第26話すれ違いの二人(2)

 帰りたかった。昨日の今日で何故あの女に会わなければいけないんだ。アイドル好きだと、しかも二次元のアイドル好きだともしもこの人に知られたらどうする。



 もう、生きていけないだろう。



 ハンドルを握ったまま唇を噛み締めた。くそ、安全運転で行けば彼女の会社に着くのも遅くなるだろうと思うのに、いち早くこの空気から逃れたい気持ちも勝っている。


 バックミラー越しに見れば、那須川さんは物憂げな顔で外を眺めていた。恋をしてるのか、あの人に。泣く子も黙る組頭のあなたがあの何処の人間かも知らない女に、恋をしてると?


 認められなかった。あんなどこにでもいる一般人にうつつを抜かす那須川さんなど、認められない。


 これは側近として必ずや阻止しなければと思うのに、先程の蹴りが効いていたのかそんな事はできないともう一人の自分が邪魔をする。


 え、蹴る?そんなに嫌だったか?流石に若い時以来のあの蹴りには恐れもあった。




 こっえ〜〜!!!





 そう叫んでやりたかった気持ちもあった、なんなら今も持ってる。ハンドルを握る手は震えてるし、那須川さんを怒らせてしまった事にも責任を感じている。


 那須川さんは怒らせると手がつけられない。昔から言われていた伝説のようなその言葉を頭の中で何度も反芻させた。


 やっちまったな藍千賀。今は違う組へと引き抜かれた同僚の顔を思い出して、くそ、と心の中でぼやいた。


 これも全部あの女のせいだ。何を理由にあそこまで那須川さんが彼女を慕うのかは知らないが、あの女は自分の秘密を知っている唯一の人間だ。


 抹消しなければ、二人の仲を引き離さなければ。



 モモニャンを知っている人間は貴重だ。勿論同志として仲良くしたい気持ちもあれど、依然として三次元の女に興味が持てなかった。


 那須川さんがここまで入れ込んでしまう女性だ。


 俺なんかと仲間になれるわけがないだろう。そしてあまりにも交流の深い二人を見ていると、同時に恐怖にも襲われたのだ。




 俺が、二次元のアイドル好きだと那須川さんに知られるのでは無いか。




 そんな事、絶対にあってはいけないだろう。




「那須川さん、着きました」


 榊原さんの会社の前に着いた。道路の端に車を停めて後ろにいる彼に声をかければ、那須川さんは上を見上げていた。


 道路側に面した窓ガラスのあるビルの三階。こんな偶然絶対にある方がおかしいのに、そこに立って書類を持っているのはそう、榊原さんだ。


 見たことのある顔。仕事の時は髪を結ぶのが常なのか、会うたびに降ろしていた髪の姿とは違う。


 窓を開けた那須川さんが、彼女のことを見るためか顔を外に向けた。このボスはどうして、その女の人のためにそこまでするのだろう。


 顔が見れるだけで良いのか。バックミラー越しにでもわかるほどの優しい笑みを浮かべた彼はまた窓を閉めると、小さく「車を出せ」と言った。


「良いんですか?」

「あぁ、良い」


 じゃあ何しにきたんだよとは聞かない。この世界にいる人間の多くは、周りにはおおよそ想像つかない行動を取る人間ばかりだと知っていたから。


 きっとこの人は、その綺麗な顔で幾人もの女性を落としてきたのだろうし、そしてきっとあの榊原さんとか言う女性をも落とす気でいるのかもしれない。


 あんなに一般人とは線を引けとかいっていた人間が、こうまでするのだ。


 俺のように画面越しに応援する恋やら愛情やらだってある事を、きっとこの男は知らないんだろう。

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