第3話 アルシラへ帰還
見えてきた
大主教の座すアスプロス教団の本拠地であるアルシラは、石造りの立派な壁で四方を囲まれており、東西に連なるイェラーキ山脈から流れるフィロ川に北側を、南北に大陸を縦断するアエトース山脈から流れるリーザ川に南側を護られている。二十七年前に和平終結した、王都エランとの戦いの際も、この聖なる地は侵されていないのだそうだ。
ロバの手綱を引いて
彼らの中には壁の内側で人足として生計を立てている者もいるようだが、盗みを働く者も少なくないと聞く。そう遠くない場所から
かろうじて
「エル、ごめん」
「いいさ」
ほら行くぞ、と促され、タオは足早にエリュースに続いた。平時の日中である今、近付いてくる鉄製の門は開かれており、見上げるほどに高い。門の上部に当たる壁上の
「お、リンツだ」
隣でエリュースが大きく手を振った。相手の腕も、それに応じてくれている。
二人と一頭で近付くと、
「今回も無事に戻ってきたな、エリュース!」
「俺には、腕のいい騎士がいるんでね」
エリュースに軽く肩を叩かれ、タオは照れくさく思いながら頭を掻いた。
「そうだったな! タオ、お前さんまだ若いのに、本当に見込みがあるぜ」
「ありがとうございます、リンツさん」
褒められたことへの礼を、タオは丁寧にリンツに述べた。彼を含む、ここにいる衛兵たちは、アスプロス教団の大聖堂に雇われている兵士集団だ。外部組織なのだが、長年雇用され続けているため、今では大聖堂の衛兵として周りに認知されている。彼らの武装から見ても、教団は彼らを信頼し、充分な資金を与えているようだ。
手を振って門を抜けるエリュースに、タオも続いた。
町に入ると、先ほどまでの貧民街とはまるで違う世界が広がる。赤や緑や黄色など鮮やかな色の服装をした人々が行き交い、その中には白いローブ姿の聖職者も見られる。
この東門から伸びるアルデア大通りには石が平たく敷き詰められており、それはほぼ真っ直ぐに、西門まで伸びている。南側の丘には大聖堂や教団、騎士団の各本部、エリュースの在籍している大聖堂付属学校などがあり、このアルシラの象徴が集まった場所だ。
力強い
「もしあれを使えてたら、もっと
「だね。もうちょっと楽に戦えたかも。今回はさすがに、ちょっと危なかった」
よく勝てた、と今更ながらに思う。エリュースと共に魔物討伐に出るようになって、一年と少ししか経っていない。初めは大聖堂騎士のオルダス・バトラーが、別任務に就かなければならないサイラスに代わって付き添ってくれた。二度目、三度目は先輩従士と共に出て、それからはエリュースと二人だ。一匹のゴブリンから複数相手になり、討伐の難易度を上げていき、そして今回のオーガ退治だったのである。
「ま、いい経験にはなったろ。それに、もらえる報酬もでかい」
「それは、素直に有難いね」
タオは、エリュースの言葉に
「エルのお陰だよ。こうして無事に帰って来れたのは」
改まってエリュースに伝えると、彼の
「お前がいてこそだぞ、タオ。俺だけだったら、そもそもオーガ退治なんて依頼、受けてないしな。断言してやるが、お前は着実に強くなってる」
「そう言ってくれると励みになるよ」
それでも、今回の勝利のみならず、これまで二人で得た功績はエリュースによるところが大きい。そうタオは思った。自分にとって、彼の存在自体が大きいのだ。作戦立案、交渉、その他諸々を、彼が全て引き受けてくれているのだから。
その時、ふいに後方で驚いたような少女の声が上がり、タオは反射的に振り向いた。その声が誰のものなのか、考えるまでもなかったからだ。駆けてくる、笑顔の少女を待ち受ける。
「お帰りなさい、タオ!」
「ルゥ! ただいま」
買い物をしていたのだろう、少女の片腕には大きな
真っ直ぐに向けられる同色の大きな瞳は、母ロイのものよりも明るく歓喜に満ちている。
「どこも怪我はない? エルに無茶させられなかった?」
自分の周りを歩きながら
タオは少し
「大丈夫だよ、サイルーシュ。ありがとう」
途端、身体を硬直させたように動きを止めた少女の頬が、更に赤くなった。
「相変わらず、タオって綺麗な顔をしてるわね。その明るい金髪も、青空みたいな
「ルゥの方が綺麗だし、可愛いよ?」
温かな頬を指先で軽くつつくと、上目遣いに軽く
少女――サイルーシュは、タオが五年前から
肩に上から重みが加わり、タオは少女の頬から指を離さざるを得なくなった。悔しいことに、エリュースの方が少しばかり、背が高いのだ。
「おいおい、俺もいるんだぜ、ルゥ。いくらコイツしか見えてねぇからって」
「あら、エル。おかえりなさい。無事ね」
「ただいま、おかげさまで」
さも当然という風に言ったサイルーシュに、エリュースが気を悪くした様子もなく返事をした。
「さて、じゃあ、お姫様に騎士を返してやろうかな」
ロバに担がせていた荷物の内、エリュース個人の物が外される。出発時よりも荷物が増えているのは、気のせいではないだろう。
「夕方にそっちに寄る。その時にな」
「ああ、いつもありがとう」
エリュースが依頼達成の報告に行ってくれるのは、毎度のことだ。オーガ退治の後、依頼主である領主に報告し報酬をもらったが、それはあくまで預かった状態であり、まだ自分たちが自由にできる金ではない。依頼請け負いの窓口となっている教団本部へ預かった報酬をそっくり届け、そこから幾分かが自分たちに支払われる、というわけだ。それをエリュースが等分に分けてくれる。
「夕飯はうちで食べるのよね?」
確認するように問いかけたサイルーシュに、エリュースの片手が彼自身の
「そうだなぁ。そうさせてもらうか」
「分かったわ、お母さまたちにも言っておく。あんまり遅くならないでよ」
「おう」
「あ! それと!」
「うん?」
「またすぐどこかへタオを連れていくのは無しよ! 無茶なことさせるのも!」
強めに発せられた言葉に、タオは驚きつつも、ぶつけられた親友に視線を送る。当のエリュースは視線を斜め上に外しながら少し考えるような間の後、向き直り、満面の笑みをサイルーシュに向けた。
「無理だな」
「えー!」
「でもまぁ、そんなすぐには俺も外には出られないだろうから、その間はタオに、存分に相手してもらえばいいさ」
な? とその笑みを向けられ、タオは分かっていた答えに笑みで答えた。それから、子供のように頬を膨らませているサイルーシュに笑いかける。
「じゃあルゥ、買い物途中なら付き合うから、一緒に家に帰ろう」
「帰ったら、タオがいなかった時にあった、面白い話を聞いてくれる?」
「うん、是非」
途端に明るくなった少女の表情が、愛らしい。感情に素直な表情を見せてくれる彼女は、自分にとってとても大切な存在だ。
「じゃあな。また後で」
エリュースが今度こそ踵を返し、大通りを歩いていく。それを見送り、タオはサイルーシュを促して市場の方へと入った。
東門を入ってすぐ右手側には
周囲をさりげなく警戒しながら、タオはロバの手綱を引き、サイルーシュに続いた。
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