第21話 出陣

里山には神社があった。

三人は石段を登り、木々に囲まれたやしろの前のベンチに座った。そこからは塾の玄関が丸見えで、遠くからの見張りにはうってつけだった。

「あれ、清水探偵」

偵察に出かけた清水探偵はちょうど大通りを渡りきった所だったが、あいにく大型のハスキー犬の散歩に鉢合わせてしまった。激しく吠えつけられ、目立つことを避けてか、塾の建物の影に退散していった。

「人間関係も大変だけど、犬間けんけん関係も大変だね」

光一が肩をすくめながらいうと、勉は真面目な顔をして首を振った。

「あれは単純な領土問題だよ。清水探偵はハスキー犬の縄張りを侵したから、あんなに吠えられたんだよ」

「まあ、そうとも言うけど」

光一がよそを向いて口笛を吹く横で、先生とひかりは苦笑いを浮かべていた。


それから三十分も経った頃、大通りの渋滞は緩和され、車が流れ始めた。やがて一台のトラックが塾に停まり、大量の荷物を運び入れて走り去った。

「あれ電気屋のトラックだ」

勉がつぶやいて間もなく、また一台、また一台・・合わせて十台以上のトラックが立ち寄った。それらは会社こそ違え、総て電気屋のトラックだった。


「英才ゼミナールに届けられた荷物、何だか分かる?」

清水先生が聞いた。

「それは簡単ですよ」

勉がにっこり笑った。隣のひかりも頷いている。光一は眉をひそめた。

「嫌な感じ。二人とも本当に分かってるの?」

「光一殿、精霊の望みと今の状況を考慮すれば、自然と知れることです」

少しむかついた光一に、ひかりが諭すようにいった。

「ふうむ、精霊の望み。それは電力供給の安定と、他のパソコンに仲間として認めてもらうこと。そしてデータのやりとりが自由にできること。

電力については、停電することもあるから発電器が必要だ。仲間入りに関しては、塾内はもちろん、様々な施設のコンピューターにも侵入してしまってる。たぶん、仲間との付き合いで必要とされるものなのだろうけど・・」

考えの筋道は合っているようだが、答えには至らなかった。


「大体そのとおりよ。非常用の発電装置は確かに必要ね。他に必要なのは、膨大な量のデータをやり取りしたり、保存するための記憶機材よ。

精霊が仲間と見なすコンピューターは、もはや塾内に留まらないわ。学校や警察、放送局、各家庭・・・侵入ガードを簡単に解除できるのだから、切りがないはず。

それで、あらゆるところからデータが集まれば、それだけ記憶する入れ物が必要になる。それに集めたデータを処理したり、表現する機材も必要になってくるわ」

勉が続いた。

「記憶機材の中には小型タンス一つほどのコンパクトなものもあるけど、注文してから届くまで何ヶ月もかかってしまうんだ。すぐにデータ貯蔵を始めたいなら、数でまかなう必要があるんだよね」

「けどさ、データには、銀行みたいに貯めておく場所はないの。ネットで繋がっているなら、一杯あるような気がするけど」

光一の質問に清水先生が指をはじいた。

「そう、データの銀行はネット世界にも確かにあるわ。それを利用しないということは、精霊はネットを経由しないで、自分の手中にデータを置いておきたいのよ。それに、どこかの情報センターに、巨大なデータと共に、自分が引っ越しをすればいいのに、それもしようとしない。おそらく、精霊はあのパソコンから離れることができないのよ」

「そこに精霊の弱味があるのかも知れませんね」

「そう、その弱味こそが、精霊が心や個性を持っているということなのよ」

勉の言葉に先生がつけたした。精霊であるひかりは否定をせず、光一の顔をちらりと見た。じわりと痺れる左手の感覚に、何故か光一は頬が熱くなった.


それから間もなく、清水探偵が大通りを渡って帰ってくるのが見えた。途中から、尾を左右に振り、奇妙な走り方になっている。

「あれは「注意せよ」という合図よ。なにかしら」

「私たち、囲まれたわ」

先生についで、ひかりが硬い表情でつぶやいた。間を空けず、人とも獣のものつかない苦しげな唸り声が、下から響いた。

「なんだ?」

光一が杉の枝の陰から下をのぞくと、数台のパトカーが先生の車を挟むように停まっていた。十名以上の警官が立っている。石段を登ってくるはずの清水探偵の姿を探したが見つからなかった。

「先生、警官が来てる」

「えっ」といった勉が、社の裏側を見に行き、足早に戻ってきた。

「あっちにもいるよ。おかしいよ。僕らは悪いことはしてない。だから警察に捕まることはない。そうでしょ、先生?」

「その通りよ、私たちは悪いことはしていない」

先生の声は自信に満ちていた。しかし・・

『車両ナンバーさー五X一Xの運転者に通告する。重大なネット犯罪を犯した容疑により、君に逮捕命令が出ている』

拡声器の声が響いた。

『それに中学生たち三人、君たちを保護するようにも命令が出ている。これからそちらに向かうが、決して抵抗することのないように。繰り返す・・・』


「ものすごい誤解だよ」

勉の顔が泣きそうに歪んだ。

「誤解はすぐに解消されるわ。良いこと、決して無茶をしてはだめよ」

先生は優しく微笑み、光一と勉の頬にそっと手を伸ばした。すぐにも乾いた靴音が聞こえ、警棒を抜いた警官たちが石段の降り口に現れた。

「お巡りさん、お疲れ様です」

優雅に歩み出た先生に、警官たちは呆気に取られたように立ち止まった。が、一人が足を踏み出し、先生の手に手錠をかけた。


光一の鼻先の中空に白い火花が走った。

「我慢するんだ」

光一は激しいうずきを左手に感じながら、右手でひかりの手を握った。勉の泣き声がしくしくと聞こえる。

「では本署に連行する。君たちも一緒に来てもらおう」

リーダーらしき警官の声かけとともに、一同は抵抗することもなく石段を下りていった。鳥居の先にドアを開けたパトカーが待っていた。


「あっ!」

急に先生が叫び、道に駆けだした。

『ああ、なんてこと!』

光一は息を詰めた。雑木林の陰、放置ゴミの前に、捨てられるように清水探偵が倒れていたのだ。

「止まれ、止まるんだ!」

数人の警官が荒々しく先生を捕まえた。

「君たちが、凶暴な犬を飼っているとの情報を得ていたので打ち据えた」

「放して下さい!」

「おとなしくしろ」

警官たちを振り切ろうとした先生に向かって、一人の警官が警棒を振り上げた。


ウウッー

清水探偵が頭を持ち上げ、低く唸った。


「あいつ、まだ生きている」

二人の警官が、警棒を振り回しながら清水探偵の所に駆けていった。

「やめろ!」

光一の頭の中で何かが弾けた。先生に警棒を振り上げていた警官を突き飛ばし、清水探偵の元へ駆けだした。


バシーン!!急に眩しい閃光と大地を鞭打つような音がした。

光一の前方に立ちはだかっていた警官らが、光一もろとも突風にあおられたように宙に舞った。

「ひかりちゃん!」

視界が激しく回転する中、光一はとっさに叫んだ。

と、両肩をぎゅっと掴まれ、体はさらに高く宙に躍り上がった。顔を上げた光一の目に映ったのは、恐ろしい鳥に変化していく少女の顔だった。羽毛に覆われた額には、金色の瞳が煌めいている。爛々と光る二つの瞳には涙があふれていた。


上空には瞬く間に、黒雲が渦巻き始め、二人は一直線にその中に登っていった。


「光一殿、この精霊の一件、もはや我慢ができませぬ。よろしいか」

大粒の雨が叩きつけるなか、ひかりが聞いた。


・・三日月谷みかづきだにの姫よ・・

光一の口から思わぬ声が飛び出した。口を押さえようと手を伸ばすと、手の周囲に青白い光が滲み出ているのが見えた。


「お懐かしや、そのお声。サイダ様。あなたはそこに!」


・・我はここにある。我、一人になりても、そなたを見守る・・

また光一の口が勝手に動いた。

間違いない。信二の病室で、倒れ込んだひかりに力を与えた誰か、サイダという人物が光一の口を通して語っているのだ。


・・我は、時を超え、そなたを見守り続ける・・


「ああ・・そのお言葉!いつくしみに満ちたお心・・あなた様は私を見捨ててはおられなかった・・ああ・・サイダ様、我が人間への怒りと悲しみの呪縛は解けました。なれど今、この体を捨てるわけには参りませぬ。精霊として得た力、発揮してもよろしいか」


・・存分に!・・

サイダが言い放った。


「では、参りまする」

目の神経を灼き尽くすような、まばゆい光を額から放ちながら、ひかりは急降下し始めた。


「ひかりちゃん、あの・・」

「心配されるな、光一殿。我が雷光が打つのは、邪なる者の魂のみ」

「けど、かなりビリビリしてるんだけど」

「が、命の音は止めませぬ。加えて申すなら、警官たちも雨に打たれ、じきに息を吹き返すでしょう」

ひかりは高らかに笑った。


電気ショックには慣れている光一だったが、このような稲妻の集中シャワーの中にいたら、とうに気を失っているはずだった。それに息もできないはずの激しい風圧の中である。それらから彼を守っているのは、体を包んでいる青白い光だった。


あなたは?・・光一は自分に宿っている者に問いかけてみた。


・・我は、宮廷に仕える呪術師、サイダ・・

光一の問いかけは、そのままサイダという人物の見聞きしたものとなって蘇った。


三日月谷の姫は?

・・宮廷の第三姫君。三日月の形の谷に居を持ち、我とは修行あずかりの時からの馴染み・・


その姫に何があったの?

・・我が山籠もりをしている時に、谷に旱魃かんばつが襲った。姫は家人が止めるのを聞かずに、我が祈祷具の一つ、黄金玉を持ち出し、風水の祈りを始めた。荒れたる天の気脈を感じて戻った我は見た。

未熟な術により、抑制を失った雷光と濁水の渦巻く谷、岩山にすがりつく家人と民の群れ。恩義を忘れ、姫をののしる言葉は、我が耳にも、刃のごとく突き刺さった。

我は黄金玉を納める青蛇せいじゃの剣を携え、逆巻く流れに小舟にて参じた。

ああ、見よ。

姫は一人、岩に立ち残っている。天をなだめんと奏でる笛の音が、己に憎しみを向ける人々への悲しい心と重なり、更なる雷光を招いている。あと僅か、時を持ちこたえよ。姫!・・


それで?

・・目前にして、雷光が姫を包み込んだ。我は濁流に飲み込まれていく。雷と魂を重ねた姫よ。時を待たれよ。我は血脈のかけらを持つ者に宿りて、再びそなたの元に参り、伝える。

我、一人になりても、そなたを見守る。時を超え、そなたを見守り続ける。この言葉がそなたの悲しみと怒りを解くことを願って・・


光一は全てを悟った。

サイダはこの時に死んでしまったのだ。でも精霊として存在し続け、光一に宿ったのだ。


光一の体に伝わる電撃が徐々に強くなってきていた。激しい風圧が喉奥を押さえつけ始めている。保護バリアの役割をしていたサイダの精霊が目的を果たし、消えていっているのだ。青白い光はほとんど見えなくなっていた。


ダシーーン!!!


まるで、大地という銅鑼どらへ天空のつちが打ち込まれたようだった。耳をつんざく爆音とともに、光一らは黄色の建物に突っ込んでいった。



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