第127話悪手
鼻を鳴らし、彼女の攻撃は止むと、慧沙が昼食の飲食店について訊く。ねだる秋菜を背負いながら知努は選んだ店の特色を話す。麺類や洋食が食べられるフードコートだ。
大半は賛成する中、以前にレストランの下調べをしたのか、染子だけは種類豊富なソースが特徴的なオムライス専門店へ行きたがる。それに対し、文月は調理時間の長さを指摘した。
園内でオムライスを食べる事を楽しみにしていた染子が譲歩せず、周りの人間を威圧する。フードコートに固執していない慧沙は行き先変更を提案した。
「フードコートにもオムライスあるから勘弁してくれ。俺、
「おうおう! 嘘吐き変態野郎。お前のオムライス食っている姿、何度も見たからな」
諦めさせる為の嘘を吐いていたと思い込み、染子が知努の胸倉を掴んで強く揺する。秋菜の存在はすっかり忘れられていた。騒ぐ彼女の上体が知努の背中から離れ、絹穂は慌てて染子を引き剥がす。
ユーディットが秋菜の上体を押し戻して、事無きを得る。口調を変える程の怒りを露わにされ、知努は曇った表情で事情を明かす。『般若』が、意趣返しの一環でオムライスを使った毒殺を目論んだ。
三中家の食卓へ運ばれたそれを涼鈴は食べてしまい、体調不良に陥る。苦い記憶が刻まれており、彼はオムライスを忌避していた。
同情を誘うような話題に、染子が微塵も心を動かさない。左右の人差し指を交差させ、前後に揺らす。そして、オムライス専門店の方角へ歩く。周りの人間達はとうとう諦めてしまう。
店の人気を物語る長い列へ彼らが並び、LIFEのグループチャットを確認した。日頃、食卓に出ない料理を食べられる為か、秋菜の機嫌は良い。
店内を不安そうに見ていた知努を励まそうと、染子が『毒を食らわば皿まで』を誤用する。心の余裕が無い彼はそれを指摘せず、彼女に注文するオムライスを訊く。
「モッツァレラチーズとベーコンが入っているオムライス」
ピザやスパゲティ以外の材料でほぼ聞かないチーズが、特別な価値を付与していた。秋菜の興味を引き、彼女も同じ料理を注文するつもりのようだ。
ケチャップの無いオムライスは、最早ソースが味を左右する。知努は定番以外のソースを選ぶ事に決めた。待ちくたびれてしまい、背中の秋菜が数分もしないうちに寝息を立てる。
店の入口付近まで進んだ頃、絹穂は知努にスマートフォンの画面を見せた。冷蔵ショーケースの上にアパアパと鼠のぬいぐるみが腰掛けている画像だ。彼は世界大恐慌の有名な白黒写真を連想した。
「このぬいぐるみ、曰く付きじゃ無かったかしら?」
左半身が映っていない鼠のぬいぐるみは、顔に斜め掛けの紐が付いている。絹穂の疑惑を否定し、知努は半ば強引に話題を終わらせようとした。
しかし、ユーディットが画面を覗き込み、ぬいぐるみの詳細を訊く。彼女に妙な誤解を持たれたくない彼は、観念して語る。
以前の持ち主の死後、『
眼帯を着けていた理由や、以前の持ち主の経歴などが未だ明かされていない。人々の記憶から消し去る事を選択し、関係者は固く口を結ぶ。
信憑性の薄い怪談と解釈していたユーディットが、黄色い声を上げながら彼の背後へ隠れてしまう。霊障に遭遇した際、守る事を約束し、知努は再度、画面を眺めた。
多少、霊感を持っているメッセージの送り主が、鼠のぬいぐるみから睨まれたと報告する。幸い、アパアパに悪影響を及ぼしていないようだ。
数十分後、ようやく店員に中へ案内され、知努は秋菜を起こして席に座らせる。彼も着席し、注文する料理を品書きから探す。
ハヤシソースを使用したハンバーグとオムライスの組み合わせが、知努の興味を引く。他の料理にも目を通し、注文を決めた。
待ち時間に昨日と同じ髪型を作っている染子は、彼の対面へ座り、『般若』の話題を出す。しかし、知努がそれについてこの場で話すつもりは無い。
店員に注文を伝えた後、染子は右側に座っている絹穂から訊き出そうとした。無言のまま、彼女がスマートフォンの画面を向ける。
画像の『般若』らしき女子は、ヨリコを抱き上げていた。平常時の彼女が面倒見の良い性格と絹穂は説明し、スマートフォンを上着のポケットへ片付ける。
「兄様が手元に戻らないと、染子に興味持たないだろうな」
付け合わせの扱いが気に入らない染子が、知努の脛を蹴った。更に、明日の朝まで彼女の妹として振舞う事を命ずる。それを認めない秋菜は所有権を主張し、言い争う。
注文した料理が運ばれると、生産性の無い争いを止めて2人は食事を始めた。知努が合掌してスプーンを持つ。オムライスの上に載せられているハンバーグの半分は、秋菜に盗られてしまう。
「受〇卵に戻されたい?」
余計な火種を増やしたくない彼が残りを彼女の皿へ移す。ハヤシソースの掛かったハンバーグを口にして、染子は機嫌を戻した。ようやく彼がスプーンで掬い、オムライスを口へ運んだ。
染子は立てた人差し指の第2関節を上下に動かす。これが安全装置を意味する事は知努以外に通じない。説明が億劫な彼が、左人差し指で同じ動きをして、周囲に特殊な挨拶と思わせる。
知努の体は拒絶せず、オムライスを受け入れた。ハヤシソースの味にチキンライスが負けており、一緒に食べるとハヤシライスだ。1品の中で2つの料理を堪能出来る。
絹穂が選んだオムライスは、近くの女子達から味見されていた。とろろ明太子のソースの他に、醤油の小皿も添えられている。
刻み海苔が載せられていた事で、和風料理の風貌を醸し出す。染子はそのオムライスの味が気になり、絹穂の元へ行く。そして、横暴な態度で味見を申し出た。
「染子さんと間接キスなんて嫌だわ」
バラエティー番組のように、頭頂部を叩いてオムライスを食べる。躊躇無い染子の攻撃のせいか、言葉の意図は変わってしまう。ユーディットがそのやり取りから仲睦まじさを感じていた。
知努も絹穂のオムライスを味見しに行く。頼むと快く彼女はスプーンで掬い、彼の口へ運んだ。ソースとキノコの相性が良く、満足感のある味だ。
食事を済ませ、店の外へ出るとまだ多くの客は入店を待っていた。大型連休を加味してもかなりの人気が窺える。
食後で睡魔に襲われていた秋菜は、欠伸を出す。次に何を言い出すか察した知努が彼女を背負う。文月がジェットコースター以外のアトラクションを探す事を提案した。
「それなら名前知らないけど、あの高くまで上がるアトラクションが良いね」
慧沙の考えているアトラクションは、近くに1つしか無い。他に案の無い周りの人間が賛成し、次の乗り場を目指す。
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