第8話ナスの照り焼き(2)
「那須川さんも仕事帰りだったんですね〜お疲れ様です、ご飯は?」
「榊原さんこそ、お疲れ様です。いや、まだです」
何でこんなことに。
頭ではそう思いつつも、何か話さなければの一心で口を開いた。仕事帰り、ぼーっと歩いていたのは私が悪くて。イヤホンから聞こえた通話音にスカートのポケットから取り出したのが10分前ぐらい。その画面に載ってる名前に、びっくりしたのも10分前ぐらい。
恐る恐る出たら、案の定ナスさんの声が聞こえて。一度お会いしたあの時の、あの低い声が耳に届いた。
丁度今、蜜柑さんが見えてるんですが。
え、どう言うこと?
周りをキョロキョロと見渡せば、たしかに車の中から顔を出して、スマホを耳に当てている男性がいた。あ、ナスさんだ。なんかいかつい車に乗ってる、前とは違ってくたびれたようなスーツ姿に少しだけ親近感を抱いて、小さく手を振ったのがきっと8分前。
夜も遅いから最寄りの駅まで送ると、そんな優しいことを言ってくれた言葉に丁重に断ったはずなのに、気づけば何故か車に乗っていた。
流石に、流石に危機意識は持ってるし、本当に偶然なの?とか、本当にこの人安全?とかそんな事思ってないと言ったら嘘になる。それでも、まぁ。まぁいいでしょうナスさんだし!と、結局オタク特有の吹っ切れ具合で車に乗らせてもらったのが、ついさっき。
動き出した車の中、後部座席に二人横に並んで、何か話をしようと今は奮闘中だった。ナス、那須川、どっちを呼べば良いのだろうかと悩んだが、運転してる人が明らかにタクシーの運転手とかそう言うのではないことが分かっていたので、きちんと那須川さんとお呼びすれば、彼もまた私を榊原さんと本名で呼んでくれた。
凄い、察し能力が高い。さすがヤクザだと思った。本当にヤクザかどうかはわからない。
「私は明日お休みなので、今日はちょっと多めに作ろうかなーって」
「へぇ、いつも自炊してるんですか」
「一人暮らしですからね、節約?みたいな」
「あぁ、なるほど」
冷蔵庫に入ってるのは何だったかな。にんじん、玉ねぎ、キャベツ、レタス、ナス。ナス?そうだナスがあった。
ちらりと、隣にいる彼を見れば。いつだかのオフ会の時みたいに膝に置いた手を握りしめて、背筋を伸ばしながら前を向いていた。何をそんな緊張してるのか、多分私がもっと緊張すべきだろうなとは思うも、こうも硬くなられると逆に柔らかくなってしまうもので。
「那須川さん、ナスだったら何が好きです?ナスの煮浸しとか?」
どうでもいい質問を投げかけてみた。彼は一度体を固めて口を閉じた後、ゆっくりと私を見下ろした。ぎ、ぎ、ぎ、とまるでロボットのようにゆっくりと。錆でもついてるのかと言いたくなるそれに、思わず笑いそうになるのを我慢して。
彼は目を何度か瞬かせた後、息を吐きながら口を開いた。目尻は下がって、膝の上で握っていた手の力も抜けている。少しは私と話す時の緊張が抜け落ちてくれただろうか。
多分部下の方の前だからなんだろうけど、この前のオタクトークした時みたいになってくれたら、そう思って投げた質問を、彼はあの時見せた笑顔を浮かべて答えてくれた。
「ナスの照り焼きが、好きですね」
どうでもいい会話すぎて、おかしかった。そうなんだ、そうなんですね、一言一言そう言いながら、やっぱり我慢できなかった笑い声をあげて、私はお腹を抱えた。
こんなに強面な人なのに、こんなにガタイが良くて背も高くて、車の天井にほぼ頭ぶつかってるのに背中を伸ばすのを止めない人なのに。
ナスの照り焼きが好きですと言った時の顔が、とても可愛くて。極道だろうとヤクザだろうと、なんとなく。それは関係ないかもしれないなと思った。関係はあるかもしれないけど、でもないかもしれないと思ったっていいだろう。
楽観的に物事を考えてしまうのは私の悪い癖だ。それでも、彼との出会い方は、職種なんて関係ないステージ上での出会いだったのだから。
「あはは、私も、私も照り焼き好きです…っ」
「わ、笑わないでくださいよ…」
お腹を抱えて目尻から溢れる涙を掬ってる私をみて、那須川さんは慌てたように汗を流していた。
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