第124話魅力の三日月
1階の食堂へ入り、中央の支柱を囲むような配置の机を見つける。和洋の料理や食器などはそこに並べられていた。空腹のユーディットと忠清が彼から離れ、人ごみの中へ行く。
コンクリートの床や抽象絵画を飾っている白い壁は、カフェの趣きがあった。奥側の壁だけ所々、ガラス張りとなっており、街路樹や通行人の様子を眺められる。
食べ放題形式の朝食は、人気の料理がすぐ無くなってしまう。彼は反対側に寄ると、クロワッサンを入れていたバスケットの底が見える。
食パンとバケットやロールパンのバスケットは、まだ在庫の余裕があった。右側に絹穂らしき側頭部を発見し、彼は背後へ近付く。食器を持つ彼女はディッシャーでポテトサラダを掬う。
皿の上へ流し込んで、男子のような口調になりながら悪態を吐く。予想通りの半円型にならず、料理を吐瀉物と罵倒している。後頭部の正体が鶴飛染子と気付き、知努は注意した。
低い声の彼女と対照的に、猫撫で声を出している彼が直後、苦笑して誤魔化す。彼女の失態を愛おしく感じていた。口調も柔らかくなっている影響か、染子は逆上しない。
「飼い主様の為に、綺麗な形のポテサラを盛りつけなさい。
彼女からディッシャーを受け取って、彼が持ち手のレバーを引き掬い取る。皿の上でレバーを離すと、ブロッコリーの横に半円型のポテトサラダが投下された。そして、彼女は小説の台詞を引用する。
「君と私は同じ素材から出来ているんだよ」
正方形の深皿を見ていた染子に驚き、彼が訊き返す。ポテトサラダを好むあまり、高い声で口説いていると勘違いしていた。舌打ちして、彼女は金属製台の深皿からソーセージをトングで取る。
染子がパンの置き場へ移動して、背後の秋菜は、ポテトサラダと焼きそばとスクランブルエッグの盛り付けを要求した。体の良い小間使いの彼が、白いプレートと茶色のトレーを横から取り、盛り付ける。
ブロッコリーを載せ、胡麻ドレッシングも掛けて彼女に渡す。それを見つけ、染子は快く思わず、秋菜へサービス料金を要求した。彼女は無視し、パンの前に出来ている列へ並ぶ。
トレーに白飯、味噌汁、焼き魚とクロワッサンやグレープフルーツなどを載せて、知努が絹穂の隣に座る。彼女の朝食も和食主体だ。
合掌し、食事を始めた矢先、対面の染子は唐突に彼の人間らしい様子を褒める。知努が平日に食事で使うトレーの中身は大抵、残飯のような料理しか載っていない。
彼女が猫のウェットフードを引き合いに出し、横の京希を巻き込む。愛猫の名誉の為、彼女は猫がこだわりの強い動物だと主張する。
「兄さんの手綱を握る人が必要だわ」
絹穂は横を向いて、彼の頬を軽く引っ張った。知努に臆せず、食事内容を非難出来る人間がその素質を持つ。彼より昼食の優位性を保ちたい染子は、不必要と一蹴する。
更に、彼女が教室内の侘しい昼食を取る2人の女子生徒を思い出す。有名人なのか、京希は認知していた。悪目立つする久遠と目立たないヨシエだ。
休み明けの数日以内に、知努とヨシエを誘い、昼食会を行うと京希が提案する。彼女のサンドイッチを期待していた知努がぎこちなく喜ぶ。求愛された相手と元交際相手に囲まれて、食事しなければならない。
食事は粗方終わり、彼が間食代わりのイチゴジャムを塗ったクロワッサンを食べる。半分程になった瞬間、染子の片手は猛禽類の如く、斜めから接近して奪い取った。
「志賀直哉はね、日本人は白米を食べるから戦争に負けた、って言ってたんだよ」
先程と同じく、高い声で小説の登場人物から引用してクロワッサンの残りを齧る。京希に行儀の悪さを指摘され、褐色細胞の活発化を言い訳に使う。
「
彼女は合掌し、トレイを持って立ち上がる。斜め前に座っていた秋菜が、忠清のクロワッサンを勝手に千切り、所有権を主張して口へ放り込む。ホテルのパンは奪ってしまう程、味の質が高いようだ。
ユーディットに叱られ、彼女は謝罪させられた。すっかり機嫌を損ねてしまい、忠清がそっぽ向く。食事の恨みは恐ろしく、根に持つだろう。
部屋へ戻り、知努達が身支度をする。今夜もこの部屋を使う為、土産の袋は置いて行くつもりだ。知努がスマートフォンをベッドに座っている忠清に渡し、LIFEの画像を見せた。
吹き出し窓から外を眺める横向きのクーちゃんは日差しによって、黒毛に交じった赤毛が輝きを増している。離乳し、ようやくクーちゃんは外の様子に興味を示し始めていた。
『クーちゃん、ミニラより早く放射熱線を吐く姿を見せて欲しいわ』
劇場で1度も『ゴジラ』シリーズを鑑賞していない忠清が、ヘラの鑑賞経験について訊く。彼女は作品と縁遠い生活をしていると思われていた。
知努が、紫色背ビレの個体で有名な2作品しか観ていない事を教える。今度は知羽から画像を送られ、従兄の許可無く、忠清が確認した。
廊下に後ろ足で直立しているカナコとヨリコの画像だ。知羽の行動を監視しており、朝食の用意を待っているのかもしれない。特定の機会だけ身体能力は向上する。
京希の不在の間、2匹が猫を超越した存在、『スターキャッツ』へ進化していると知努は画面を覗き込み、説明した。次に朝食中の画像が送られるも、先程の面影は残っていない。
1時間後、心斎橋駅へ移動し、彼らはホームで電車を待っていた。文月がユーディットに上着を着ていない知努と並んだ写真を撮影して貰っている。彼の右側の髪がベージュのシフォンリボンで束ねられており、女児のようだ。
「うちとチー坊の手でハートを作るポーズで撮りたいし!」
「ちょっと熱いんじゃない、こんなとこで」
文句を漏らしながら彼は片手を彼女の腰に回して抱き寄せる。互いの指を重ね合わせて、ハートの形を作り、またユーディットが撮影した。赤面している文月が、彼の胸に顔を埋めて隠す。
染子は知努の荷物番を任され、ボストンバッグと上着の隣で読書していた。絹穂が前を通り掛かり、小説の台詞をわざと声に出して読む。
「私を本当の姉だと思って良いわ」
昨夜、体の繊細な部位を侮辱された彼女は、聞き流して彼に声を掛ける。文月と位置を変わって貰い、同じ構図でユーディットに撮影を頼んだ。
笑顔の彼女は快く引き受け、撮影する。ユーディットも文月に頼み、知努と一緒に互いの指でハートマークを作り、撮影して貰う。SNSへ投稿しない保存用の写真だ。
彼がベンチの荷物を取りに行くと、染子は荷物の保存料金を要求した。対抗策として、千景が盗んだ無能力者のぬいぐるみに知努は債務を回す。
「あのアホそうなオカァから、しっかり搾れ取れそうやのう」
彼女の思惑を察し、彼が無期限の三中家敷地内侵入禁止を命じた。電車の到着まで染子は読書に集中し、無言となる。
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