第12話 事件が起こった

光一と勉が清水先生の家に乗り込んでから、三週間が過ぎようとしていたある日の朝、寝ぼけまなこの光一がトーストにかじり付いていると、


【被害にあったのは、中学二年生の荒井信二くん】

耳慣れた名前がテレビから流れた。

「あっ」

画面に眼が釘付けになった。そこには信二の家が映し出されていた。

「荒井信二って、光一と同じクラスの」

「しぃっ!」

光一は口に指を当て、首を突っ込んできた母さんのおしゃべりを止めた。


ニュースは続いた。

【・・荒井君は昨夜0時半頃、自宅の二階で睡眠中に、数千匹のねずみの大群に襲われました。悲鳴を聞きつけた両親が発見し、すぐに鼠を追い払いましたが、全身をかじられ、大量の出血があった様子です。

すぐに救急車で病院に運ばれ、命は取り留めましたが、ショックのため、意識はまだ回復していません。

母親の話によると、彼は、ここひと月ばかり、自分の部屋に大量の菓子を持ち込んでいたそうです。そのことが鼠を呼び寄せたとも考えられますが、明確なことはまだ分かっておりません】


光一はトーストをくわえたまま、家を飛び出した。

遅刻するような時間ではなかったが、悠長ゆうちょうに支度をしている気分ではなかった。

「おはよう」

門を出た所に、清水探偵がきっちり足を揃えて待っていた。変な小細工をされるより、よほど驚いた。

「清水探偵、あのっ」

口にくわえていたトーストが、ボトリと落ちた。


「そうだ。菓子を食べる鼠はいるかも知れない。でも、それが数千匹も押し寄せて、人を襲うなど尋常じんじょうではない」

清水探偵は、光一の頭の中で混乱していたことを、きっちりとまとめてくれた。

「精霊が関係しているということ?」

「その通り。さあ、忙しくなるぞ。わしはこれから信二君の家に行く。彼を襲った鼠の臭いをたどれたら、問題の精霊の居場所に行き着けるかもしれない」


「僕は何をすれば」

「自分でこれだと思うことをやってくれ。そのために、こいつをプレゼントしよう」

「痛っ!」

清水探偵は、早足で歩く光一の足に、一度がぶりと噛みついて離れていった。


鋭い痛みとともに、はっきりと目が開いた。

清水探偵は、浮き足立っていた光一に、かつを入れてくれたのだ。いったん立ち止まって深呼吸した。

『こんな時こそ、落ち着かないといけない』


教室についた光一を待っていたのは、噂話うわさばなしの洪水だった。五、六人ずつ固まっては、信二の事件について話をしている。

「あいつは何か恐ろしい実験をやろうとしていたんだよ」

「前に信二くん、試験の点をすごく気にしていたでしょう。鼠を使って職員室から試験用紙を盗ませようと企んだのよ。でも、鼠が反乱を起こしたんだわ」

「もっと単純だよ。最近、勉強ばっかりで、ストレスが溜まっていたんだよ。それでお菓子を買いこんで食べていたんだ。そこを鼠の大群に狙われたんだよ」


勉とひかりが寄ってきた。

「ひかりちゃんから聞いたよ。清水探偵は、信二君の家に行ったんだってね。それにしても、みんなすごいよ、あんな作り話がどんどんできるなんて」

「どうして人間は、いつも悪者を作ろうとするのか?」

ひかりは険しい顔をして、光一に尋ねた。

「そうだね」

ひかりの言うとおりだった。皆、口にしているのは批判めいた内容ばかりだ。ご機嫌な時は、信二の冗談に笑わしてもらったり、結構助けてもらっていたのだが・・。

『でも僕だって事件に首を突っ込んでいなければ、ありもしない噂話をしていたかもしれない』

光一はひかりの問い掛けに答えることができず、首を振るばかりだった。


「ねえ、よくわからないけど、おかしいよ」

勉がいった。メガネの奧の視線は、教室のあちこちに飛んでいる。

「あの四人、ほっとしている。昨日まであった怯えが薄れている」

ひかりがつぶやいた。


信二と同じ塾に通っている四人は、それぞれ噂話をしている生徒のグループに入っていた。話に適当に参加してうなずいている。ひかりのいう通り、その顔は随分リラックスしているように見える。光一は無性むしょうに腹が立ってきた。

『信二にあんなことが起こって、一番心配してもいいじゃないか。なんでヘラヘラしていられる』

「おい!」

と言いかけたところで、ひかりが手を引いた。

「彼らは休み時間に集まって、事件についての話をするのでは」

その通りだった。光一は勉に振り返った。

「勉、休み時間になったら隣の準備室に隠れよう。あの四人はきっと来る」

「私は?」

「ひかりちゃんは教室に残っていて。そうすれば女子も数人残る。そうすりゃ、ここでは秘密の話はできない。彼らは百パーセント、準備室に行くはずだ」


やがて清水先生が現れた。日直の号令の後、唇を硬く引きながら話した。

「ニュースで知っていると思いますが、信二君が大怪我をして入院しました。でも安心して。お母さんからの連絡で、怪我の状態は軽くて、一週間もすれば退院できるとのことです」

「意識は戻ったのですか。できたら、お見舞いに行きたいのですが」

クラス委員の茂が質問した。

「ええ。その点は大丈夫らしいわ。でもね、今は誰にも会いたくないらしいの。また学校に行けるようになったら、優しく迎えて下さいって、お母さんいっていたわ」

「はい・・」

茂は残念そうにうなずいた。


「それでね、みんなに聞きたいことがあるの」

先生は皆の目を見つめながら、ゆっくりと話した。

「今度の事件のことで、何か知っている人はいないかしら。何でもいいから教えて欲しいのだけど」

実際、先生は例の四人に問いかけているのだ。だが、四人は他の生徒と同様、首をひねるばかりだった。

「今は思い付かないかもね。いつでもいいから教えてね」

あっさりと引き下がり、いつも通りの朝の会、そして英語の授業が始まった。


「最近は、エンバイロメント ポリューション。つまり、環境汚染について、殆どの英語の教科書が取り上げているけど・・」

先生の声が軽やかに響く一方、光一は時計の針ばかり気にしていた。一方の勉は、先生の質問に、小学生のようにハイハイと手を挙げていた。勉強が大好きな勉だが、特に社会や理科、百科事典に載っているような事柄には目がないのだ。


『大丈夫か。授業が終わったら、隣の部屋にダッシュしなきゃいけないんだぞ』

光一は顔をしかめ、調子に乗っている相棒の後ろ姿を見守った。

「あのう、質問なのですが」

滅多に手を挙げないひかりが、高く手を掲げた。先生の目が泳いだ。

「え、なにかしら?」

「私、校舎のあちこちの壁に、小さな犬のシールが張ってあるのを見たのです。あれも電柱に勝手に張り紙するのと同じ、環境汚染というものですか?」

「あっ、あのシール、僕も見たことがある」

「すごく小さいのよね」

何人かが頷いた。


光一は驚いた。犬のシールというのは、彼と勉が教室で勉強している生徒を調べた時に、用が済んだ教室の出口に張り付けたもの。ほとんど剥がしたが、まだ少しは残っている。そのことはひかりだって、先生だって知っている。

『今更どうしてそれを・・』

「そうね、やっぱり環境汚染の一種といえるわね。ただの悪戯いたずらかも知れないけど、そういう気持ちの緩みが、本当の問題に発展していくのよ」


「先生、あれは悪戯をしたのではありません」

手を挙げていた勉がいった。皆が「えっ」とばかりに、その顔を覗き込んだ。

「あれは、」

といいかけて、自分が何をしているか気づいたようだった。勉は喘ぐように口を大きく開いた。

「理由はさておき、いけないことはいけないわ。やったのは一人だけかしら?」

先生は光一の方を見た。理由は分からない。しかし訳があって、ひかりは変な質問をして、先生はそれに乗ったのだ。

「僕もやりました」光一も乗った。

「なるほど。では、この休み時間に、責任を持ってそれを剥がしなさい。二人が正直に話してくれた所を見込んで、今からさっそく行きなさい。いいわね」

皆のにやにや笑いに見送られ、二人は廊下に出た。


「シール、どこに残っているかなんて忘れてしまったよ。先生はわかっているくせにひどいや」

「そうだよな」

光一は間抜けなほどに正直な相棒に頷いた。

「待てよ」

ひかりと先生は、勉の性格を見抜いていて、それを利用したのだ。

「そうだ」

光一は相棒の手を引いて、隣の教材準備室に入った。

「さあ、隠れよう」

「えっ、シール剥がしに行くのではないの?」

「もちろん、ちがうさ。二人は僕たちに隠れる時間をくれたんだ」

光一は返事をしながら、室内を見回した。ロッカーが三台並んでいる他は、予備の机と椅子が十台ほど後ろに固められている。


「あの四人が来ても、見つからない所・・」

ロッカーには鍵が掛けられていた。

机の下に隠れたとしても、下を覗かれたら見つかってしまう。さてどうすれば、と考えたところで名案が浮かんだ。

「カーテンを外すんだ」

勉は腕組みをして考え込んでいたが、やっと先生たちの計画が分かったようだ。

「そうだったのか」

といいながら、光一に従って、窓際の机に乗ってカーテンを外し始めた。全て外し終えたところで、チャイムが鳴り出した。

二人は急いで並んだ机の奥に潜り込み、カーテンで体を覆った。これで覗かれても、ばれやしないだろう。


「生徒たちの写真をとっていた時もそうだったけど、僕ら本当の探偵みたいだね」

「そう、立派な探偵さ。でもただの探偵じゃない。苦しんでいる精霊のために働く秘密の使いだ」

「難しくいうと、精霊の密使だね」

精霊密使せいれいみっし。それ格好いいや」

こそこそ話していると、騒がしかった廊下が急に静かになった。やがて足音が聞こえてきた。

「それ、おいでなすった」

二人は息を潜め、耳を澄ました。


体を覆ったカーテンを少し上げると、生徒たちの足元が見えた。四人、十人、いや一五人ぐらいいる。

入ってきたのは、信二と同じ塾に通う生徒たちに違いない。四人より多かったのは驚いたが、考えてみれば当たり前、二年は三クラスあったのだ。

『まずい、彼らが皆、机を引き出して座り始めたら・・』

光一は焦った。が、幸いなことに、彼らは立ったまま、押し殺したような声で話し始めた。


「今回の塾の試験、簡単だったけど、信二君はよほどひどい点だったのよ」

「それで全体の平均点が下がって、僕らは助かったってことだね」

「これまで数千匹の大群なんてなかったもんな。きっと平均点より下は、信二、一人だったんだろう。それに他の学年のテストがなくて、悪い条件が重なったんだ」


光一と勉は思わず顔を見合わせた。

鼠事件は今回が初めてではなかったのだ。清水探偵のいう通り、小さいながらも事件は起こっていたのだ。

「ねえ、うちのクラスの清水先生、何か知っていたら教えてっていっていたけれど。どうしたらいいと思う?」

「だめだよ、事件の真相が親にばれたら、きっと塾を辞めろっていうよ。ほら、三年生で塾を辞めた先輩がいるけど、試験の度に、それこそ山のような鼠の大群がやってきたというよ。ものすごい量の食べ物を用意して、襲われずに済んだらしいけど、結局、塾に戻ってきたらしいよ」

「塾を辞めても、塾生の名簿からは消されない。それで試験の度に、平均点未満ってことなってしまうんだ」

「そんな理不尽な」

「でもそれが事実ね。じゃあ、やっぱり先生にはいわないで、内緒にしといたほうがいいわね」

「そう、最初心配してたけど、学校でやった試験は、平均点より悪くても、ネズミは襲ってこなかったもんな」

「それはそうさ、学校学校でテストは違うし、鼠たちだって、そこまでは把握できやしないよ」


光一の頭の中で事件の一部が理解された。

単語テストの時の信二の青ざめた顔が、ありありと思い出された。あの時、信二は悪い点をとって、鼠に襲われるのを怖れていたのだ。

「塾の試験で、平均点が出ることがポイントみたいだね」

勉が耳元でささやいた。


「ねえ、誰か何かいった」

一人が低い声で聞いた。

「誰も・・」

「今、机の下から声がしたようだったわ」


『気づかれたか』

光一は暗がりの中、十センチぐらいの近さで勉と鼻を突き合わせた。丁度、にらめっこの状態である。緊張のためか、勉の鼻の穴が激しく開いたり閉じたりしている。

『ああ、そんな顔、やめてくれ!』


「ははは、気にしすぎだよ。僕らはしばらく安全じゃないか。そんな神経過敏にならなくてもいいんだよ」

「え、なんで?」

「ほら、信二が入院しただろう。ということは試験があれば、彼は0点扱い。平均点を引き下げてくれるからね」

「今日も試験がある。ということは、信二君、今夜も鼠に襲われるってこと?」

「そうだよ。でも大丈夫。病院には売店があって、鼠はそこで、たらふく食べ物にありつけるもの」

「そう。じゃあ、誰も傷つくことはないってことね」

皆の安心の溜息が漏れた。少しして小さな悲鳴が聞こえた。

「鼠よ!」

バタバタと追い立てるような足踏みが聞こえたと思ったら、体長五センチぐらいの鼠が、カーテンの隙間から走り込んできた。どこか部屋の片隅に紛れていたのだろう。


「あのネズミ、まるで私たちの話を探っていたみたい」

「考え過ぎだと思うけど、少し気になる」

「捕まえて、どこかに閉じこめよう」

「あのカーテンが盛り上がった所に潜り込んだんだ」

矢継ぎ早に言葉が交わされ、机がガタガタと移動され始めた。


『まずい、このままでは見つかってしまう。うまい言い訳は』

光一は頭を回転させた。

・・・シールを剥がしていた・・・ではなぜ、隠れていたの?・・・みんなが来てしまって、出るに出れなくなって・・・それで、シールは?・・・あると思ったんだけど・・・

『だめだ、うまい嘘が思いつかない。かといって本当のこともいえない』


『一か八か』

光一は左手を開いて祈った。

『ひかりちゃん、なんとかしてくれ!うっ』

左手の窪みが返事をするように痺れたと思ったら、廊下から声が聞こえた。

「あれっ、皆さん、集まって何をしておられるのか?」

間一髪、一つ手前あたりで机を動かす音が止まった。

ひかりだった。学校に来て最初の日に披露した、電光石火の早業で駆けつけてくれたのだ。


「女子が騒いでいたから来たんだ。鼠が出たんだって」

誰かが上手に取り繕った。全くうまい言い訳を思いつくものである。


「いかなる鼠です?」

「ほんと小さいんだけど。ほら、そのカーテンの固まりの中に入ったみたいなの」

光一の耳につかつかと近づく足音が聞こえた。と、いきなり目の前の床に、青い火花が散った。全身にズクリと痛みが走り、同時に鼠は弾かれたように外に飛び出した。

「おっ出てきた。捕まえろ!」

男子の威勢のいい声が飛び出し、足音がどどっと部屋を出ていった。


「お二人様、もう大丈夫」

大量の汗をかいて、髪がぐしゃぐしゃになっている二人を見て、ひかりはくすりと笑った。

「ありがとう、おかげで助かったよ」

「いえ、これぐらいのことは何でもないこと。それで話は?」

「うん、手掛かりになりそうなことがいくつかね」

光一はにこやかに頷いた。

一方の勉は、今の電撃がきつすぎたらしく、青白い顔をして黙っていた。どうやら光一は、ひかりの発する電流に、かなり免疫をもっているらしかった。



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