第16話聡子に愛を(1)



那須川さんの側にいるようになって、すでに5年が経った。5年を共に過ごしていくうちに、彼の顔は幾つもあるなと思うようになった。


初めて会った時のあの仏頂面と、客に見せるときの綺麗な笑顔、彼のボスである平井沢さんに会う時の嫌な顔や、取り締まっているクラブに行く時の怠そうな顔。


極道にしては、色んな表情を持つ人間だと思った。組頭にしては、感情を持ちすぎる人だと思った。


男にしては、器用すぎる人だなとも思っていた。


そんな人に、最近新たな感情が芽生えたらしい。顔よし、気前よし、金もあってコミュニケーションもよく取れて、クラブに行けば他の女達が黙ってない、それなのに女の影さえ見せない那須川さんに、優しい顔を作らせる人が現れた。


「藍千賀さん、藍千賀さん」

「……はい」


一番シノギを稼いでるクラブに行く時の那須川さんは、機嫌がいい。オーナーの話も通じるし、所属してる嬢達が那須川さんに取り持って欲しいと媚をしないからだ。


それはナンバーワンの彼女も一緒で、きっとこの中で一番フランクな女性だった。それは見ていてこちらもヤキモキしないし、何より那須川さんが機嫌を悪くしない事が自分の唯一の精神の安定だったから。


オーナーと気さくに笑いながら話している那須川さんをチラリと見て、彼女、源氏名リリアの、ナンバーワン嬢が俺に話しかけた。


「最近那須川さん、機嫌良いですよね」

「…そうですね」

「オタクになっちゃったんですよ、私のせいかも?」

「……そうですか。ですが、楽しそうなので」

「そっか、それなら良いんだけど」


綺麗に染まっている金髪を指に巻きつけながら、彼女は笑った。綺麗な顔の割には持っているスマホについているストラップが、知らないキャラクターのものばかりで。相変わらずこの人もギャップが凄いなと心の中で感嘆の息を吐く。



ああ、そういえば那須川さんもギャップがある。



彼の部屋には、絵がたくさんある。知らない絵画が、たくさん置かれてある。その半分は、那須川さんが趣味で描いてる絵なのだと一度だけ教えてもらった。


空の絵、海の絵、ネオン街の黒の街、酔いつぶれているホストに、吸い殻のタバコが机に置かれてるそんな絵も。紙に書かれたそれを壁に貼っては、タバコを吸いながら煙を吹きかける彼の後ろ姿を、側近になってまだ半年も経ってない時に見た事があった。


憂い気に見つめてる横顔を覗き込んだ。どんな思いを煙に乗せて吐き出しているのか、その真意を探りたくて覗き込んだ。


彼は俺を見てはいなくて、ただまっすぐと、机に浅く腰をかけながらその絵を見つめていたのだ。


「藍千賀、少し時間がかかる」

「はい、ここで待機してます」


俺の言葉に首を振った那須川さんは、クラブのオーナーに連れられて裏口に消えていった。姿がみえる場所で待機するため、裏口の扉の隣に移動する。そんな俺を、リリアさんは笑いながら見つめていた。


「藍千賀さん、那須川さんに心底惚れてますね」


深紅の長いドレスを身に纏って、彼女は言う。肌けさせた胸元に光るのは、ダイヤのネックレスだ。一番の太客である男の客にそれをもらったらしいと聞いた事がある。自慢をするわけではないが、ただ自分の仕事のためにそれを見える場所に身につけるのは嬢の宿命か。本当に欲しいのはこんなのではなくて、マンガ本だと嘆いていたのを思い出すたびに、そのネックレスが不憫に思えて仕方ない。


彼女の言葉に首を縦に振って、前に組んだ手に力を入れた。


心底惚れているかと聞かれたら、どうなのか疑問には思う。ただ、極道になるしかなくてなってる自分の身の中で、彼を目標にしたいとは常日頃思っていた。


だからこそ、そんな那須川さんの前に最近現れたあの榊原さんと言う人物が、不思議でならないのだ。


一般人とは関わらないのが彼のモットーではなかったか。いくらそれが取引先だとしても、女性と二人きりで食事をしないのが彼のモットーではなかったか。


治安の良い場所に、一般人が多く住む場所に、車でさえ立ち入るなと。極道と一般人の間に線引きをするのが、彼ではなかったのか。


疑問だった。そんな彼女にあそこまで尽くす那須川さんが。とられた、と思っているわけではないが、自分の思う憧れの存在が、俺と同じような憧れの目で彼女を見ているのが、疑問だった。


どこからどう見たって普通の人ではないか。


男の憧れを、女の憧れを、一身に背負ってる貴方が、憧れるような人ではないだろうと。



ほんの少しの疑問を燻った心は、ナンバーワンの嬢には汲み取られてしまうのか。彼女は俺の前に立ちながら、顔を覗き込むように上目遣いで見つめてきた後、客の相手をする時のような綺麗な笑顔を見せつけた。


胸の谷間が見えている。いや、見せつけているのは分かっていた。その間に滑り込むように、ダイヤに光るネックレスが添えられていて、一体いくらするんだろうかと頭の中では思っていた。



「相談乗りますよ?ナンバーワンキャバ嬢リリアちゃんは、お優しいので」



ウインク一つ。飛んでくるハートを吐いたため息で吹き飛ばした。

藍千賀恭弥、俺は三次元の女には、興味がないのだ。

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