第2話 不思議な犬
次の日の登校の途中、光一は目を見開いた。
筋雲が浮かんだ青空をジェット機が横切り、その後ろには真っ白な飛行機雲が一直線に伸びていた。
『あんな風に空に絵を描けたら、どんなに気持ちいいだろう』
あれこれ想像しながら歩きだしたその時だった。
・・飛行機雲かい、こりゃ昼からは雨じゃわい・・どこからか声が聞こえた。
「えっ?」
あたりを見回したが誰もいなかった。隣の空き地の
「まさか、君がしゃべったんじゃないよね」
光一は冗談めかして聞いた。聞いたのはいいけど、もし、本当にしゃべりだしたらどうしようと、少し胸がどきどきした。しかし余計な心配だった。犬は、呼びかけには知らん顔、黒い耳は、よそを向いたままだった。
『するとさっきの声は、空耳・・』
ちょいと首を傾げながら歩き始めた。
・・気をつけていきよ・・
また声がした。息が
光一は膝が抜けそうになった足を、なんとか踏ん張って歩き続けた。どこから声が聞こえたのかは、はっきりしていた。後ろの砂利山の上からだ。
『どうして犬がしゃべったりする?それとも僕に犬の言葉が分かる能力が宿ったのか』
振り返ったら、あの犬が飛び跳びかかってくるような気がして、そのまま人通りの多い交差点まで急いだ。
『ここまで来れば大丈夫』
大きく息を吸って後ろを見た。小さく見える砂利山の上にすでに犬はいなかった。
「人騒がせな奴!」
自分が勝手にビクついただけなのかも知れないけど、光一は八つ当たりのように舌打ちしながら横断歩道を渡った。
八時三十分、始業のチャイムが鳴った。
ざわめいていた教室が静まり、二年B組の担任、清水先生が教室に入ってきた。
「おはよう」
ほんの少し首を曲げて微笑んだ先生に、皆はほっくりと笑顔を浮かべた。
清水先生はこの春に、光一の中学校にやってきた。年は教えてくれないが、お姉さんといってもいいぐらい若くて美人である。担当の英語の教え方もすごくうまい。
「ほんと、ついてたよ」
光一らは隣のクラスの、いつもしかめ面の女性教諭と擦れ違うたびに言っていた。
ただし、休日の公開授業の日は大変だった。先生のファンになった父さん達まで押し寄せて、教室の後ろはすし詰め状態になってしまうからだ。
もちろん、光一の父さんも同じだった。先週の公開授業では、生徒と同じように「はいはい!」と手まで挙げていた。
「さて、今日の日直は、光一君とはるかちゃんね。お願いします」
光一は先程の犬のことで少し頭がぼーっとしていたが、名をいわれ、はっきりと目が覚めた。
日直の仕事は、授業の開始と終わりの号令と黒板消し、それに朝会の際の、一分トークというものがある。
「起立、おはようございます。着席!」
光一は隣の席の鈴本はるかと前に出て、勢いよく号令をかけた。が、内心は焦っていた。
一分トークで何を話すか、考えておくのをすっかり忘れていたのだ。
「私、昨日、お母さんとパイを焼いたんです。それで砂糖の量をまちがえて・・」
金曜日に打ち合わせしたとおり、先にはるかが話し始めた。
『まずい、僕の番になってしまう』
焦ると何も思いつかなくなってしまった。
「じゃあ、次は光一君ね」
皆の拍手の後、先生がいった。
「えーと・・今朝のことですが、僕、犬の声を聞いたんです」
「ウー、ワンワン!」
「今は友達の大切な話の時間です。それで光一君、どうしたのかしら」
途中で話を変えるわけにはいかず、他の話を思い付いたわけでもなかったので、光一は続けた。
最初こそ、吹き出す生徒がいたが、すぐに皆、真剣な顔になった。怖い話や不思議な話は大好きなのだ。はるかより大きな拍手を受け、光一はほっと息をついた。
「それで、今の二人に質問とか、意見がある人はいるかしら」
「はい」
先生の問いかけに、メガネをかけた
光一が予想していた通りだった。勉は引っかかることがあると、すぐに質問をする。テストは百点ばかりの秀才で、色んなことを知っているが、ズレていることも多い。遊びに誘ってもぜんぜん乗ってこない。ひょろりとした体型と、よく分からない奴という意味で、【宇宙人】というあだ名がついている。
「はい、勉君」
「光一君の話ですが、おかしな所があります」
「どういうことかしら」
「犬というのは、大体が近視なのです。それで遠くのものは、よほど白黒はっきりしていないと見えないのです。昼間の空は、僕らが思っているより、ずっと明るくて白っぽい。だから、今朝みたいに晴れていて、しかも筋雲があったら、飛行機雲はよく見えなかったはずなのです。この点について、光一君は、どう思いますか」
なるほど・・と、皆は感心したように頷いたが、半分は首を傾げた。
やはりズレている。犬が話をしたことではなくて、視力について指摘するなど。
『でも、確かに勉のいう通りだ。なんとなくつまらないけど、やはり、あの声は思い過ごしだったようだ』
光一はしょぼしょぼと返事をした。
「はい、自分でいうのも変だけど、その通りです」
「はい、それと・・」
勉はもっと意見があるように、また手を挙げた。けど
光一はなんとか朝会をやり過ごして席に戻った。
「それでは授業をはじめます。皆、英語のテキストを出して」
光一は何気なく先生の方を見た。下を向いて教科書をめくっているが、何故か、考えごとでもするように、その手の動きは滑らかさを欠いていた。
「こらこら、ぼっとしてないで」
ふと目があった先生の顔は、いつもの通り笑っていた。光一は慌てて机の中に手を突っ込んだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます