第24話 クリスタルリーフ

「ヒュー、これはまた豪勢なお出迎えだ」

清水探偵が長い舌を丸め、器用に口笛を吹いた。


塾の玄関を出たところ、大通りに面した駐車場には、五十人あまりの機動隊員が盾を携えて集結していた。大通りには機動隊のバスの他に、十台以上のパトカーが並んでいる。交通規制をしているのか、他の車両は走っていない。どこか上空からはヘリコプターが接近する音さえ響いている。

まるで発砲武器を持った凶悪犯グループを制圧する時のような物々しさである。ポーチに出てきた光一らを見た隊員はいっせいに、盾の後ろに身を隠した。


「君たちはネット回線を通じて、世界的な政治、経済、平和上の混乱を引き起こした。それに超高圧電流を放つ特殊武器を所持しているとの連絡も受けている。そこに止まりたまえ」

中央に立つ隊長とおぼしき警察官がハンドマイクを片手に話した。


「さっきの警官も混じっている。それにネットで世界的混乱を引き起こした犯人にもなってる。今度こそまずいかも」

勉がメガネの枠を上下に揺らした。

「大丈夫だよ。ねえ、清水探偵?」

「クーン、ウン」 

光一の問いかけに下手な鳴き声で返事をした清水探偵は、いきなり前脚を曲げて、よろけるように転んだ。


「警察の代表の方、今一度、中央本部にお問い合わせを・・」

先生の声が、夕日のさしこむ駐車場にりんと響いた。

「我々に関する犯罪の情報が、実際に存在するか否かをお確かめ下さい」


それから一分も経たない内、ハンドマイクをもった警察官が駆け寄ってきた。ひどく恐縮した様子で頬を痙攣させている。

「コンピューターが正常に戻り、全てのデータが訂正されました。ただ今問い合わせた所、皆さんへの容疑は、捏造された物であることが判明しました。誠に申し訳ない」

「いえ、そういうこともありますわ。特殊武器の所持については、お調べにならなくてもよろしいですか」

一同をちらりと見た警察官は、光一の抱えるパソコンに一瞬、目を留めた。だがすぐ隣で、苦しそうに息をしながら倒れている清水探偵を見て、何も言えなくなってしまったようだ。

「どうぞ、結構です」

短く言い、深々と頭を下げた。


「かわいそうに、あんなに警棒で打たれるなんて・・」

先生は警察への釘差しの言葉を言って、清水探偵を抱き上げた。

「早く手当てをしないと、ワンちゃんの命に関わりますわ。急ぎましょう」

だぶだぶの白衣姿のひかりが、綺麗な言葉で演出を高めた。


光一たちは、挙手の敬礼をする機動隊員たちを後ろに、車を停めてある里山に向かった。ちょうど到着した三機のヘリコプターが、恥ずかしそうな爆音を残してUターンし、東の空に帰っていった。


先生の家についた一行は、当初の予定を変え、蔦の部屋ではなく、暖炉のある部屋に直行した。

理由は清水探偵である。

途中の車内では上機嫌に歌をうたっていたが、家に着いた途端、急に黙ってしまった。先生が呼びかけたが返事はない。体を調べると、前足の付け根がひどく腫れあがっていた。


「もう、いつもこれよ。ふざけていると思ったら、大怪我をしていたりね」

先生は抱きかかえていた灰色の体を、優しくソファーに横たえた。

たちまち暖炉に炎が燃え上がり、女性の形になった。ソファーに伸びてきて、清水探偵の体を撫で始めた。

「炎の精霊は、傷を癒すための生命力も活性化してくれるのよ」

「知ってるよ、経験者だもの」

話している間に、揺らめく炎の女性はもう一人増えた。床で胡坐あぐらをかいている光一の方に伸びてくる。

「精霊が寄ってくるということは、かなり疲れているのね。指も怪我しているしね」


「先生たちは平気なの、雷で吹っ飛んだでしょう」

「ええ平気よ。炎の精霊の近くにいるだけで、軽い打ち身ぐらいなら治ってしまうし、十分に元気をもらえるわ」

「そういうのもあって先生はいつも若々しいんですね。母さんが秘密を知りたいっていっていたけど、これは言えないや」

どこで拝借したのやら、虫メガネでパソコンをのぞき込んでいる勉がぼそりといった。


「何いってんだよ。先生は僕らの母さんよりずっと若いんだぞ。歳は教えてくれないけど」

「確かにそうだね。でも歳はこの前に聞いたよ。八年前は高校三年生だったって」

勉はパソコンをのぞき込んだまま、振り返りもせずにいった。


それから三十分も経った頃、光一の指の腫れはほとんど引いていた。体のあちこちで感じていた痛みは完全に消えている。二手に分かれていた炎の精霊は、揺らめきながら暖炉の中に消えた。

「やっぱり、なでなでは最高だな」

清水探偵があくびをしながら、そろりと立ち上がった。足の付け根は普段どおりの太さに戻っている。

「見ていろよ。逆立ち、人間だった頃はうまかったものだけどな」

トンッと勢いをつけて前足だけで立ち上がったが、ばたりと倒れた。


「父さん、いい加減にしてよ。でも、もう心配はないみたいね」

「ああそうとも。さて、待たせてしまった。我らの情報センターに行こう。既に蔦の変化は起こってしまったかも知れないが・・。勉くん、一応、パソコンを玄関横の蔦におおわれていない出窓に置いてきてくれるかの」


「ちょっ、ちょっと」

勉が虫メガネを握った手をあげて待ったをかけた。

「なんだい、何か発見したのかい」

光一が冗談げに話しかけた時、

「いけませぬ!」

ひかりの鋭い声が響いた。今までソファーに座って目を閉じていたのに、はっと思う間にも、例の高速移動で勉の横に立ち、その片手を掴んだ。もう一方の手に握っていた虫メガネが鈍い音をたてて床に転がった。


「どうしたの、ひかりちゃん」

勉はきょとんとしている。

「たった今、私は無数の産声を耳にしました。それに加えて、塵のような光のかけらが奏でる音楽も。目を開けると、勉君が、生まれたばかりの命を抉り出そうとしていた」

「そうだよ。だって芽吹き始めた種だよ。無理にでも取っておかないとパソコンに悪い影響を与えてしまうよ。まだ修理できるかも知れないし」

「芽だって?」

光一は虫メガネを拾ってパソコンをのぞいた。

土や埃でいっぱいのキーボードの隙間には、確かに薄黄緑色に芽吹いた種がたくさん見えた。粒の形が違うのをみると、何種類もあるようである。


「鼠たちの体毛についていた種が、キーボードの隙間に落ち込んでいたのね。それが炎の精霊のエネルギーを受けて、いっせいに発芽したんだわ」

横からのぞいた先生がいった。


光一はハッと気がついた。

「パソコン精霊の大切なものって、もしや、この種」

「そう。そして精霊自身の気配は全く消えました。彼は新しき者として生まれ変わったのです」

ひかりがうなずいた。


「そうだ、これこそが精霊が願っていたことなんだ。彼は植物に新しい命を宿したんだ」

清水探偵がキーボードに鼻面を突っ込んだ。

「植物は、大地に根を張って育つ。そして自然界の事象を全身で受け止め、さらに子孫を増やしていく。そこで得られる生き生きとした情報に比べれば、人間が作り出したデータなど、ほんの些細なものに過ぎない」


「もし、光一殿が許されるのなら」ひかりが皆の間に進み出た

「空の高みより、広き世界に命をまきたいのですが・・土に根付くまで命を守る雨の衣を着せて・・」

「許すもなにも、ひかりちゃんは仲間だし、自由の身だよ。そんな手があるなら、僕の方からお願いしたいくらいだよ。ねえ、いいよね」

「もちろんよ、でも自由の身って何?」

先生はうなずきながらも首を傾げた。

「それは後で話すよ」

言いながら、光一はこっそり左手を開いてみた。やはり窪みがある。


人間だった頃を思い出し、恨みや悲しみから開放されても、ひかりの霊力は、光一に掴まれたままなのだ。本当の所では、彼女はまだ自由ではなかった。


「ならば、行って参ります」

ひかりはパソコンを開いたまま抱きかかえ、部屋を出ていった。


「では、わしらも部屋を移ろう」

清水探偵が立ち上がって、尾を高く掲げた。一同は、精霊たちが飛び交う薄暗い廊下を通り、蔦の生い茂った部屋に向かった。



蝋燭の炎に室内が照らされるなか、清水探偵がちんちんをして前脚を広げた。

「さて坊やたち、蔦の葉はどうなっているかね」

光一がぐるりと首を回して見ると、暗がりにキラリと光る物があった。

勉も気付いたらしく、

「部屋の配置からすると、方角は西。丁度、今の英才ゼミナールの位置ですね」

と即座に位置を特定した。

光一は念のために周囲を確認したが、どす黒い赤色やオレンジ色の葉はなかった。ついでに、ひかりが飛んでいった上空、天井部分も注視したが、特に変化のある葉はなかった。


「では勉君、あの光っている葉を取ってきておくれ」

「はい」

壁際に寄った勉は、さも感動したかのような声をもらしながら葉をもいできた。そして震える手でテーブルに置いたのは、ガラス細工のように透き通った葉だった。


「それは、自然界が生んだ奇跡よ。精霊が苦しみや暴走から真に解放された時、それを表現しようとする蔦は、莫大なエネルギーを大地から吸収して、葉に流すの。そうして出来上がったのが、このクリスタルリーフよ。とても薄いけど、ダイヤモンドと同じくらいに硬いわ」

先生が解説した。


「やっぱりこれ、クリスタルリーフだったんですね。テレビで見たことがあります。どこかの美術館にあって、値段もつけられないくらい貴重なものだって」

「そう、それは世界でたった一枚だけ知られているもの。この家を購入した時に動物保護センターの方角にできていたのよ。私は、父さんが子犬の体を守った時にできたものだと思っているのだけど・・。亡くなった母さんが大好きだった絵が飾られている美術館に寄付したのよ」

「僕、クリスタルリーフの実物に触れることができたんだ」

勉は深い溜息を漏らした。


「だがそれだけではないぞ。精霊が生まれ変わった場合は、少しの間、素敵なショーが披露される」

清水探偵はくしゃみをするように蝋燭を吹き消した。


「あのう、ひかりちゃんは」

暗闇の中で光一は聞いた。

「坊や、お嬢ちゃんはここから一直線に上空に向かったんだ。しかも大切なパソコンを慎重に抱いてね。だから、変な動きをする蔦の葉も見えなかったんだ。まあ見ていなさい」

清水探偵の言葉が終わるや否や、目の前がうっすらと明るくなった。

テーブル上のクリスタルリーフが白い光を帯びていた。その中心からは、針のように細い光が垂直に天井まで伸びている。と、いきなり光量を増して無数に分かれた。プラネタリウムの投光器が全天の星を映すように、光をまきながら大きく回転している。


「採取されたばかりのクリスタルリーフは、大地から吸収したエネルギーを空に放出する。生まれ変わった命があれば、そこに向かってな」


「まるで、天使のドレスが空でひらめいているみたいだ。ひかりちゃんがあの中心にいるんだよね」

光一はつぶやいた。後で思い返せば、ひどくロマンチックなことを口にしていたのだが、頭上に展開する光景は、誰もが突っ込むことを忘れるぐらいに美しかった。


エネルギーの放出が終わり、部屋が元の暗闇となっても、しばらく皆はぼうっとしていた。

「いつか清水探偵がいっていた、仕事の最後には、お金などには代え難いものが得られるって。このことだったの」

「・・そうさ。自然界からの何よりのご褒美だよ」

感慨無量のかすれた声だった。やがて落雷のとどろきが床を揺らした。


「さあ、お嬢ちゃんが帰ってきたぞ」

「痛たた」

暗闇で出口を探した光一は、勉と頭をぶつけ合い、目の前に炸裂する火花を見た。


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