第20話 精霊の暴走

結局、光一が帰宅したのは五時前で、既にポストには朝刊が差し込んであった。一睡もしていなかったが、心身ともに冴えわたり、ベッドに横になることもなく朝日を迎えた。両親は、まさか夜中に外出したなどとは思いもよらず、早起きしたと勘違いしていた。

それで、いつもより早めに家を出たのだが、さすがにこの日ばかりは、清水探偵に会うことはなかった。


学校に着いてからも、眠気が襲ってくることはなく、ますます調子は良くなっていった。

なにしろ苦手な数学の問題も要点が良くわかって解けていくし、音楽ではタップを踏みながらリコーダーを吹き上げた。勉も同様だったらしく、ビシリと手を挙げては、鋭い質問と答えを次々と発していた。

クラスの皆の目を引いたのは、体育の時間だった。ドッヂボールで生き残った光一と勉の、唸りをあげるボールの投げ合いは十分以上も続いたのだ。

午後の授業が終わる頃には、いつもの二人に戻ってきた。


「大地のエネルギーは、人間を超人に変えることができるわ。でも、飲むのは特別な時だけ。でなければ、元々の体のエネルギーも使い果たして、干涸ひからびてしまうから」

昼休みに先生がこっそりと教えてくれた。


「総本塾長って、どんなひとなの?」

帰りの挨拶の後、教室がガヤついている時、光一は何気なく聞いてみた。そう、英才ゼミナールに通っている生徒にである。

「教科を担当している先生たちは優しいし、教え方もうまくてすごくいいんだ。でも、あのおじさんだけは勘弁してほしいな」

「へえ、なんで?」

「あの人の頭の中は、お金儲けのことだけなんだ。いつも生徒集めのことばかり考えている。それに新しい建物に引っ越してからは、奇妙なことを言いだしたんだ。生徒たちの成績アップの祈りが、天に通じたなんて」

光一は胸ぐらを掴まれた気がした。

「それってほら、成績が悪かったら、鼠が襲ってくることと関係してるの」

「なんで、光一がそのこと知ってる?あっ、他の人に話したら呪いがかかる」

その生徒は青い顔をして、そそくさと帰っていった。


近くにいた勉が顔をしかめて寄ってきた。

「嫌なこと聞いちゃったね。あの塾長、実はこれまでの鼠事件のことを喜んでいたのかも知れないね」

「それだけではないぞ、これからは自分で事件を引き起こすこともできる。なにしろ、仕掛けを知ってしまったのだから」

考えるほどに、光一の頭に嫌なことが浮かんできた。

彼らを迎えたあの丁寧さと寛大さ。あれは、鼠事件の秘密を手に入れるための演技だったのではないか。一同が帰った後、塾長は喜びに打ち震えていたのではないか・・。


「光一殿、これではっきりいたしました」

いつの間にか、ひかりが隣に立っていた。

「何が?」

「あの精霊が生まれたのは、二つの出来事が重なったということ。一つは信二君の作った仕掛け。いま一つは、あの塾長の祈り・・

私が祭壇に見た黒い渦は、恐らくは、精霊を求める強力な祈りによってできたもの。そして求めていた精霊が到着し、渦は見えなくなったのです」


「くそう、あの狸おやじめ。なにが信心深いだ。聞いてあきれる」

「先生に知らせなくては」

勉の言葉を待つまでもなく、光一は職員室に向かって駆けだしていた。ちょうどドアを引こうとした時、清水先生が飛び出してきた。


「先生、大変なんだ」

「こっちもよ。あの精霊が暴走し始めたの」

「暴走!?」

「ええ、ネットを経由してね。ほら、あの音と声」

「音・・」

耳を澄ますと、ドアの隙間から、聞き覚えのある音が流れ出ていた。

浜辺に打ち寄せる波の音と子守歌のようなオルゴールの音・・古い塾の地下室で聞いた音だ。それだけではない。そこに微かな声が混じっていた。


・・人間たちよ、心配はいらない。もっと楽に楽に。さあ、心を開いて、わが言葉を聞け ・・ ・・


「地下室で、清水探偵と私が聞いた声」

光一に寄り添って立つひかりが囁いた。

人間は、普段なら聞き取ることのできないその声に警戒心を解かれ、結局、精霊に操られてしまうのだ。今、光一らに「声」が聞こえたのは、地底霊のエキスが少し体に残っていたからに違いない。

「でも、わずかに違う。今の声には、地下室の時にはなかったもの。果てなき欲が含まれている」

ひかりが表情を曇らせて言った。


光一はドアを引いて職員室をのぞいた。

二十人以上もの先生が、それぞれの机上のパソコンをまばたきもせずに見つめていた。時おり、首を傾げながら何かを打ち込んでいる。

「この部屋には四月からWIFI無線が導入されたわ。先生たちはインターネット回線を使用しているのよ」

「インターネットで何を?」

「先生たちはデータを入力しているんだ・・」遅れてきた勉が、首を突っ込んできた。

「何も見ていないから、入力しているのは、自分たちのデータだよ。誰にも知られたくないことも含めて」

「あの塾長、精霊を利用して、とんでもないことをやらせているんだ」

先生が光一と勉の肩を叩いた。

「人間の欲に乗せられた精霊に立ち向かうには、それなりの覚悟が必要よ。若いお仲間さんたち、それでもまた一緒に来てくれる?」

「もちろん!」

二人は少し固まりながらも、力強くうなずいた。ひかりには聞くまでもなかった。



四人は職員室の裏に出た。お目当ては学校保管の自転車である。あいにく清水先生は車通勤ではなく、光一と勉は徒歩通学だったので、自転車で英才ゼミナールに向かうことになったのだ。途中、先生がスマホで清水探偵に連絡をとったが、外出中なのか応答はなかった。


「あれっ、先生の車だ」

勉が校庭のフェンスに面した裏門を指さした。白くて角張った乗用車が突っ込んできている。確かに清水先生の車である。

「まあ、呆れた。校庭に迎えにくるなんて!」

言葉とは裏腹に、先生の顔はほころんでいた。

「いったい誰が運転しているの!?」

「さあ、さあ」

勉の疑問に答える間もなく、先生にかされた三人は、土煙をあげて走る車に直行した。


「みんな乗れ!」

窓ガラスがウイーンと開き、目出し帽にサングラスをかけた怪し過ぎる人物?が首を突き出した。

「もしかして、清水探偵?ブッ」

「当たり前だ。他に誰がおるかい」

そんな時ではないのに、四人は思わず吹き出した。


後部座席に乗り込んだ光一が運転席をのぞくと、竹馬のような棒を後足につけた犬が座っていた。棒の先は、それぞれアクセルとブレーキに置かれている。

「これ、しっかり座っとれ」

振り返った清水探偵に、光一らはまたゲタゲタと笑いだした。

「父さん、運転変わるわよ」

「今日は危険だ。わしが運転する」

先生の申し出を断って、清水探偵は前のめりになりながら、曲がった足を踏み出した。

「ひえー」

車は激しくスピンしてから、勢いよく校庭を飛び出した。


「父さんは、どうやって事件のことを知ったの」

助手席の先生が清水探偵に聞いた。

「蔦の葉だよ。お前も今朝見たように、どす黒い赤色の葉は白っぽい黄緑色に戻っていた。そして昼過ぎにヒラヒラと揺れる葉が現れた。場所は、今の英才ゼミナールのある地点だ。精霊の喜びをあらわす葉を、わしも喜んで見つめていた。

が、それが徐々に、暴走を示すオレンジ色に染まり始めたんじゃ。慌ててニュースを見ようとテレビをつけたが、番組はどこもやっていない。こりゃ偉い事と、お前たちを迎えに来たんだ」

「テレビの番組がやっていないとは、どういうことですか」

「じきに分かることだ」

勉の質問に、清水探偵はくいーと体をねじ曲げて、ハンドルを切った。車は大通りではなく、住宅地の細い路地に入っていく。


「どこに向かってるの?目的地は英才ゼミナールでは」

「もちろんそうだ」

かなり遠回りをしているようだが、進む方向は合っていた。大通りと平行に走っている道に来て、理由が分かった。


「大渋滞だ。どうしたの、事故?」

「光一君。あれだよ、テレビ番組がやっていないのも同じ理由だよ」

メガネの縁に片手を当てた勉が指さした方向には信号機があった。

「信号機がどうしたんだよ」

「よく見てごらんよ」


光一は息を飲んだ。その信号機は、速いテンポで点滅していたのだ。それも、赤赤、青赤、黄青・・楽しげなリズムを刻んでいる。

「けど、この道の信号機は普通だよ。どうして」

「光一殿、お分かりにならないか。精霊はネットを経由して、あらゆるコンピューターに手を伸ばしているのです」

ひかりの言葉で光一はやっと気づいた。


大通りの信号機は、警察署の交通管理システムに繋がっている。道の上にあるカメラで交通量を測定して、色が変わるペースを調整しているのだ。今、走っている路地の信号機には、そんな仕組みはなく、予め決まったペースで色が変わっている。


「最新のシステムがあだになったんだ。テレビだって同じ、放送局で使ってるコンピューターだって、何かしらネットで繋がっている。精霊が手を伸ばしてあれこれいじっているんだ」

勉がつぶやいた。



「さて、この辺りでいいだろう」

器用に足を動かして、清水探偵は車を停めた。

そこは畑の中にぽつりと盛り上がった里山の下だった。細い橋の架かった川の向こう岸には、派手な黄色の建物が見えている。


「君たちの顔は知られている。乗り込む前に、まずはわしが様子をうかがってくる」

そういった清水探偵は、後足につけた棒を外し、短い前足でプルプル振るえながら目出し帽を脱いだ。



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