彼女に助けを求めたんだ。それでこうなってしまった」

「あなたは悪いことをしたわけではないわ。ひかりちゃんは自分の意志でここに駆けつけた。そして想いを遂げたのよ」

先生は強くいった。


なぐさめなんていらない!』

光一は大声で叫びたかった。しかし、それは先生の思いやりを、そして何よりも、ひかりの気持ちを投げ捨ててしまうことだった。


『せめて・・ せめて・・ さよならだけは・・言いたかった』



「しかしだ」

清水探偵が低く言った。

「なぜに坊やの左手は元に戻らないのかね」

確かに光一の左手には、以前と変わらずに窪みが残っていた。でも、それに何の意味があるというのだろう。


「お嬢ちゃんが剣のつかに戻った今、坊やの手の窪みがある理由はなくなったはずだが・・

思い違いなら恐縮だが、今一度、お嬢ちゃんを呼んでみてはどうだろう。本当に彼女がその剣に納まってしまったのなら、返事はないはずだが」

「まさか」

光一は一度、自分の頬を強く叩いた。そして深く息を吸うと、左手を剣の柄の前に突き出した。

いかずちの精霊よ、出でよ、我が前に!」


バツッ!

言葉が終わると同時に、左手と柄との間に激しい火花が飛んだ。

先生が小さな悲鳴をあげ、抱えていた剣が宙に飛んだ。そのまま剣は地面には落ちず、コートを巻いたまま宙に浮かんだ。


「ほう、これは」

感嘆の声を漏らす清水探偵の斜め上方、宙に静止していたコートの一部に穴が開き、炎が燃え立った。突き出した柄が、炉に入れられた灼熱の鉄のように朱色に輝いている。

やがて虎目模様の玉が、ゆっくりと柄から離れはじめた。柄の溝は、内側から打ち出されているかのように盛り上がり、ふいに剣は地面に落ちた。光一は突き出していた左手を降ろした。


宙に浮かんだままの玉の周囲には、霧のような白い光が集まり始めた。徐々に人の形になっていく。

息をとめて見守っていた光一の前には、いつしか、輝くオーラをまとった少女が立っていた。ひかりだ。

「ああ・・・・」

光一の気持ちが、言葉の代わりに、長く熱い息となって流れ出た。


「光一殿、あなたは狭き剣の座より、私を解放して下さった。かの座に適合したのは遥か昔の荒れたる魂のみ。そして、今の私を置ける場所はただ一つ、歩みを共にして成長した豊かなる玉の座」

言いながらひかりは、光一の左手にそっと触れた。



剣の化身の大蛇が、ひかりの雷光に倒れた理由はここにあった。

今の彼女の雷光には、人への恨みを流し去った後の厚い心が宿っていたのだ。それは古い剣が受け入れられるエネルギーを超えていたのだ。


光一は女神のようなひかりに目をしばたきながら、後ろを向いた。左手に刻まれた窪みは、わずかながら深く拡がっているように見えた。

「玉の座の持ち主よ・・」ひかりが後ろから言葉を投げた。

「改めて、我が願いを申しまする。荒れたる過去の魂を流し去った私が、なおも霊力を持ちて、この世に在ることをお許しください。私は皆様と一緒に日々を過ごしていきたいのです」


これがひかりの本心だった。

彼女は納まるべき場所があるのに、この世に残りたい気持ちがあり、心が引き裂かれて苦しんでいたのだ。ひかりは玉の座の持ち主に「この世界に残っていていいよ」という許可を求め続けていたのだ。


「いや、あのぅ」

光一はすぐにも答えたかった。しかし、ひかりの申し出にふさわしい格式の高い言葉が見つからず、まごついてしまった。


「坊や、早くお嬢ちゃんに返事をせんかい」

清水探偵が足に噛みついた。


光一は目をつぶりながら振り返った。

「それがひかりちゃんの望みなら、ぜひにそのように。もし、君が望まなくても、僕は・・僕は、ずっと今の君と一緒に・・いたい。

・・それと・・これからは僕のことを、光一殿と呼ぶことはやめてほしい。たとえ僕に玉の座があっても、君は自由なのだから」

「光一殿、ありがとうございまする。しかし・・精霊の身である私が、あなたを呼ぶにはやはり・・」


「んーーいい場面。もうちっと見ていたいが、この辺で幕引きのようだ」

答えを躊躇しているひかりの横で清水探偵が嘆いた。


「おーいみんな、そこにいるの」

森の入口の方から、泣きそうな声が聞こえてきた。小さな懐中電灯の光が揺れている。その後方には赤く点滅する光が見えている。


「勉君よ。季節外れの雷を見てやってきたんだわ。やっぱり、お仲間さんね」

先生の声が弾んだ。

「そうだよ、ひかりちゃん。僕らは仲間なんだ」

目を開いた光一の前で、ひかりはこっくりとうなずいた。


「ひゃあ、みんなここにいたんだ。うわっ」

顔をのぞかせた勉の声が凍りついた。全裸のひかりに気付いたのだ。


「グフフ」

清水探偵が唸るように笑った。

「仲間が揃ったな。なんといったかな。そう、精霊密使だ。

お祝いをしたいところだが、小火ぼやのせいで消防隊も来てしまった。残念ながら、今夜はこれで解散だ」

「これは私が預かっておくわね」

先生は青蛇の剣を地面から拾い上げた。


バッシャーン!

突然、沼に水しぶきがあがった。

「まずい、父さんを忘れていた」

「えっ、お父さん?どうかしたの」

「うん、でも、消防隊の人が来てるから大丈夫。先生たちは面倒なことになる前にここを離れて」

光一は勉から懐中電灯を借り、ひかりに向き直った。

「ひかりちゃん、お願いだ。みんなが見つからないように、思い切り派手に空を飛び回って」


「わかったわ、光一・・くん」

恥ずかしそうな声とともに、恐ろしくも美しい鳥に変化したひかりは、空に舞い上がっていった。


「じゃあ、また明日」

「おやすみ」

先生たちの姿が木々の向こうに消えた。


夜空に稲妻が走った。

まるで闇の彼方から無数の神の使いが降りてくるようだった。

耳をつんざく轟音が響くなか、光一は走り寄る消防隊員に懐中電灯を振り回した。




                                    了


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精霊密使の事件簿:ボクが恋した雷の精霊の姫さま @tnozu

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