第22話 欲深き者
二人が飛び込んだ先、塾の一階の窓ガラスは全て粉々に割れていた。
ビニールが溶ける際の嫌な臭いが漂っている。電灯の消えた薄暗い室内で、机上の幾つかのパソコンからは細い煙が立ち上り、十名以上の塾の職員が倒れていた。各々、胸の辺りが動いているところを見ると、ショックで気を失っているだけらしい。
「これは・・」
「申したではありませぬか、命の音はとめずと」
言いながらひかりは、ハンガーにかけてあった職員の白衣を羽折った。
光一は自分が情けなかった。こんな時でも、女子の裸を見てドキドキしてしまうなんて・・。慌てて後ろを向き、ずぶ濡れの制服を脱いだ。
どこからか蜂の飛び交うような音が聞こえ、同時に壁際の小電灯がつき始めた。ひかりの放った雷でいかれてしまった電源が、非常用発電に切り替わったのだ。
「非常用発電の準備はできていたんだ。でも」
広いフロアは、夜中に訪れた時と変わってはいなかった。先ほど運び込んでいた山のような品物は見えなかった。
「いやいや、ひどい雷だった」
カウンターの奧のドアが開いた。顔を覗かせたのは総本塾長である。顔をしかめながら周囲を見回している。
「さあさ、お尋ね者さんたち、こちらへどうぞ」
二人が誰であるかに気付いてはいるが、にこやかに手招きしている。
「くそ、やはり、あんたが警察をたきつけたんだな」
光一は怒りで、血が噴き上がりそうになった。
「熱くなってはいかんぞ」
塾長は天井の隅を指さした。宇宙服のゴーグルのような球形の枠がはめ込まれている。
「テレビカメラだよ。君達がフロアに飛び込んできた時から、全て見させてもらった」
ひかりが手を挙げて天井を指さした。白い火花が飛んで、鏡のようなガラスにぶつかった。
「言っておくが、あのカメラの周辺は、強力な電気に対する防護処理がされている。映像は同じく防護処理のなされた記憶装置に送られている」
塾長は喉の奥で笑いながら床を指さした。おそらく、先程持ち込まれた大量の機材は地下にあるのであろう。
光一は深く息を吸った。
『今こそは冷静にならなければいけない。誤った判断は命取りになる』
ひかりも光一に同調し、ゆっくりと手を降ろした。二人は塾長の招きに応じた。
塾長室は夜中とはうって変わって、壁も床も一面が地味な灰色になっていた。全て電気ショックを防止するための処理であろう。神棚も派手な金色ではなくなり、ゴム状の黒い板が張り付けられていた。そしてこの部屋の天井にもカメラがあった。
二人が近寄った神棚の中心には、例のパソコンが置かれていた。電源は入ったままで、モニターには数字の行列が映っていた。おかしなことに、キーボードの合間に入った土埃や汚れはそのままだった。
「まさに備えあれば憂いなし。工事が昼過ぎに済んで、まっことよかった。まあ、座りたまえ」
ソファーに腰を降ろした塾長は、光一と並んで座ったひかりをまじまじと見つめた。
「わしのパートナーが教えてくれたよ。強烈な電気を発する君のことをね。しかし、まさか怪鳥に変身して、雷とともに飛び込んでくるとはな。世の中には不思議なことがあるものだ。
さて君達が訪問してくれた目的は何かね。今回は、あの美しいリーダーがいなくても、君たちから十分に話が聞けるような気がするが」
「パソコンを神棚に上げている塾長さん。話さなくても、あんたはこちらの用件を知っているはずだ」
光一はなるべく落ち着いて、ゆっくりと話した。
「ははー、君は、先程までの、ネット上の混乱のことをいっているんだね。まあ大目に見てあげておくれよ。君だって、遊びに行った先に面白そうなゲームがあったら、手を伸ばしてしまうだろう。それと同じだよ」
塾長は自分には関わりのないような口調で話した。
「何をいっている。僕らを逮捕させようとしたり、あんたが、精霊に指図しているのは分かっているんだ」
「そいつは全くの誤解だよ。わしはパートナーの悩みや質問に誠実に答えているだけだ。そうですよね」
塾長が首を振った先、神棚のパソコンのモニターには、二つの目玉が映っていた。冷たく光一らを見返している。
・・そのとおり。塾長はワタシの悩みを取り払ってくれた・・・
低い唸り弓のような声がテーブル上の小箱から聞こえた。パソコンの前にも同様の箱があるところを見ると、ワイヤレスホンで声を拡声しているらしい。
・・塾長は電力を安定して供給してくれている。また、仲間がかけていた鍵をすべて解除してくれた。
そしてワタシは気づいた。ワタシに送信されるデータは世界に無尽蔵にあることを・・
声が興奮気味にビブラートすると同時に、モニターから黒い影が踊り出た。燃えさかる炎のように、天井まで伸びて揺れている。
・・それに加え、塾長は、データが十分に受け入れられるように、必要な機材を取り揃えてくれている。ワタシは塾長の協力を邪魔する存在を排除する。オマエたちの架空の情報を警察に送ったのは、そのため・・
「それごらん。わしを悪の権化みたいに思わないでおくれ。わしは、いわば使い走りだよ。いったい今日だけで、いくら金を遣ったと思う、既に億万を軽く超えてしまっておるわ」
・・そしてワタシのために、今、米国のワールド銀行から、十ケタの数字を塾の銀行口座に移動させた・・
重大なハッカー行為。明らかな犯罪であるが、精霊は当然とばかりに話した。
「あなたは、この人間に利用されているだけよ。精霊の誇りをお持ちなさい」
ひかりが掠れた声でいった。
・・オマエのいうことは理解できない。彼はワタシの望みを満たしてくれている・・
精霊は無邪気だった。そして果てしなく貪欲でもあった。ひかりはがくりと肩を落とした。
「ふふふ、まあそういうことだわ」
塾長はテーブルに頬杖をついて余裕の息を吐いた。
実際、精霊をパートナーとする塾長は、世界のあらゆる情報を手に入れることができるだろう。しかも、それを自由に操作できる。いとも簡単に警察の情報網に潜り込み、光一らへの逮捕命令を出せてしまう。銀行の預金口座の操作も自由自在。その気になれば、戦争だって起こせてしまうかもしれない。
目の前でにやつく男の顔に、光一はやたら腹が立ってきた。深呼吸してみたが効かない。むかつきは大きくなる一方だ。ひかりだって同じだろう。だがおかしな事に、左手の窪みには何も感じなかった。
「・・」
隣を見ると、ひかりは力なくうなだれていた。
「どうしたね、白い怪鳥のお嬢ちゃん。眠くなったのかね」
「さようなこと・は・な・い」
返事はか細かった。コートの袖から出ている白い手の輪郭が僅かにぼやけていた。
『病室で起こったことと同じだ』
光一は思った。
帯電防止処理のされた部屋では、ひかりの霊力は、使わなくても減少していくのだ。しかも、こちらは床、壁、天井、総てに強力な帯電防止処理が施されている。
「ひかりちゃん、しっかりしろ」
声かけに首はわずかに動いたが、もはや返事はなかった。
『サイダ、あなたはまだいるのか?』
だめでもともとと、光一は自分に問いかけた。だが、もはや青白い光は体には生じなかった。
「ほほーう、狙い以上の効果だ。お嬢ちゃんの不思議な力は使えず、体さえぼやけてしまうとはね。
ふふ、どうですか、この部屋を改装しておいてよかったでしょう」
・・塾長の伝える情報に間違いはない・・
含んだような高笑いと躍るように揺れる黒い影のリズムが、嫌らしくもぴったりと一致していた。
「さて、話し相手は君一人になったが。どうだね、精霊密使とやらの不思議な力を貸す気はないかね?」
塾長が身を乗り出した。
「嫌だ!」
光一は怒鳴った。
『それどころじゃない。それどころじゃないんだ』
光一の胸の中で沸騰し始めたあせりが体を震わせている。
『精霊を苦しみから解放する?
目の前の腹黒い男と精霊の欲望を阻止する?
なんだかんだあるけど、そんなこと今はどうだっていい・・
ひかりちゃんが危ないんだ・・一刻も早く、この部屋から外に連れ出さなければ・・』
光一はいきなりソファーから飛び上がり、長机の上の銀色のペーパーウエイトを握った。そのままジャンプして神棚の上のパソコンに殴りかかった。奇妙な影に取り憑かれる前に、まずは精霊を消滅させなければならない。
しかし、光一は、目に見えない壁に激しくぶつかり、床に崩れ落ちた。
「ふっは、警察の盾にも使われているポリカーボネート樹脂の最高級品だよ。君ごときが壊せるわけがない。勝手に働いてくれるパートナー様、万難を排して守らねばの」
「くそう!」
「取りあえずは君たちの秘密をいろいろ聞かせてもらおうか。その後は、警察に行ってもらうということで。ではパートナー様、お願いします」
塾長が視線を振った先、空中に揺らめく黒い影が人の形になった。ポリカーボネート樹脂を透過し、光一の頭上に被さってくる。このまま取り憑かれれば、光一は自白剤を打たれたように総てを話してしまうだろう。下手をすれば、ひかりの霊力の源である雷光の瞳を奪われてしまうかもしれない。もし、そうなったら、弱りきっているひかりは・・
「だめだ。シャンとしなければ」
光一は手に握ったままのペーパーウエイトを思いきり、自分の指に打ち込んだ。
「あっ痛う!大切なものがなくなってしまう痛み、お前なんかにわかるか!」
あまりの痛さに涙がこぼれ出た。と、黒い影の動きが止まった。その隙をついて光一はドアに突っ込んだ。しかし、ドアは施錠されていた。
「いい加減、観念しろ」
塾長が光一の左腕を掴んで、後ろ手にねじ上げた。ペーパーウエイトを振り回したがうまく避けられてしまう。
「勉、おまえならどうする!」
光一は物知りの相棒の名を叫んだ。もちろん返事などありはしない。
しかし、
「・・」
いきなり視界に飛び込んできたものがあった。
天井に突き出した画鋲ほどの小さな突起物、火災探知機。
火事が起これば当然だが、強い衝撃で熱で溶ける部分が壊れれば反応するはず。
「これでどうだ!」
光一はペーパーウエイトを投げつけた。
グツン・・鈍い金属音がした。そのままペーパーウエイトはテーブルの上に落下して、ゴロリと転がった。
「坊主、なにを」
塾長の怒鳴り声とともに、サイレンが鳴り出した。天井の突起物が下に伸び、大量の水がシャワー状に吹き出し始めた
「こ・う・い・ち・殿」
ひかりがむっくりと顔をあげ、光一を見て微笑んだ。額がぱっくりと割れ、もう一つの瞳が開いた。
塾長は厳重に帯電防止処理をしたつもりだったのだろうが、思わぬ所に弱点があったのである。吹き出す水は、配管を通じて外部に繋がっているに違いない。電気のエネルギーの流れる門が開かれたのだ。
「蟻の穴より堤も壊れん」
つぶやいたひかりの顔に羽毛が生え始めた。白衣を脱ぎ捨てた体に、巨大な翼が突き出した。あとは彼女の
人智を超えた恐ろしい光の矢が、天井に、床に壁にぶち当たった。もはや、人間が作った帯電防止シートは用を為さなかった。ドアはまるで発泡スチロールの作り物のように割れて砕け、塾長は水浸しの床に吹き飛んだ。
パソコン精霊の黒い影は根元から切り裂かれた。空中を漂いながら薄くなっていき、やがて消えた。
光一は体を引きつらせながら、雷光を放つ白い鳥の乱舞に見取れていた。
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