第128話スカイテラー


 数十メートルの高さから縮尺模型展示のような風景を眺め、高速で垂直降下するアトラクション、『ストロングダウン コメット』はそれなりに長い列が出来ていた。


 搭乗の際、頂上で動作不良を起こしてしまうと、乗客の救出に難儀する事を文月が漏らす。その言葉を聞いて、忠清は列へ並ぶ事を躊躇した。


 ジェットコースターより搭乗時間が短く、動作不良に遭遇し辛いと知努は説得する。順調に眼前のアトラクションが稼働し、客の悲鳴は何度も響き渡った。


 不調の兆しが見られない事で納得したのか、忠清は反論しない。それに安堵して、知努が乗り場の待ち時間を確認した。


 40分と休日の遊園地らしからぬ良心的な数字だ。列へ並び、彼は座席が上昇する様子を眺めた。単純な動作に、ジェットコースター以上の刺激を持つ。


 LIFEのグループチャットなどを眺めている彼らは10分程静かだった。しかし、染子の唐突な悪態を吐く事で騒がしくなる。


 知努が知羽との口論を予想し、事情を訊く。スマートフォンの画面を見せ、染子はSNSの投稿主に憤りを感じていた。


 『明日だけウイコがケーキ屋でアルバイトします』


 文章と共に、明るい青色のワンピースを着ている、ウサギのぬいぐるみの画像が添えられており、彼は大まかな状況を察す。


 洋菓子専門店の主に頼まれ、ぬいぐるみの持ち主、華弥が展示品として貸し出すようだ。その見返りに廃棄予定のケーキを無料で貰う。


 娘同然のぬいぐるみの晴れ舞台を報告していた。ガールズバンドアニメを基にしているワンピースは、特別な機会以外で着用させない。


 野次馬のユーディットがその画像を見て、すっかりワンピースの胸元に着いた白いリボンを気に入る。彼女の反応から、明日は店の売り上げは見込めた。


 絹穂が彼の隣へ来て、恒例行事について訊く。呪物ぬいぐるみ、蜜三郎は端午の節句に羽織り袴を着用し、五月人形の代理を務める。


 知努が今年も行うと答えた。当然、写真撮影や触れたりする事は出来ない。その役割を代わりにアパアパとウイコがこなす。


 画面を向き直し、染子は急いで何かを入力した。1分もしないうちに、彼女が上機嫌となる。恐らく明日の催しを宣伝し、染子の母親を動かしたようだ。


 バンド名を間違って覚えている彼女は『火付ひつけ盗賊とうぞく改方あらためかた』と呼ぶ。それに対し、知努が時代劇のような口調で切腹を促した。


 SNSで華弥の投稿を閲覧出来る慧沙は、周りの女子達からガールズバンドアニメの登場人物と似た人間を探す。リードギター担当とキーボード担当が早速見つかる。


 「きぬキャットはリードギターが似合うね。ハッセさんはキーボードかな」


 小馬鹿にした渾名を付けられている絹穂は、知努の横腹を殴った。ユーディットも眉毛の太さを否定しつつ彼の頬を抓る。


 搭乗の順番が回り、知努は急いで秋菜を起こそうとした。しかし、彼女の瞼が開く兆しを見せない。後ろの数人に順番を譲り、体を揺らしながら呼び掛けた。


 数分後、頂上から急降下しているユーディットのけたたましい声が響き渡る。それにより、不服そうな唸り声を上げて、秋菜は目覚めた。


 彼女を地面に降ろし、染子と文月に苦情を入れられながらユーディットが彼の胸へ飛び込む。手早く知努は労いの言葉を掛けて、出口へ誘導し、4人構成の席に座る。


 安全バーを手前へ降ろし、係員の確認を待つ。列の最後尾付近で、見所の無い姿を慧沙達が撮影している。緊張を誤魔化そうと、知努が人差し指と中指を立てた。


 乗客の安全確認は終わり、座席が頂上を目指して上昇する。期待に満ち溢れていた横の乗客達に反し、知努は小惑星を爆破しに行く、宇宙飛行士のような険しい表情だ。


 頂上に到達すると、数秒間、停止した。足場の無い状態で彼が景色を楽しむ余裕を持っていない。初めての経験に、秋菜も安全バーを強く握り締めて恐怖を訴える。


 「ぅわああああああ!」


 前触れ無く座席は急降下し、他の乗客が楽しそうな悲鳴を上げていた中、知努だけ鬼気迫る絶叫だった。秋菜の悲鳴はかき消されている。


 一旦、途中停止を挟み、ゆっくりと降下して戻った。安全バーの固定が解除され、知努は持ち上げて荷物を取りに行く。高速垂直降下の耐性が全く備わっていない。


 待っていた彼らと合流し、早速、染子は彼の表情と生命の危機を感じている叫びを揶揄した。打ち上げ実験のチンパンジー扱いをして、握手まで求める。


 有人宇宙飛行の前段階に、様々な動物達が打ち上げ実験に使われたと知らないユーディットは、チンパンジーの大規模投棄と勘違いしてしまう。そして、染子を睨んで罵る。


 「宇宙に棄てられた可哀想なチンパンジーの気持ちを考えた事ある!? ク染子が代わってあげれば良かったのに!」


 霊長類で初めて宇宙に行った英雄である事を彼が教えた。機材トラブルに見舞われながらも帰還し、その功績は後世に語り継がれている。


 架空のチンパンジーへ感情移入していたユーディットの機嫌が戻り、次の行き先について慧沙は話す。待たずに楽しめる屋内型動物園を予定に入れていた。


 絹穂の背中へ寄生している絹穂が、カンガルーの存在を訊く。雌のカンガルーとの邂逅はまだ果たせていない。含みを持たせた返事で慧沙が凌いだ。


 「秋菜ちゃんはカンガルーが本当に好きみたいね。まるで知羽みたいだわ」


 染子は絹穂の尻を軽く叩き、『ル・ビッグバーガー』と『クォーターパウンダー』が誰かに盗まれた出来事を思い出す。知羽の所有物を盗み返されたと京希は説明し、知努が溜息を吐く。


 出入口付近の目的地へ向かっている最中、彼女は彼に先程送られたメッセージの内容を見せた。ヨリコと一緒にベッドで横たわっている『般若』の画像だ。


 撮影者の知羽が彼女を恐れており、メッセージで兄の帰宅を待ち望んでいた。涼鈴の毒殺未遂は未だ忘れられないようだ。知努が苦笑を浮かべ、真剣に捉えていない。


 ヨリコとカナコは、気難しい年頃の女子達に寄り添っている。彼女達の心から微塵の憎悪も残されていない。


 恐ろしい女子の隣を遠慮し、知羽がカナコを膝へ乗せて部屋の隅に避難していると報告した。留守番中の白猫達は、退屈と無縁な時間を過ごせている。


 三中知努の存在が無い空間は『般若』の正常を保っていた。しかし、彼女がいずれ彼の前に現れ、争いの火種を持って来る。今の知努は、望む理想に沿う事が出来ない。


 地元へ戻る明日が抱えていた問題の先延ばし期限だ。徐々に知努の表情は不安が露わとなり、気付いたユーディットは無言で手を握る。


 明後日に、アメリカが地球へ接近していた小惑星の情報を公表する事を彼は願う。文明の滅亡が過去2回囁かれ、結局その日は来なかった。

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