第23話 精霊の心

「光一殿、どこを見ておられる?」

振り返ると、にこやかなひかりの顔があった。フロアから取ってきたのか、先程とは別の白衣を羽折っている。視界の端に、横たわっている塾長の姿が映った。


「はい、これは男子おのこの仕事」

そう言って、ひかりは大きめのドライバーを手渡した。光一はどこか距離があった彼女をごく近くに感じた。

「ようし、がんばったる」

威勢の良い返事をして神棚に向かうと、その周囲のねじを回し、ポリカーボネート板を取り外した。


激しい雷光と同室にありながら、パソコンに損傷は見られなかった。モニターは灰色のままに電源が入っている。

と、画面がちらついて二つの目玉が現れ、光一を凝視した。

「いい加減に消えろ!」

先程の興奮が残っていて、光一はドライバーの柄でキーボードを激しく叩いた。キーの幾つかがめり込んで割れたが、何も起こらない。目玉は光一を見つめたままだった。


「これ、壊れているの?」

肩で息をしながら聞くと、ひかりは首を振った。

「彼はそこにおり、考えています。少し待ってみては」

光一が視線を戻すと、不意に目玉が消え、文字が現れた。


・・データ検索中、しばらくおまちください、残り時間、五分三十九秒・・


いったい何が起こっているのだろう、光一もひかりも見当もつかなかった。


・・残り時間、五分三十秒・・


時間はじれったいほどに、ゆっくりと進んだ。

ひかりは光一と肩が擦れ合うように並んでモニターを見つめている。静まり返った室内に聞こえるのは、パソコンの駆動音と二人の息遣いだけである。

「あの・・」

同年齢?の女子と二人きり、急に居心地が悪くなった光一は用もなく口を開いたが、言葉が続かなかった。


「光一殿・・」

ひかりが静かにつぶやいた。

「私は二度もあなたに救われた。地底霊からの解放も含めれば三回も」

そっと首を曲げて光一を見つめている。

「そんな。僕こそ君に助けられっぱなしだ」

光一は黒い瞳に心を奪われそうになりながら、慌てて首を振った。

「それに信二の病院で、君を救ったのは僕じゃなくて、サイダという人だよ」

「そう。しかし、あなたに救われたのも事実。私はお聞きしたい。私とはいったい何者なのでありましょうか。三日月谷の姫と名乗っていた者の亡霊か、雷の精霊か、それとも他の何者か?」

のぞきこむ瞳は真剣だった。冗談で切り抜けられる場面ではない。

「君が何者かだなんて聞かれても・・」

光一は苦し紛れに言葉を紡ぎ始めた。

「君って不思議で怖いし、でもいつも側にいてくれて、助けてくれるし、なんたって、すごく可愛いし、気になるし」

話している内に、おかしなことを言い始めた。慌てて赤く腫れあがった指を突ついた。

「痛っ、つまり、いろいろあるけど、君は僕の前にいる、ひかりちゃん。他の何者でもないよ」


「かような私に、過分なお言葉。ありがとうございまする、光一殿」

じっと見つめていた視線を外し、ひかりは静かにうなずいた。

「いや、そんな」

何と言ってよいのか、どぎまぎしていると、引きつるような笑い声が聞こえてきた。


振り返ると、砕けたドアの向こう側に二つの顔が見えた。次いで毛むくじゃらの塊が飛びついてきた。

「坊やたち、盛り上がりすぎだ」

「清水探偵!大丈夫なの?」

光一はグショグショの犬の毛並みを撫で回した。

「わしの野生の生命力を知らんかったか。でも、肩に触るのは勘弁してくれ」

そういって清水探偵は、前足を引きずりながら、下手なダンスをした。

「ここまで、先生に抱かれてきたのは、なんだったんですか?」

勉がメガネをずり上げた。


「二人とも無事でよかったわ」

先生がそっと進み、光一とひかりの頬にキスをした。

「さて、あんまりのんびりしてはおれないようだ。サイレンの音が聞こえる。たぶん道端で目覚めた警官が、応援を要請したんだろう。坊や、床に伸びている塾長はさておいて、精霊は?」

パソコンをのぞきこんだ清水探偵が振り返った。


「まだ、そこにいるらしいんだ」

モニターは相変わらずだった。ただ表示されている文字が、検索中から削除中に変わっていた。


・・データ削除中、しばらくおまちください、残り時間十八秒・・


「キーボードが壊れてる。これ、光一くんがやったんでしょう」

「いたずら者の精霊に、お仕置きをね」

光一は勉にウィンクした。首を傾げた勉だったが、その動きが止まった。


データ削除のカウントを終えたパソコンのモニターには、あの目玉が映り、黒い影が伸びていたのだ。ただし、それは蝋燭の炎のように小さかった。


・・人間よ・・

低い声が漏れた。目玉は光一を見つめている。


・・大切なものをなくす痛み。ワタシはあらゆるデータのなかにそれを探した・・

・・しかし、見つからなかった。ならば、蓄積されたデータを切り捨てれば得られるものかと判断し、全てのデータを削除した。あとはオマエと話すために必要なデータを残すのみだ。だが、痛みはまだ得られない・・


光一は肩すかしを喰らったようだった。

「へっ、何でそんなことするの。おかしくなったの?」


・・たしかにおかしなことだ。だが、オマエが見せた行動の方がおかしい。そのせいで、ワタシは愚かなことをしている・・


清水探偵が鼻先で光一の横腹を突ついた。

「坊やがやったことが、パソコンに取り憑いてウイルスになったようだ。いったい何をしでかしたのかね?」

光一がしたこと。それはひかりを守ろうとして、指にペーパーウエイトを打ち付けたことだ。しかし、それをここでは言えなかった。口に指を当て、シーといってごまかした。


・・ワタシは聞く、いかにすれば、大切なものをなくす痛みを得ることができるのか・・


「それは、電力を切ることだよ。君にとって一番辛いのは電力がなくなることでしょう。きっとすごく痛いと思うよ」

勉が影に話しかけた。が、反応はなかった。モニターの目玉は、光一しか見ていない。


「精霊には、光一君と話をするためのデータしか残っていないのよ。それに殆どのデータを削除してもだめだったということは、たとえ電力を切っても、精霊が求めるものは得られないのではないかしら。それで私たちの前から、姿を消してしまうかも知れない」

先生がいった。

「姿を消すって、存在もなくなるというですか?」

「たとえ姿を消しても、世に引きずられるものを残せば、精霊はいなくなることはありませぬ。姿や取り憑き先を変えてあり続ける」

勉の疑問にひかりが静かに答えた。


「坊や、精霊にメッセージを伝えるんだ。君にだけ開いている精霊の耳が閉じてしまうまで時間がない!」

清水探偵が唸った。

パソコンに目を戻すと、モニターの目玉の画像が乱れ始めていた。おそらくキーボードを打ち付けたせいだろう。

「しかし・・」

光一は困った。大切なものを失う痛みなど、どうすればパソコンに教えられるのだろうか。

「光一殿、あなたの心を」

ひかりが応援した。

「そう、ひかりちゃん、心だ。先生、彼には心があるって言っていたよね、だから、こだわりがあるって」

「ええ、そうよ」

先生は大きくうなずいた。


光一は点滅しはじめた目玉に向かった。

「君の体は埃だらけだ。土だってついてる。良くないことに決まっているのに、掃除もさせなければ、引っ越しもしない。きっと何か大切なものがそこにあるからだよ。それを、よく考えてみて」


・・確かにワタシは、この汚れた機材から離れることを拒否し続けた。しかし、何故なのかはわからない。ここに、大切なものがあるというのなら、それはいったい何なのだ・・


「それは、君にしか分からないよ。別れる直前に急に思い付いたりするんだ。それがわかれば、いろんな気持ちがやってくる。もちろん痛みだって、それに喜びだって」


・・オマエはそれを保証するか・・


「うん、君には心があるのだから」

光一はうなずいた。


同時にヒュンと音がして画面から目玉が消えた。黒い影もなくなっている。


「あれ、消えちゃった」

勉がいった。あまりにも呆気あっけない幕切れに光一は不安になった。

「光一殿、精霊はまだそこにおります。しかし、穏やかな眠りにつきました。私には分かります」

パソコンをじっと見つめていたひかりが顔を上げて微笑んだ。


「眠ったとな。でも、穏やかならいいってもんだ。後で家の蔦を見てみよう。そうすれば我々にも精霊の様子がわかる」

清水探偵と先生がうなずいた。


「ねえ、精霊の眠るこのパソコン、ここには置いておけないよね」

「ええ、もちろんよ」

光一は丁寧にパソコンの蓋を閉じ、神棚の後ろのコンセントとネット回線ケーブルを抜いた。脇に抱えても重くはない。精霊の眠る揺りかご。どんな宝物があるというのだろうか・・


「君たち、わしはどうなるんだね」

塾長が焦点の定まらない目をして起き上がり、一同を見回した。


「現実にまで伸ばした欲の夢を刈り取るのは、現実に生きる自分自身だ」

清水探偵が厳しく言った。


「犬がしゃべったのか。では、わしはまだ夢を見ているというわけか」

塾長は再び目をつぶった。


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