チンピラに憑りつかれたいじめっ子令嬢とビッチなヒロイン

秀哉

王子様(仮)からの婚約破棄――そしてチンピラが憑りついた

 




 虹色のミサンガを貰った。


 ずっと付けていれば願いが叶い、そして叶った時にミサンガは切れて落ちると、貰うときにそう言われた。

 馬鹿馬鹿しいと、心のどこかで嘲笑った。

 それでも嬉しいと、心の真ん中で感じた。


 私は折に触れて、貰ったそのミサンガを撫でた。

 辛い時や苦しい時は、特にそうして過ごした。

 願いが叶うと信じていたのでは無い。

 叶って欲しいと縋ったわけでは無い。

 願いを叶えるには、自分の努力だけが頼りだった。

 ただ努力することに疲れた時の心の支えが、このミサンガと、貰った時に触れたあの人の手の温もりの思い出だけだった。


 そうして私は多くの苦しみを乗り越えて、今日を迎えた。



 ◆◆◆◆◆◆



「お前のような女と結婚などできないっ! 婚約などこの場において破棄する!!」


 身体の中に、稲妻が走った。


「――あ゛?」


 口にしたのはオレだ。こいつは何を言ってるんだというのが正直な感想だ。

 目の前にいるのは絵に描いたような美男子イケメンで、なよなよとした王子様な雰囲気の青年だった。

 とりあえずこの婚約者おうじさまは頭に蛆が沸いているようなので、殴って正気に戻そうかと思ってふと違和感を覚えた。


 とりあえず、自分の胸に手を当てる。

 ふくよかな反応があった。大きさも張りも申し分ない、とてもけしからん素晴らしいパイパイだった。

 とりあえずしばらく揉んだ。そこにパイパイがあるなら揉まない理由は無い。わざわざ明記する必要も無いくらいに自明の理だ。

 だがパイパイを揉んでいるのに、まるで楽しくなかった。冗談で太った男の胸を揉んだことがあるが、その時と同じような気分だ。全然ギンギンにならない。どんなに良いおっぱいでも、それはイイ女にくっついているから良いパイパイになるのだ。自分の身体にくっついているこれは、ただの脂肪の塊に過ぎなかった。


 オレにおっぱいが付いている。

 まあそれはいい。よくない気もするがとりあえず後だ。

 目の前には男が三人と女が一人いる。歳はどいつも十代後半といったところだ。

 男は婚約者どうてい幼馴染どうていどうていで、女は可愛いのビッチが一人だ。

 脂肪の感触を確かめるオレを見た四人は、顔を真っ赤にしている。

 周りには様子を伺っている生徒やじうまたちがちらほらといる。ああ。ここは学校で、今は放課後だなと、俺では無い私の記憶が流れ込んでくる。


 ――唐突に、強烈な頭痛が襲った。


 そうしてようやく俺の中での齟齬が消える。

 俺の名前はアシュレイだが、この体の名前もアシュレイだ。

 俺の末期の記憶は確かに残っている。心臓を貫かれ殺されたという実感が、記憶の中に確かに残っている。

 だが俺は俺だ。俺以外の何物でもない。

 しかし同時に、この身体は俺の物では無く、そして俺の物では無い私の記憶があるのも事実だ。


 俺の中に流れてきた私の記憶は、面倒で青臭い。

 この身体の主であるアシュレイ・ローズは名家の長女として生まれ才色兼備に文武両道を地で行く優等生で、周囲の人間からの人望も厚く家族仲も良い。


 そんな外聞を、必死で守っているガキだった。


 思春期の真っただ中で、自分が何者かも定まってないようなガキが、そんなご立派な外聞を必死に守っていればどこかでおかしな歪みを抱える事になる。

 この私の歪みは弟と、親の決めた婚約者と、その婚約者や幼馴染、そんな近しい男たちの周りに沸いて出てきたビッチに向けられた。


 才能も家柄もあって努力を惜しまない私は婚約者と同じ学校に通い、学業に剣術に魔法に人望と全てにおいて優れた結果を出しながら、それでいて婚約者に認めてもらえないことに焦りを感じてさらに自分を追い込んでいた。

 ビッチの事は最初は眼中になかった。

 そんな余裕は私には無かった。だが婚約者の周りをうろつき、彼から笑顔を向けられるのを見てしまって、私の中でおかしなスイッチが入ってしまった。

 それまで抱え込んでいたストレスもあったのだろう。私はビッチ彼女に多くの嫌がらせをした。


 最初は軽いものだった。

 下駄箱の中の靴に小石を入れるような悪戯だった。靴に履き替えたときに痛かっただろうに、ビッチは気にした様子も無く、私もついつい嫌がらせをエスカレートさせていった。

 最近ではやる事も大きくなって、水泳の授業中に着替えの下着を盗み子供のころに使っていた、くまさんのパンツにすり替えた。きっと彼女は友達から子供っぽい下着だとからかわれた事だろう。

 そして私は盗んだ下着をどうすればいいのかわからず強い後ろめたさを抱えながら途方に暮れ、次の水泳の授業の時にこっそり洗濯して返した。


 馬鹿じゃねえのと、俺は思った。

 やるんなら最初っからしっかりやれよと。靴も下着も切り刻んでそこらに撒いとけよ。いちいちサイズ調べて替えの下着とか用意してんじゃねえよ。中途半端なんだよ、育ちのいいお嬢が。

 さらにそんなセコイ嫌がらせをしたあとでいちいち自己嫌悪に陥る辺りもアホ臭い。

 悪事に手を染めるなら自分は悪だと覚悟を持つべきだ。


 まあもっとも、俺が本気でむかつくのは目の前の婚約者クソおうじだったが。


 クソ王子が私を認めずビッチに走った理由は単純で、ゴミみてえな自尊心プライドだ。

 クソ王子はすべての分野において私に劣っていた。

 婚約者に何一つ良い所を見せられないクソ王子は、卑屈な嫉妬を私に向けていた。私もクソ王子がことあるごとに私への陰口を周囲に吐き捨てていたと知っていて、必死に気づかないようにしていたようだった。

 その結果が、これだ。


「ど、どうした! アシュレイ!! 何か言え!!」


 そう喧嘩を売ってきたクソ王子を無言で睨むと、途端に目を逸らした。

 オレをイジメの犯人として弾劾しているのに、気概の一つもない。

 睨み続けると、王子はキョドキョドと周囲に助けを求めるように視線を彷徨わせた。そんな態度に割増しでイライラが募る。

 殴りたい。

 なので、殴った。


「へぶっ!!」


 クソ王子が吹き飛んで、いくらか気持ちがスカッとする。


「グダグダうるせえよ。俺が気に入らねえんだろ。面倒臭いこと言ってねえで、シンプルにいこうぜ」


 小指で耳の穴をほじりながら倒れたクソ王子を威圧する。ビビって後ずさりしやがった。お前は喧嘩しに来たんじゃねえのかよ。


「止めろ、アシュレイ! 落ち着け。話し合うんだ!!」


 割って入ったのは幼馴染だ。

 私の記憶では騎士を多く輩出する武家の嫡男で、剣技のみにおいては私に勝っており、魔法を含めればほぼ互角――互角と言っても対戦成績は私の方が少し良いがと、自慢が混ざっている。少しウザい――のライバルだった。

 勉強面では月とスッポンの、スッポンの方だったが。


「話し合うねぇ。いいぜ。話し合いってのは大事だもんな。

 じゃあまずは確認だ。

 その童貞王子と俺は、婚約を解消したい。

 ついでに童貞王子はそこのかわい子ちゃんが大事で、それにちょっかいかけた俺が気に入らねぇ。

 俺はこんな童貞王子がかわい子ちゃんとイチャついてんのが気に入らねぇ。

 ならとりあえずシンプルに殴り合おうぜ」

「……あ、アシュレイ。君は僕を愛していたんじゃ……」

「は? これだから童貞は。

 女の気持ちが一途なんて、夢見てんじゃねえよ。自分が陰で言ってたこと思い出せよ、クズ王子」


 これは俺の意見では無く、私の隠していた本音だ。

 私は確かにこのクソ王子に恋をしていた。家同士の利害の一致とはいえ、婚約が決まって心から嬉しかった。

 でもまあ、そんな気持ちも毎日の苦労の中で擦り切れていった。


 私はクソ王子に嫌われていることに気付かないようにしていたけれど、それはつまるところ気付いて必死に自分の心を騙していたに過ぎない。

 毎日明るい笑顔で話しかけて、クソ王子が好きだと言う色んな贈り物をして、それでも報われたことは一度としてない。返礼のプレゼントどころか、笑顔一つすら、クソ王子は私に返さなかった。そんな相手を想い続けるなんて、よっぽど頭のおかしい女でないと無理だろう。

 ビッチへの嫉妬も、好きな人を盗られた事では無く、自分には出来ないことをした女性への憧憬ねたみだった。


 それでも私は婚約者だから、愛さなければならないからと、理屈で自分を偽ってクソ王子を想い続けようと努力し続けた。まあ無駄な努力だったわけだが。

 そんな義務感も日々の中でとっくに擦り切れて、クソ王子への行いは半ば麻痺した心での作業的なものになっていた。それを辛いと思う心すら、私は麻痺させていた。

 そうして堆積した鬱憤が、婚約破棄なんて言葉で爆発して、私の中に俺が生まれた。いや、俺ははっきり赤の他人だから、憑りついたというのが正しいだろう。


 私の心は死んでいるという訳では無いのだが、奥の方に引きこもって出てくる様子が無いので、当面この身体は俺が動かすことになる。

 いやあ、テロリストに殺されたら娘のように若い女の身体で生きていけるなんて、人生何があるかわからねえな。


「……ぁぁ」


 クソ王子は愕然とした表情でそんな声を漏らしている。とりあえず尻餅付いたままだったので、胸ぐらを掴んで立ち上がらせた。


「おい。負け犬王子。ちったぁシャキッとしたらどうだ。俺にムカついてんだろ。俺を殴って泣かせたかったんだろ。ケツ叩いてヒィヒィ言わせたかったんだろ」


 そう言って腹を殴った。うげぇと、クソ王子は胃液を吐きだした。


「――はっ。優しい女に泣きつくしかできねぇ玉無し王子じゃその程度か。つまんねぇよ。お前はつまんねぇ。

 わかるか、童貞王子? てめえはつまんねぇ男なんだよ。お前なんかじゃ俺の相手は出来ねぇよ。だから婚約破棄したいんだろ。

 おらっ。帰ってお父様に泣きつけよ。喧嘩に勝てないから助けてよって。はははははははははははははははははっ!!」

「――くそぉ!!」


 ようやく殴りかかってきたひよこ王子の拳を、ひょいと躱す。


「黙れよアシュレイ! お前に何が分かる!! お前に僕の何が分かる!!

 ずっと僕はずっとお前と比較されてきたんだぞ。勉強も魔法も剣技も、全部必死にやっていたのにっ!

 僕はずっとお前と比較されて、劣等者と蔑まれてきたんだぞ。家柄のおかげでお前と婚約できている穀潰しと、そう言われてきたんだぞ!!」

「はんっ! ようやく本音が出たじゃないかクソ王子」


 それをもっと早くぶつけていれば、クソ王子と私の関係ももっとマシなものになっただろうに。


「お前はいつも上からっ! 馬鹿にして!! エリナはっ、エリナ・ユリは、そんな僕を認めてくれたんだ。僕は彼女と添い遂げる!! お前なんかに邪魔させるか!!」


 チクリと、胸に痛みが走った。俺の気持ちでは無い。その痛みは私のものだった。

 冷めた気持ちのどっかに未練でもあったのか、まあとりあえずむかついたので、軽く撫でて終わりにする予定だったのだが、変更することにした。

 私とクソ王子の喧嘩を見ている可愛い子ビッチがうっとりとした表情になっているのも俺の苛立ちを加速させた。

 おう。取り繕るつもりはない。俺以外のモテる男はみんな爆ぜればいい。


「ハっ! 吼えるじゃねえか。その気持ちが本物ってんなら、ちったぁ根性見せろよ、王子様!!」



 ――そして、



「大勝利!!」


 ぼっこぼこにして地に伏したクソ王子を足蹴にして、俺はそう宣言した。

 俺ってば生きてた頃はそれなりにブイブイ言ってた戦士なもんで、実戦経験も無い学生の数倍の経験値持ってんだよ。

 そんでもってこの身体のスペックは、まあ単純性能ではクソ王子に少し劣っているけど、魔力による身体強化を加味すればかなり上をいっている。

 つまるところ、気持ちがのってるだけの若造には負ける理由が欠片も無かった。

 はっはっは、悪いな。空気読まなくて。





 ******



 その後、学内で喧嘩騒動を起こした二人は停学を言い渡された。




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