第12話サークル名を決めよう(3)
困ったな、今から同人誌の話をすると言うのにこんな目の前でステーキ焼かれながら話していいのか?渡されたおしぼりで手を拭きながら、さてこの後どうやってこの人とオタクトークをしようかと頭を巡らせる。
ナスさんはメニューを開きながらノンアルコールのカクテルや、ソフトドリンクのページを開いて見せてきた。
男女で酒を飲むのは避けている。最初に言っていたあの言葉を思い出した。徹底しているんだな、仕事柄なのだろうか。勝手なイメージ極道は、お酒を毎日飲む職だと思っていた。それはもしかしてホストか。最近のヤクザは違うのかもしれない。
彼から受け取ったメニューをもらって、ノンアルコールカクテルのそれぞれの名前の隣の値段に目を見開いた。
見なかったことにしよう。
「烏龍茶で」
「わかりました、烏龍茶二つ」
目の前に立っているコックさんが、にこやかに笑って鉄板に火をつけた。
ナスさんを見つめて、その後に私を見て、その笑顔がさらに深いものになる。
「那須川さん、そちらの方は?もしかして恋人だったり」
「詮索するな、この方はそんな言葉で語れるような人じゃない」
え、誰?
目が点になるとはこう言うことなのか。
ナスさんの言葉にコックさんはまたもや笑うと、お肉を取り出して鉄板で焼き始めた。
すごく気まずい、この空気。ナスさんのいつもと違う硬い口調になんと返せばいいのかも分からない。ただ、相変わらず背筋は伸びたままだったから、緊張はしているらしい。
「それで、ナス…川さん」
「はい」
隣に座る彼を見上げて、どうやって同人誌について話せばいいのかと模索した。こんな高そうな所でおおっぴろげに「ではまずR18かどうかについてですが」とは言えないだろう。
彼の耳に口を寄せて、こそこそと話をする。私のために背中をかがめてくれた彼にお礼を言って「令Rでいいですか」と、まるで隠語のように聞いてみた。
「勿論です」
「あの、少し一話書いてきたんですけど…」
「……本当に……?」
ひっっっっく、声。
私から顔を話して、ナスさん、いや那須川さんは目を見開きながら私を見下ろした。睨んでいるのかなんなのかそれはよく分からないが、戸惑っているのは分かる。
震える手が伸びてきた。私の肩を掴んで、いや掴む直前に膝に戻った手。視界の端に映ったそれは、やはり大きい。
「読んでも……?」
「はい、どうぞ」
目の前で読まれる事はとても恥ずかしいが、まぁいいだろう。鞄にしまっていたスマホを取り出して、メモ帳に書いていた文章を、彼に見せた。
どこにも掲載していない、自分の頭の中にだけあるそれを、彼が読んでいるというこの状況が、おかしい。
「…那須川さんと知り合いで?」
スマホを渡してからというものの、那須川さんは随分と集中してしまったようだ。かぶりつくように、小さいスマホを覗き込んでいる。
お肉を焼き終わり、均等に切り分けたコックさんが、私に話しかけた。紳士的な人だった。彼の周りには低い声の人が多いのか、なんとも渋い声に思わずうっとりとしかけてしまう。
知り合いか、そう聞かれると困ってしまうもので。オタク仲間ですと言えたらいいのだけど、このお店にその言葉は似合いそうにない。
「そう、ですね。最近仲良くさせてもらってます」
「へぇ…那須川さんが女性を連れてくるのは初めてなので、驚きました」
「そうなんですか?モテそうなのに」
「えぇ、モテますよ、この人」
だろうな、と思った。横目でちらり、彼を見れば。私の文章を読んで感動しているのかなんなのか、肩を震わせて手で口を覆っている。
「………モテる、はずなんですがね」
コックさんは苦笑をこぼしながら、肉を皿に取り分けた。美味しそうなにおいが充満している。綺麗な赤に茶色の外側。これを食べていいのか。一人で食べるのもあれだろう。いまだに小説に夢中になっている那須川さんの肩に手をおいて、彼の名前を小さく呼んだ。
びくりと揺れた体が、跳ねた。私の顔を見上げたその頬に、涙が一筋、流れていて。
「……那須川さん、また、泣いてる」
「…お目汚し、すみません……」
流れた頬の後、そこは恥ずかしさから真っ赤に染め上がっていた。
『モテるはずなんですがね』先程の言葉が思い出される。モテるはず。いや、こんなにイケメンだもんモテないわけがないのに。
どうしようもなく可愛く見えるその顔に、胸がきゅっと締め付けられてしまった。
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