第4話 井戸の中の怪物

清水探偵事務所しみずたんていじむしょ

一本の石柱に古びた木製の看板がかかっていた。


「清水先生の家、探偵事務所だったんだね」

「おお、かっこいい」

光一は興奮した。テレビに登場する探偵は、警察がお手上げした事件を簡単に解決してしまう。悪人に狙われたり、危険な目にも会うが、いつも格好よく擦り抜ける。


「探偵って本当は地味な仕事なんだよね。行方不明の人を捜したり、人の秘密を探ったり・・」

冷静にいった勉は、もう一本の石柱をしきりに見つめている。ムッとした光一だったが、自転車を貸してくれた恩人なので黙っていた。

「光一くん、ちょっとこれ見て」勉が呼んだ。

「どうした」

「この柱に彫られていることが気になって」


【木々の影が道をおおった後、これより先、進むべからず】

石柱に掠れた文字で彫り込まれていた。


もはや辺りは暗くなりかけていた。もし晴れていても、この時間になれば杉林の陰になって、やはり暗いに違いない。

「なんだろう。暗くなったら先に進むなということだけど。ここにあるのは二本の柱だけ。門があって閉じ込められてしまうこともないし」

これまで澄ましていた勉の顔がこわばってきた。

「なんとかなるさ。まさかお化けが出るってわけじゃないだろうし」

光一は、勉を励ますように明るく話したが、内心は少しビクついていた。


木々の向こうに明かりがちらついた。道が曲がっているのでよく見えないが、先生の家に違いない。ここからは五十メートルもない。

「何かあったら助けを呼べばいいさ。先生はすぐ先にいるのだし」

「そうだね。走ったら八秒ぐらいの距離だものね」

少し上ずった声で勉が応えた。爪でメガネのレンズを弾いている。冷静に頭を使い、不安を紛らわそうとしているらしい。

二人は流れに乗ってしまったのだ。こういう場合、やめようというのは、前に進むよりも勇気が必要になる。

「じゃ行こうか」

「うん」

自転車を石柱の横に置き、前に進んだ。


十歩ほど歩いた所で勉が立ち止まった。二人の手前、数メートルほど先の地面に霧が流れてきていた。

「なんだか変だよ」

いいながら、光一の鼻先に自分のメガネを突き出した。

「ほら」

黒縁メガネの厚いレンズは、曇りなく光っていた。光一は勉がいいたいことがわかった。確認のために自分の髪をまさぐった。さっき雨に濡れた髪はすっかり乾いていた。指がサラサラと髪を撫でた。


「霧が出ていて湿っぽいはずなのに、メガネのレンズも髪の毛も乾いている。どういうこと?」

隣の勉に目をやった光一は息を飲んだ。なんと勉は地面を這う霧に乗って、奥に進み始めていたのだ。

「勉!」

大声で呼びかけたが返事はなかった。引き潮のような霧に乗った勉が離れていく。


光一は急いで後を追った。が、あいにく地面に伸びていた木の根につまづいて転んでしまった。その反動でバッグの蓋が開き、留め金が額を強く打った。

「いて!」

思わず唸った。足元にはバッグからこぼれた例の玉が転がっている。

『手放してはならない』

心のどこかで声が聞こえ、それに手を伸ばした。上着のポケットに入れて、バネ仕掛けのように起き上がると勉の後を追った。


硬い土の道を曲がると、古びた洋館が現れた。冬が近いというのに、つたの葉が生い茂り、壁をびっしりと覆っている。広いポーチのついた玄関には、さきほど見えた電灯がいていて、先生の自転車が置かれていた。

「勉!」

細い影が建物の裏に流れていくのが見えた。


光一は玄関ドアに鈍く光るノッカーを勢いよく叩き、バッグを置いた。いざという時に、先生が駆けつけてくれることを願ったのだ。

建物の裏に走り込んでみると、すぐ先に屋根のついた井戸があった。


「ああ」

なんということ。勉はその井戸の中に吸い込まれるように消えていってしまった。

「助けなくては!」

理性を働かせる暇はなかった。走り込みながら井戸のつるべに飛び付いた。

カラララ・・

高い音を残して急降下し、いきなりガクンと止まった。勢いあまって握っていたロープを離してしまった。

暗闇を回転しながら落ちていく。どのぐらいの深さがあるのか見当もつかなかった。


『井戸ってこんなにも深いのか』

『プールでは泳げるけど、井戸の中では泳げるのか』

『もし、底には水が無くて岩が剥き出していたら・・』

瞬時だったのかもしれないが、様々な思いが頭の中を巡った。


結局、辿り着いた先にあったのは、水でもなく岩でもなかった。ぬるぬるして蒟蒻こんにゃくのように弾力がある物。そこに尻から落下し、三回ほどバウンドして止まった。

「光一君?」

暗闇に声が響いた。

「勉?」

大きく手を振ると、ピターンと音がして勉のうめき声が漏れた。どうやら頬を叩いてしまったらしい。

「勉、さっき霧に乗っていたぞ」

「あれは霧じゃないよ。何かに足首を掴まれていたんだ。それで、転ばないようにバランスをとるので精一杯だったんだ」

「足首を掴んだ何かって?」

「ほら、目の前に白いものが迫っていたでしょう。あれは霧とかの気体ではなく、軟体動物の触手・・」

勉は急に話をやめて、光一の手を取って地面に押しつけた。

「僕らが今、座っている所の感じもそれと同じ。あっ」

急に地面が波立ち始めた。

「軟体動物って。こんな大きいのがいるものか」

光一はなんとかバランスを取ろうとしたが、暗闇で不安定な場所でかなわなかった。

その内にも地面の波立ちはどんどん強くなっていった。同時に体が運ばれていく感じがした。

『僕らが行きつく先によいことが待っているとは考えられない。けど、何もできない』

光一は、四つ這いになっているだけの自分を情けなく思った。


その時、周囲がほのかに明るくなった。光一と同じく四つ這いになった勉が、光一の体を見つめている。光の出所は、光一の上着のポケットだった。

光一はポケットに手を突っ込んだ。入っていたのは虎目模様の玉だ。

「あうっ!」

玉を握った瞬間に痛みが走った。昨日、寺で拾った時よりも強い電気が流れたようだ。波立っていた地面が、一瞬、ビクリと固まった。


光一は玉を取り出した。

直径三センチほどのそれは、まるで懐中電灯の豆球のように光っていた。おかげで周囲の様子が見えるようになった。

「何それ、どこで売ってたの」

「それどころじゃない。周りをみろよ」


そこは赤黒く湿った洞穴だった。壁には無数のひだがヌメヌメと震え、二人が揺られている地面は、貝の義足のようにうねっていた。穴は奧に続き、光さえ届かないような暗闇があった。

「こ、ここは臓器なんだ。僕らがいるのは巨大軟体動物の体の中なんだ」

カタカタと歯を鳴らしながら勉がいった。

「今いるところが、そいつの口あたりだとしたら、この奧は胃か腹」

去年、海辺の旅館に泊まった時、光一の父さんはピチピチはねる小魚に醤油をかけて、そのまま食べていた。

『今の僕らは、あの魚と同じ』


「脱出しなければ!」

顔を上に向けると、青黒い穴が小さく見えた。井戸の入り口につながっているのに違いないが、震える赤い壁に足掛かりとなりそうな物はない。

「もう、どうにもならないのか」

「光一君、それ!」

そう叫んだ勉のメガネは、眩しい光を反射していた。玉は明るさを増していた。

「それって、これまで、そんなふうに光ったことあったの?」

「いや、なかったような」

光一は言葉を濁した。そんなことを聞かれても、昨日より前のことは知らない。


「きっとそれは、ここにあるものに反応している。徐々に光が強くなっているということは、僕らは玉を光らせるものに接近しているんだ」

勉が鼻息荒く話した。

玉は今や、ミニチュアの太陽さながらに輝いていた。

先ほど上方に見えた穴は、見えなくなっている。音もなくうごめく地面は、確実に二人を奧へと運んでいた。

少し進んで急坂になった。もはや、バランスどころではない。光一は玉をしっかり握り、もう一方で勉と手を握り合った。電気が伝わったのか、小さな悲鳴が聞こえた。


二人が折り重なりながら転がりだしたその時、玉を握った光一の手が、壁の一部に吸い込まれるようにめり込んだ。急にブレーキがかかり、勉の重さも加わって肩が抜けそうになったが、光一は持ちこたえた。

「大丈夫かい、光一君」

「あ、ああ」

答えながらも、光一の左手はぐにゅぐにゅと肉襞にくひだに埋まっていった。


・・・それこそは、我が瞳・・・くぐもった声が壁の内側から聞こえた。

「うっ!」

鋭い刃物でえぐられるような激痛が、光一の手に走った。痛みは心臓の鼓動のようなリズムで襲ってくる。


『開いてはだめだ』

光一は手から抜け出そうとする玉を必死に握りしめた。

『由緒ある仏像からこぼれた落ちた玉。手放してはだめだ!』


・・・我が瞳を握る者よ。手を開かれよ。握り続ければ、お前の手は焼け焦げてしまうだろう・・・

壁の中からの言葉は丁寧だった。しかし、光一は手を開かなかった。

「もう、だめ」

悲しそうな勉の声が響いた。

「もし君が助かったら、僕との冒険のことを朝会の1分トークで話して」

「何言ってるんだよ」

光一は怒鳴りながら、力の抜けた勉の手を握り直した。と、玉を握っていた方の手が、ほんの少し緩んでしまった。


ビシッ!!

目の前に紫色の光が炸裂さくれつした。体中がしびれて強ばった。と感じた次の瞬間、生温かい体液がどっと吹き上がってきた。二人は揉みくちゃになりながら上昇していった。


井戸の縁から飛び出した時、光一の目に懐中電灯をかざした清水先生が見えた。その手が柄杓ひしゃくのような物を真一文字に振った。香りのついた液体が体を打ったかと思うと、黒い地面が鼻先に迫った。

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