弟との対話――そして幼馴染あらわる
「どういうつもりだ、アシュレイ」
目の前で俺を叱っているのは私の親父さんだ。名家の当主で心労が多いのか、ちと額が広い。
「どうって言うか。喧嘩しただけだろ。大したことじゃねぇよ」
「――っ!! バカ娘が。大衆の面前でサルビア家の嫡男と大喧嘩し、さらには面目をつぶすなど……っ、これでは当家の今後の方針も変えざるを得ん」
件の喧嘩から一日たって、早朝。ここは私の家の、親父さんの書斎だ。部屋の中には親父様と私の他に、あと二人いる。
「はっ!! 良かったじゃねえか、未来に起こる厄介ごとが早めに出てよ。それに多分、あのガキは大丈夫だと思うがねぇ」
「……あ、アシュレイ、さっきからのあなたは、ちょっと、その、言葉が乱暴よ。愛しい人とその、大変な事があったのはわかるけど、元の優しいあなたに戻って、ね?」
そう言って割って入ったのは私のお袋さんで、年齢を感じさせない美貌とけしからんパイパイの持ち主だ。でもお袋さんなせいか、全然ムラムラしてこない。残念だ。
「あー、こっちのが楽なんだよ、気にすんなよ」
「アシュレイ、母に向かってなんだその態度は」
「あー、悪い悪い。気が向いたら取り繕うから、今は気にすんなって」
俺がそう言うとお袋さんがふらっと倒れて、慌てて親父様が支えた。それから使用人に命じてお袋様を自室に下げさせた。
「――色々と言いたいことはあるが、私はサルビア家や学園長へ謝罪に行かねばならん。帰ったらこの話の続きをする、それまで大人しくしているのだぞ。アスラ、しっかりと姉の様子を見張っておくのだぞ!!」
「はいっ、お父さま!!」
「おー、わかったわかった。親父も気を付けろよ~」
親父様はプリプリしながら出ていった。
俺と弟君は仲良くリビングでくつろいでいる。
「父さまを怒らせて楽しいんですか、姉さま」
弟君の声は冷たい。ああ、くつろいでいるのは俺だけだった。弟君の背筋はピンと張り詰めていて、尋常ではない緊張感がある。まあでも男の機嫌なんて何の価値も無い。よって気にする価値も無い。
「別に楽しんでねえよ。むしろ心配してるんだぜ、あんなカリカリしてちゃあまた額が広がっちまうなって」
弟君がを吹きだした。汚ねぇな、唾を飛ばすなよ。
「――ゴホン、そんな事を言ってるんじゃない。僕は姉さまの事を心配してるんですよ」
「あ? クソ王子の取り巻きが何言ってんだよ。姉さま裏切っていい子ぶってんじゃねぇよ」
私の記憶では、弟君はビッチちゃんにぞっこんだ。昔は『ねえさまー、ねえさま―』と何をするにもくっついて来ていたのに。
……たぶん私は、クソ王子や騎士のお坊ちゃんの事はともかく、弟君を盗られたことにはビッチの事を本気で怒っていた。
「あ、あれは違いますよ。ベイル様があんなことを言い出すなんて思っても無かったんです。ただ最近の姉さまはおかしかったから、それを諌めようと思って集まって。別に裏切った訳じゃないんです」
弟君はガキ特有のキラキラした眼差しで私を見つめる。そこまで必死にアピールしてこなくても嘘じゃないのはわかるんだが、ちとこういうのは苦手だ。
それに私がおかしかったという心当たりもある。
私の記憶には無いが、俺が考えるに、それはある。
私は人望のある名家の御令嬢で、端的に言えば先輩から後輩まで多くの人に好かれる女生徒だった。
だがこの私はまだ十七歳の子供で、人に好かれることと、人に嫌われないことがイコールでは無いと、わかっていなかった。
多くの人に好かれる私は言ってみれば強い光で、それに好意を持つ者は確かに多いだろうが、同時に煩わしく思う人も多かったはずだ。
そして私の持つ光は、婚約者のクソ王子とあのビッチちゃんがきっかけで、翳っていった。
私が強い光を放つうちは、不満の声は小さく聞こえなかったろう。だが私が輝きを失うほどに、私を嫌う声ははっきりと聞こえてきた。
私はそれをビッチちゃんのせいと思い込んで心の平静を保とうとしていた。
だがその不満はもともと私へのモノだったのだ。
私はずっと燻っていた嫌なものに目を向けてこなかっただけで、それは確かにそこにあったのだ。
そしてご立派な家で蝶よ花よと育てられ、順調なエリート街道を歩んでいた私は、他人の悪意というものへの耐性が恐ろしく低かった。
「……あー、つまんねえな。停学なんてよ。なあ兄弟、盛り場ってどっちにあったっけ」
私が住んでいるこの都市を俺は訪れた事があるし、私の記憶の中にも多少は知識がある。
とはいえ俺の記憶は古いものだし、私の記憶ではそう言う場所は女が近づいてはいけないエリアという程度のものでしかなく、女子供にも酒を出してくれそうな店は知らなかった。
「……姉さま、あなたは停学中で、自宅謹慎を命じられて、ついでに僕はそのお目付け役として学校を休んでここにいるんですが、今なんて言いました?」
「あん? だから、酒飲めるところ教えろって言ったんだよ。暇なら飲むのは常識だろ」
何を当たり前のことを聞いてんだ、弟君は。
「勉強しろよ!! いや、せめてもう父様が返ってくるまで部屋で寝ててください。お願いですから」
「あー、わかったわかった。じゃあ俺は家を出ねえから、ちょっと酒買って来いよ」
「なんでそうなるんですか。っていうか姉さまパーティーの時でもめったにお酒は飲まないじゃないですか」
どうしたんですかと、犬っコロみたいに弟君はキャンキャン吠えてくる。昔は尻尾を振ってたのになぁと、
「いいじゃねえか。昼間っから寝て過ごすんなら、酒の一杯も引っ掛けるのが普通だろ。
……ん? そういや家ん中に酒ぐらい置いてるよな普通。俺は知らねえけど、……んー、地下の倉庫の方っぽいよなぁ。ちょっと行ってくるか。
……なんだよ兄弟、家から出ないんだからいいじゃねえか」
「そもそも、お酒を飲んではいけないって言ってます」
はぁ……、頭の固い弟君だぜ。
「姉さま、もしかしたらとは思っていますが、貴方は本当に僕の姉さまですか?」
「……へぇ?」
弟君が全身に緊張感をみなぎらせて、恐怖を潜ませた視線で俺を睨み据えた。
「顔も身体も姉さんのものですが、言葉遣いだけじゃなく仕草も野卑で、まるで別人です。悪魔付きという病気があると聞いたことがありますが、もしかして――」
「ちげぇよ」
「――そ、そうですよね。そんな突拍子もないことあるわけないですよね。ちょっとショックが強すぎておかしくなってたみたいです」
「俺は悪魔じゃなくて悪霊だわ」
弟君が固まった。
しばらく待ってみるが、反応が無い。
目の前で手を振ってみたが、やはり反応が無い。
仕方がない。
ぎゅっと、弟君の大事なところを握った。
「うぎゃぁぁぁぁぁあああああああ!!!!」
「おっ、結構立派だな。童貞のくせに生意気な」
弟君は顔を真っ赤にして狼狽えていた。
「ど、童貞関係ないでしょ!! こ、このっ、何するんですか貴方は!!」
「いや、生きてっかなぁと心配になってよ。脈を計ったんだよ」
「みゃ、脈を……。そ、そうですか、心配をおかけしました」
「いや、嘘だけどな」
うがーと、弟君は暴れ出した。落ち着きのない弟君だぜ。
「……それで、悪霊のあなたは、姉さまからいつ出ていくんですか。いえ、どうせ出ていかないんでしょうから、一緒に教会に行きましょう」
「おいおい、まあ確かにどうやって出ていけばいいか分かんねぇけどよ、俺みたいなのに憑りつかれたって事をもうちょいちゃんと考えろよ。
お前の姉ちゃん、心が死にかけてんだよ。たぶん俺が出てったら廃人みたいになるんじゃねえかな」
弟君の顔が呆気にとられたものになり、それから次第に青ざめていく。
「それも、嘘なんじゃないですか?」
そうして震える声でそう言った。そうであってほしいと縋るような声だ。
「バーカ。姉ちゃんが無理をしてたのはお前も知ってるだろ。
親父さんやお袋さんは気付いてなかったけど、お前は、気付いていただろ。そうして無理をしても取り繕えなくなって、どんどんおかしくなっていったのを、目の前で見てただろ。
そう言うやり方じゃあ無理だって、欲しいものは手に入らないんだってこの
「……僕の、せいか」
気落ちした様子で、下手したら首でもくくりかねないほどに絶望した様子で弟君が言った。
「バーカバーカ。そんな訳ねえだろ。私は必死になってお前らに気付かれないように振る舞ってたんだぞ。
家族に助けてって言うのは、家族としての義務だ。姉ちゃんはそれを怠ってたんだよ。自分一人で何でもできなきゃいけないってな。
それを支えなきゃいけなかったのは未来の家族のクソ王子だ。いや、支えなくても突き放されさえしなきゃあ姉ちゃんもここまで擦り切れなかっただろうがな。
だから恥ずかしくてもみっともなくても、姉ちゃんは
んでもって、家族を助けるってのは家族としての権利だ。助ける助けないはその時その時で決めればいい。突き放した方がいいことだってあるしな。でもお前や親御さんらは、ちゃんと話を聞いてくれるし、支えになってくれるだろ。
それが分かってるから姉ちゃんはどうしようもない処まで意地を張ったんだが、お前は姉ちゃんが助けて欲しくないって事まで察して、遠くから様子を見てたんだろ。
それを悪いなんて、誰が言うかよ」
「……あなたは――」
ちっ。若さにあてられたのか、柄にもなく語っちまった。
「んじゃあ、酒でも飲みに行くか」
「なんでそうなるんですか!! あ、いや、もしかしてあなたは姉さまの心を癒すために――そう言えば、ベイル様の時も……」
なんだかブツブツ言いだす弟君。
なんだ、この家の人間は基本的にちょっと病んでないか。
「わかりました、お供します。その、貴方の事は何と及びすればいいのですか? 姉さまとは呼びづらいんですが」
「あん? 名前は同じアシュレイだしな。面倒臭いし、姉さまのままでいいんじゃないか。いや、悪霊でもアニキでもいいけどよ」
「では、兄さまと。姉さまの事を宜しくお願いしますね」
「あ、ああ」
何だろうな、この手の平返しは。俺は悪霊なんだがな。まあいいか。うるさいこと言われないようだし。
とりあえず財布だけ持って、使用人たちには見つからない様に弟君と屋敷を出る。
朝から飲めるところは限られるが、弟君には心当たりがあるようだった。
私の記憶では優等生っぽいのだが、なかなかどうして姉とは違って、力の抜き方が分かっている要領の良い弟君だ。
そして敷地を出たところで、
「よう」
幼馴染こと、武家のお坊ちゃんと出くわした。
******
作中補足。
この国では満十五歳から飲酒可能です。ただ学生の飲酒はパーティーなどの特別なときのみとするのが常識です。
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