第3話 アルシラへ帰還

 見えてきた一際ひときわ高い大聖堂の尖塔せんとうに高揚感をいだきながら、タオは鐘楼しょうろうから届く荘厳そうごんな鐘の音を聞いた。高く響いた音が、徐々に柔らかく反復されていく。三回それが繰り返されたので、三鐘さんしょう――正午の知らせだと分かった。教団の鐘は一日に六回鳴らされ、夜の間の七、八鐘は鳴らされない。闇夜の神セロンが好む、静寂の為なのだそうだ。少し遅れて、別の鐘の音も響いてくる。こちらは少し低めの謙虚けんきょさを感じる音だ。ペレ・ルスの鐘だろう。リタイの町を出発して四日目、ようやくアルシラに戻ってきたのだ。


 大主教の座すアスプロス教団の本拠地であるアルシラは、石造りの立派な壁で四方を囲まれており、東西に連なるイェラーキ山脈から流れるフィロ川に北側を、南北に大陸を縦断するアエトース山脈から流れるリーザ川に南側を護られている。二十七年前に和平終結した、王都エランとの戦いの際も、この聖なる地は侵されていないのだそうだ。



 ロバの手綱を引いてしばらく歩くと、尖塔は高い石壁に隠され殆ど見えなくなった。代わりに広がるのは、貧民街だ。街と呼ぶには貧相な、木材やわらや石で組まれた簡易な小屋がひしめき合っている。

 彼らの中には壁の内側で人足として生計を立てている者もいるようだが、盗みを働く者も少なくないと聞く。そう遠くない場所から喧噪けんそうが、また別の方向からは年端としはもいかない子供たちの笑い声と罵声が混じり合うのが聞こえ、タオは少し胸が痛んだ。と同時に、自分は恵まれているのだと思う。だからこそ、このまま従士で終わるわけにはいかない。


 かろうじてひらけている門への道を進むと、道の脇に座り込んでいる老人の物乞いと目が合った。すがるような視線と共に、小さなわんを突き出される。タオはいつものように足を止めて腰に手をやり、そこで、すでに手持ちの金がないことを思い出した。焦ったその時、横から伸びた手から、一枚の銅貨が落ちる。それは椀の中で僅かに跳ねながら、しばし固い音を奏でた。


「エル、ごめん」

「いいさ」


 ほら行くぞ、と促され、タオは足早にエリュースに続いた。平時の日中である今、近付いてくる鉄製の門は開かれており、見上げるほどに高い。門の上部に当たる壁上の歩廊ほろう部分には等間隔で警護に当たっている兵士の姿が見え、門の両端にある円柱形の小塔の片方をなぞって視線を下ろすと、二人の衛兵が立っている。一人は後ろを向いて誰かと話をしているようで、もう一人がこちらに気付いたのか、その片方の腕を挙げた。


「お、リンツだ」


 隣でエリュースが大きく手を振った。相手の腕も、それに応じてくれている。

 二人と一頭で近付くと、スピアを片手に持った衛兵が親しげな笑顔で出迎えてくれた。鎖帽子メイルフードを被っており、袖付き鎖外衣メイルコートの下には皮鎧レザーアーマーが着込まれている。


「今回も無事に戻ってきたな、エリュース!」

「俺には、腕のいい騎士がいるんでね」


 エリュースに軽く肩を叩かれ、タオは照れくさく思いながら頭を掻いた。


「そうだったな! タオ、お前さんまだ若いのに、本当に見込みがあるぜ」

「ありがとうございます、リンツさん」


 褒められたことへの礼を、タオは丁寧にリンツに述べた。彼を含む、ここにいる衛兵たちは、アスプロス教団の大聖堂に雇われている兵士集団だ。外部組織なのだが、長年雇用され続けているため、今では大聖堂の衛兵として周りに認知されている。彼らの武装から見ても、教団は彼らを信頼し、充分な資金を与えているようだ。

 手を振って門を抜けるエリュースに、タオも続いた。



 町に入ると、先ほどまでの貧民街とはまるで違う世界が広がる。赤や緑や黄色など鮮やかな色の服装をした人々が行き交い、その中には白いローブ姿の聖職者も見られる。


 この東門から伸びるアルデア大通りには石が平たく敷き詰められており、それはほぼ真っ直ぐに、西門まで伸びている。南側の丘には大聖堂や教団、騎士団の各本部、エリュースの在籍している大聖堂付属学校などがあり、このアルシラの象徴が集まった場所だ。


 力強いつちの音や金属音に誘われて左手側を見れば、ペレ・ルス聖堂の隣にある施療院の増築工事の最中で、木の足場が高く組まれていた。数か月前からの工事で下部の壁はほとんど出来ており、地面にはトレッドウィール・クレーンが設置されているのが見える。ハツカネズミの回転車を大きくしたもので、その中を人が歩くことで回す大型装置だ。滑車に取り付けられたロープが回転車の回転によって軸に巻き上げられ、ロープに取り付けられている荷台を上げ下ろしする仕組みになっている。


「もしあれを使えてたら、もっとにかわを落とせただろうになぁ」

「だね。もうちょっと楽に戦えたかも。今回はさすがに、ちょっと危なかった」


 よく勝てた、と今更ながらに思う。エリュースと共に魔物討伐に出るようになって、一年と少ししか経っていない。初めは大聖堂騎士のオルダス・バトラーが、別任務に就かなければならないサイラスに代わって付き添ってくれた。二度目、三度目は先輩従士と共に出て、それからはエリュースと二人だ。一匹のゴブリンから複数相手になり、討伐の難易度を上げていき、そして今回のオーガ退治だったのである。


「ま、いい経験にはなったろ。それに、もらえる報酬もでかい」

「それは、素直に有難いね」


 タオは、エリュースの言葉にうなずいて同意した。適当な金額が貯まれば、またリタイ方面の任務のついでに、司祭に届けるつもりだ。あまりに待たせては、申し訳がない。


「エルのお陰だよ。こうして無事に帰って来れたのは」


 改まってエリュースに伝えると、彼のはしばみ色の瞳を持つ目が、可笑おかしそうに細められた。


「お前がいてこそだぞ、タオ。俺だけだったら、そもそもオーガ退治なんて依頼、受けてないしな。断言してやるが、お前は着実に強くなってる」

「そう言ってくれると励みになるよ」


 それでも、今回の勝利のみならず、これまで二人で得た功績はエリュースによるところが大きい。そうタオは思った。自分にとって、彼の存在自体が大きいのだ。作戦立案、交渉、その他諸々を、彼が全て引き受けてくれているのだから。


 その時、ふいに後方で驚いたような少女の声が上がり、タオは反射的に振り向いた。その声が誰のものなのか、考えるまでもなかったからだ。駆けてくる、笑顔の少女を待ち受ける。


「お帰りなさい、タオ!」

「ルゥ! ただいま」


 買い物をしていたのだろう、少女の片腕には大きなかごが掛けられている。ほんのりと頬を上気させて目の前に立った少女の栗色の長い髪は、今日は一つに結わえられており、下ろしている時よりも活動的に見える。どちらも似合っており、十数日ぶりの少女に悪い変化が見られないことに安堵した。


 真っ直ぐに向けられる同色の大きな瞳は、母ロイのものよりも明るく歓喜に満ちている。刺繍ししゅうが為された茶色の細帯があしらわれている若草色のコット(※丈長のチュニック型の衣服)は、確か彼女のお気に入りだ。


「どこも怪我はない? エルに無茶させられなかった?」


 自分の周りを歩きながらせわしなく眺め回され、その心配してくれている様子が嬉しく思う。

 タオは少しかがんで少女の顔に自分のそれを突き合わせ、にっこりと笑ってみせた。


「大丈夫だよ、サイルーシュ。ありがとう」


 途端、身体を硬直させたように動きを止めた少女の頬が、更に赤くなった。


「相変わらず、タオって綺麗な顔をしてるわね。その明るい金髪も、青空みたいなも」

「ルゥの方が綺麗だし、可愛いよ?」


 温かな頬を指先で軽くつつくと、上目遣いに軽くにらまれた。しかし耳まで赤く染まった状態では、可愛い以外の感想はない。


 少女――サイルーシュは、タオが五年前から寝食しんしょく共に世話になっている、大聖堂騎士サイラス・オーティスの一人娘であり、エリュースのに当たる。


 肩に上から重みが加わり、タオは少女の頬から指を離さざるを得なくなった。悔しいことに、エリュースの方が少しばかり、背が高いのだ。


「おいおい、俺もいるんだぜ、ルゥ。いくらコイツしか見えてねぇからって」


 あきれたような声が降ってきて、サイルーシュの視線が上を向く。一つ、大きなまばたきをした彼女が、身内に向けた自然な笑みを浮かべた。


「あら、エル。おかえりなさい。無事ね」

「ただいま、おかげさまで」


 さも当然という風に言ったサイルーシュに、エリュースが気を悪くした様子もなく返事をした。


「さて、じゃあ、お姫様に騎士を返してやろうかな」


 ロバに担がせていた荷物の内、エリュース個人の物が外される。出発時よりも荷物が増えているのは、気のせいではないだろう。


「夕方にそっちに寄る。その時にな」

「ああ、いつもありがとう」


 エリュースが依頼達成の報告に行ってくれるのは、毎度のことだ。オーガ退治の後、依頼主である領主に報告し報酬をもらったが、それはあくまで預かった状態であり、まだ自分たちが自由にできる金ではない。依頼請け負いの窓口となっている教団本部へ預かった報酬をそっくり届け、そこから幾分かが自分たちに支払われる、というわけだ。それをエリュースが等分に分けてくれる。


「夕飯はうちで食べるのよね?」


 確認するように問いかけたサイルーシュに、エリュースの片手が彼自身のあごさすった。


「そうだなぁ。そうさせてもらうか」

「分かったわ、お母さまたちにも言っておく。あんまり遅くならないでよ」

「おう」

「あ! それと!」

「うん?」


 きびすを返しかけたエリュースを、サイルーシュが再度引き留めた。


「またすぐどこかへタオを連れていくのは無しよ! 無茶なことさせるのも!」


 強めに発せられた言葉に、タオは驚きつつも、ぶつけられた親友に視線を送る。当のエリュースは視線を斜め上に外しながら少し考えるような間の後、向き直り、満面の笑みをサイルーシュに向けた。


「無理だな」

「えー!」

「でもまぁ、そんなすぐには俺も外には出られないだろうから、その間はタオに、存分に相手してもらえばいいさ」


 な? とその笑みを向けられ、タオは分かっていた答えに笑みで答えた。それから、子供のように頬を膨らませているサイルーシュに笑いかける。


「じゃあルゥ、買い物途中なら付き合うから、一緒に家に帰ろう」

「帰ったら、タオがいなかった時にあった、面白い話を聞いてくれる?」

「うん、是非」


 途端に明るくなった少女の表情が、愛らしい。感情に素直な表情を見せてくれる彼女は、自分にとってとても大切な存在だ。


「じゃあな。また後で」


 エリュースが今度こそ踵を返し、大通りを歩いていく。それを見送り、タオはサイルーシュを促して市場の方へと入った。


 東門を入ってすぐ右手側には穀物こくもつ市場が、そこから伸びる幾筋もの細い路地には、三、四階建ての木造家屋や商店が連なっている。不揃いに突き出た上層階が被さってきているせいで圧迫感があり、行き交う人々に混じっているスリに特に注意が必要な場所だ。

 周囲をさりげなく警戒しながら、タオはロバの手綱を引き、サイルーシュに続いた。

 

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