第3話ナスと蜜柑(3)


「ナスさん、ビール飲みます?」

「いや、遠慮します。男女で酒は控えてるから」


おお、すごいや。絶対カタギの人じゃないだろと内心思いつつ、向かいに座る彼の圧迫感に胸が詰まる。偏見はない、オタクの間にそんなものは必要ないから。ただ、私の好きなものが相手の地雷じゃなければそれでいいのがこの世界でしょ、あれ、違う?


自問自答を繰り返して、メニューを眺めた目を上げてみる。ガタイはでかいし大きいし、筋肉質なのがスーツ越しにも分かる彼は、なんだか居心地が悪そうにそわそわとしていた。

嫌だったかな、本当は。オフ会とかあまりした事ないのかな、仲良くなった人と会うことに抵抗が無いのは、確かに危機意識が足りないかもしれないけど。ナスさんは大丈夫だと思って声をかけた。


もしも迷惑なら申し訳ないなと思って、烏龍茶を二つ、後は適当にご飯をいくつか頼んで、メニューを机の上に置いた。


「ナスさん、ごめんなさい。迷惑でした…?」

「あ、いや、そういうわけではなくて…」


ナスさんはどうやら戸惑っているらしい。オフ会に現れた腐女子だろうと思ってた人間が男だもん、私も動揺してる。


でも、令矢とリーンの人形ストラップを握りつぶしながら現れられたらそんなもの吹き飛んでしまうのも仕方なくて。あれ握りつぶしちゃいます?なんて、心の中では思っていた。


机の上に置かれた水を飲みながら、彼を見つめる。いまだに顔を俯かせたまま、でかい体が勿体無いぐらい縮こまってるその姿は、どこからどう見ても大型犬だった。


「ナスさん男の人だったんですね、女の人だと思ってました」

「す、すみません…騙してたわけでは…!」

「最近腐男子流行ってますし、気にしないで下さい…!」


両膝に手をついて、頭を下げるナスさんに手を横に振る。騙されたなんて思ってないし、綺麗な言葉口調に女の人だと勘違いしたのは私だから。

ナスさんは重いため息を吐いた後、顔を手で覆ってしまった。恥ずかしいのか、なんなのか。ストライプ柄のついたスーツに、きっちりと第一ボタンまで絞めたネクタイが似合っているのに、その動作には恐ろしく似合ってなくて。


「いつもどうやって絵描いてるんですか?」

「…スマホで」

「え、スマホ?」

「指で…」

「え!?指!?」


あんなに綺麗なタッチでめちゃくちゃにエロい絵を描く人が目の前の人というだけでも驚愕なのに。まさかの作業環境がスマホだということに驚きを隠せない。この人、すごいな。ナスさんに対して何度思ったかわからないその感情を抱きつつ、感嘆のため息を一つ吐いた。


「凄いですね……」

「いや、蜜柑さんこそすごいです。文章力も勿論ですし、執筆のスピードに話の展開、キャラクターの心情描写どれをとっても蜜柑さんが一番解釈が一致過ぎて、初めて読んだ時俺泣きました」


すっごいや、男の人でもこんな怒涛の様なオタクトークするんだ。


「あはは、なんか面と向かって言われるとめっちゃ恥ずかしいですけど、凄い嬉しいです」


ナスさんは、私を見上げて目を瞬かせた。ぱち、ぱち。二回閉じられた後再度開かれたそこは、さっきまでの動揺は消えていて。

少し気恥ずかしそうに、私から顔を逸らしてしまった。


「烏龍茶でーす、唐揚げと、焼き鳥の盛り合わせ、炒飯に大根サラダでーす」


店員が個室に入ってきて、食べ物を机の上に置いていった。いってみたかったこのお店のフェア、それは全て無料で大盛りを頼み放題、だった。


机の上に広がる溢れんばかりにあるチャーハンに唐揚げに焼き鳥にサラダを、両手を合わせながら見つめた。これが全部、通常と同じ料金になるなんて、素晴らしすぎる。おぉ、と声を漏らしたのは私だけじゃなくてナスさんもで、二人してスマホを取り出した。


スマホのケース、裏側に入っているカードにお互いに気づいたらしい。ウエハースコラボしてた時に手に入るプラスチックのカード、どちらもそれはキラキラと輝いているSRのもので。


私はリーン、そしてナスさんのそこには、令矢のカードが入っていた。


「えー!やば!ナスさんすごーい!!」

「俺、リーンのそれは出せなかったんです」

「私もですよ〜!令矢の欲しかったんですよ!」


机にあるのは大盛りの食べ物。私たちの持ってるスマホには、お互いの推しのカード。これは、もうこれはするしかないじゃないか。


「ナスさん!交換しません!?」


透明のスマホケースを取り出して、カードを一枚抜き取った。ナスさんも同じ様にそれを取り出して、お互いにそれを差し出す。こんな事ってあるのだろうか、いやあり得てるからいいんだ。

何個も食べたウエハース、どうやってもでなかった推しSRを、推しの絵師さんから貰えるなんて。


しかも目の前にあるのは大好きな唐揚げが山盛りだ。一週間の仕事の疲れなんて吹き飛んでしまう。あまりの楽しさに、さっきまでの緊張なんて吹き飛んで、私はナスさんに怒涛の様に話しかけていた。


大きい声で笑って、ご飯を食べて、令Rの尊さについて語って、ナスさんの見解も聞いて。実に素晴らしいオフ会だった。全て食べ終わって時間も時間だしと店を出た時に、ナスさんに迎えがきてるから送ろうかと言われたけど、それは少し申し訳ないと思って断ったのが気がかりだけれど。


彼は気にしてない様子で首を縦に振った後、スマホの画面を私に見せた。

友達追加のQRコード。私と、連絡先を交換したいらしい。まさかそんな申し出があるとは思わなくて、思わず目を見開いてしまった。


「嫌なら…」

「あ、いや全然そんな事なくて。本名でもいいですか?」

「俺も本名だから、大丈夫です」


カメラを起動して、彼のスマホを写真に撮る.新しく追加された友達の名前に、ナスさんの本名だろう那須川大希と書かれたアイコンが現れた。


「那須川さんだから、ナスさん?」

「えぇ、まぁ」

「えー安直〜」

「…そういう蜜柑さんこそ、全然関係ないですけど」


この短時間でわかったのは、ナスさんはいじられることに慣れていないらしい。むっと眉を顰める姿が可愛くて、何度か茶化してしまったことを心の中で反省しながら、今もまた同じことをしてる自分に苦笑をこぼす。


見た目は怖いのに、こういうところは大型犬みたいで可愛らしいのだ、仕方無い。可愛いなんてきっと男の人に、しかも年上の強面のお兄さんに思ってはいけないだろうけど、オタク仲間に思うことぐらいなら許されるだろう。


「蜜柑が好きだから」


スマホで口元を隠しながら、ニヤニヤ笑ってそう言った。すっかり暗くなった夜の空の下、人の多い飲み屋街のここは酔っ払いの声がうるさくて、私の声なんてきっとちっぽけな筈なのに。


彼はそれを聞いて、ぷはっと吹き出す様に笑った。多分、今回のオフ会で一番素に近い笑顔だった気がする。



「蜜柑さんこそ、安直だ」



ネオン街が後ろに広がってるのに、なんとも言えないその爽やかさは、きっとノーベル賞だって取れるぐらいの笑顔だ。なんの職業をしてるのかはわからないけど、オタクにそんなの…いや、その笑顔になら、そんなのは一切関係ないだろうな。


そう思えるぐらい、キラキラとした楽しい楽しい、良い夜を過ごした気がした。

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