第123話眠る人



 辺りに彼と彼女以外の人間が存在しない洋菓子専門店で、異様な光景を疑わず2人はケーキを食べていた。プラスチックのフォークで切り分け、彼女が1ピースチョコレートケーキの欠片を知努の口元へ運ぶ。


 添えていた片手に気品を感じつつ彼は無抵抗で食べる。白色のセーターを着た彼女は後ろ髪を纏めており、切れ長の目で彼を睨む。しかし、ストッキングを穿いている彼女の足が彼の脛を何度も撫でた。

 

 「前世は夫婦めおとの関係でしたが、現世うつしよでは、甘んじてである事を努々ゆめゆめお忘れ無く」

 

 耳に胼胝タコが出来る程、聞かされた彼女の与太話を彼は受け入れ、破顔する。『おはぎ』と呼んで、彼女の口へ片手を添えながら、フォークに刺したショートケーキの欠片を運んだ。


 互いの紙皿からケーキが無くなり、知努は白のシングルスーツを脱いで、『おはぎ』の肩に掛ける。ふと下を向き、赤いネクタイを着けていた青いシャツが見えると、この場所の正体に気付く。


 覚醒する為、力むも意識がこの世界に囚われており、無駄な足掻きだった。彼女が懐に隠している短刀を抜刀し、立ち上がってから向き直り、彼の腹部を狙う。手首を軽く手前へ引いて返し、知努は下から肘も掴む。


 刃先が腹部へ向いて尚、諦めようとせず彼は舌打ちし手首を押し付けて突き刺す。しかし、一瞬で短刀が消失し、刺し跡すら残っていない。


 彼女の胸部は奇妙な流血を起こし、セーターに横長の模様が浮かぶ。空間移動を扱う異能力者かどうかを知努は確認するも、無視されてしまう。手首と肘を解放し、即座に彼女が彼の両手首を軽く掴む。


 少し張った彼女の頬は、般若の面を連想させる。眉根を寄せながら爪先立ちになり、彼女の唇が彼の喉と重なった。


 「兄様はわたくしを拒絶し、見捨てましたわ。必ず首を頂きますから」


 初めから存在していないように彼女の姿が消え、床に上着だけ残している。腹部へ違和感を感じて、彼は片手を添えた。短刀が刺さっている事に気付き、焦燥感を誘うヴァイオリンの重音は唐突に響き出す。


 夢と認識していた知努に激痛が生まれて、流れる血は白いズボンを赤く染めた。空虚な卓上冷蔵ケースへもたれ掛かり、瀕死の状態にも拘らず、テレビドラマの台詞を真似る。


 「おい、忘れモンだよ。誰にも言わないからよぉ。これ持って帰れ。気を付けろよ」

 

 ゆっくりと座り込んで、机の方を向く。先程まで使っていたはずの机に何も載っていない。そして、彼の意識が遠のく。この場所は彼女との所縁が深い場所だった。

 


 知努は目覚め、腕の痺れと腹部の痛みを感じる。まだ部屋は薄暗く、2人を起こすような時間帯で無かった。忠清の頭を枕の上へ移動させ、彼が起き上がって机と一体化している鏡の正面に立つ。


 胸部を指差し、繰り返し英語で鏡に映る彼自身へ話し掛ける。不毛なやり取りの後、銃の形を作った右手を腰に添え、西部劇のような仕草を何度も行う。


 2人が起きないうちに、彼はボストンバッグを持って洗面所へ行く。服の窮屈な構造に文句を漏らしながら着替え、朝食前の歯磨きを済ませる。女子達の前で醜態を晒したくないようだ。


 彼の不在を邪推する慧沙の声が聞こえ、不服そうな表情で姿を見せた。知努の白いブラウスを眺めて、慧沙は自傷癖を持つ女子みたいだと揶揄する。胸元にフリル加工の生地が施されており、黒の長い蝶ネクタイもあった。


 フリル加工されている袖口は白いアサガオのようだ。慧沙が感嘆する声を漏らしながら近付き、黒のプリッツスカートの裾を掴み、捲り上げようとした。すぐ生地を押さえ込んで知努は防御する。


 「男が男のスカート捲りするなんて誰得だよ。お前、絶対に、ギャルのスカート捲りもしているだろ」


 「帯は解くもの、スカートは捲るものだよ」


 制作者の名前を出した途端、慧沙が素早くスカートから手を離す。華弥に難癖付けられ、修繕費を請求される状況を恐れていた。そして、陰湿な女性に苦手意識を持っていると明かす。


 スマートフォンの通知音を聞いて、知努は画面を見た。文月が一向に起きようとしないユーディットを叩き起こして欲しいと助けを求めている。林檎を喉に詰まらせた王女は、王子の口付けを待つ。


 彼女の機嫌を損ねたくない彼が慧沙に行き先だけ伝えて、3人の部屋へ向かう。女装している男に起こされ、ユーディットは再度固く瞼を閉ざさないだろうか。


 文月に扉を開けて貰い、入室した彼が少し口元を緩ませている従妹の元に寄った。白々しい王子の演技をして、知努の唇は彼女の唇と重なる。その直後、ユーディットの両手が彼の後頭部へ回り、舌を口内に差し込む。


 後頭部を軽く叩かれ、彼は開口する。生温かい吐息を掛けられながら舌を絡め、イチョウ姫の玩具と化していた。彼女の情熱的な愛を感じられる接吻から逃れられない。


 文月がユーディットの両手を解き、彼を引き剥がす。ようやく上体を起こしたユーディットは知努の服装に驚く。すぐ予想と違う結果を受け入れながら彼女がナイトウェアを脱ぎ始める。


 両手を背後に持って行き、下着の留め具を外そうとした。文月は何かを察し、彼に退室を勧める。しかし、両手を前へ戻してユーディットが着替えを再開した。


 「この袖、ダチュラみたいね。せっかくだから知努の別人格、ダチュラって呼ぼうかしら」


 背後から特徴的な袖口を撫で、染子は呟く。長年、白いアサガオとダチュラを混同しており、生涯が終わるまで間違いに気付かないかもしれない。


 彼女は、先程の2人の行為をバッタを捕食するカマキリと形容し、彼が小学生時代の苦い記憶を思い出す。ある朝、知努は教室の机に、緑色の虫かごを置かれていた。


 ちょうどその中にいるカマキリがバッタを鎌で捕えながら食事しており、バッタのどす黒い内臓を見て、彼は血の気が引いてしまう。ホームルームの時間に、担当教諭から説教を受けた挙句、真相は闇へ葬られる。


 「あ! 小学校の頃、俺の机に虫籠を置いたの、お前だろ!」


 「今日は、アドルフ・アイヒマンが、逮捕された日なんですよ」


 彼女の薄気味悪い笑みで、知努が確信を得た。実際の逮捕日は1週間後である。その事を指摘し、彼が尻を蹴られてしまう。


 用事を済ませた知努は、慧沙と忠清が待つ部屋へ戻る。扉を開け、白の長袖Tシャツに着替えていた忠清の文句が飛ぶ。彼に命じられ、知努はしゃがんで背負う。


 ユーディットの匂いが付着していたのか、軽く肩を叩きながら忠清は罵る。更に知努の奇行も観察していたと告げ、彼は口止めを頼んだ。


 慧沙に促され、背負ったまま、部屋を出る。階段付近で、ユーディットが彼らを待っており、知努の肩へ寄りかかりながら階段を降りた。


 彼が白いニーソックスを履いている事に気付き、彼女はスカートの上から太腿を撫で回す。注意を向けさせる為か、忠清が空腹を訴えた。


 「それは大変ね。早く食堂に行かないと。ママもお腹ペコペコよ」

 

 ユーディットは、勝手に男子小学生の母親となっている。慧沙が敢えて忠清の父親について訊き、知努は赤面しながら制止した。


 彼女がはぐらかし、彼の腕を抱く。ユーディットの耳元で、長所と短所を好んでいると囁き、知努の体中が熱くなった。

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