第119話過保護


 餌付けされている様子を見て、斜め前に座っていた京希が白猫達の心配をする。遊び足りなかったり、寝付けないと、特にヨリコは夜鳴きしてしまう。環境の変化にも敏感だ。


 母猫代わりの京希がいない状況すら、白猫達のストレスに繋がる。その為、知羽は2日間、祇園家で宿泊しなければならない。頭突きや前脚の攻撃を受ける起床が待っていた。


 「きっと、猫並に周りを困らせている知羽と、上手くやっているはずだわ」


 玉杓子に鍋の中身を入れながら絹穂は答える。横から猫のような低い声が何度も聞こえた。染子が知努の下唇の内側へ雑炊を垂らし、苦悶させている。そこは昼間、ユーディットの前歯で負傷していた。


 絹穂が背後に回り、彼女の後頭部を叩く。染子を引き合いに出し、文月はユーディットと躾の重要性を話し合う。腹いせに、絹穂の下着へ変身する事を小声で所望し、彼女が残りの雑炊を食べた。


 食事を終えて、1階の勘定場へ移動し、小学生2人以外は支払をする。店を出た途端、染子が洗体係に絹穂を任命するも無視された。尻を軽く叩き、無花果いちじくのような大きさの胸と罵倒する。


 後ろでそれを見ていたユーディットは、知努の肩へもたれ掛かり、入浴後のマッサージを頼んだ。その声に反応して、染子は振り向き、彼女の予約を取り消す。


 「おめーの予約ねぇから!」


 「ディーちゃんのお願いをチー坊は絶対聞くわ」


 それに便乗し、絹穂が『妹権いもうとっけん』の行使を宣言した後、マッサージの予約を入れる。横暴な要求を知努が夏織発案の挨拶で往なす。それを想定されていたのか、彼女は悪事の暴露を脅迫材料に使う。


 軽く溜め息を吐き、知努が承諾してユーディットの腰へ片手を回し抱き寄せる。情欲を抱かない絹穂の腰から下の部位に対し、多少抵抗感を覚えていた。まだ彼女は正真正銘の乙女だ。



 白を基調としたホテルの受付で手続きを行い、女子達がエレベーターへ向かう。他の利用者の迷惑を考え、残りの3人は次に到着するエレベーターを待つ。


 行事の予行練習を理由に、慧沙が3人で入浴する事を誘う。すぐ忠清は拒否し、従兄の手を握った。身の危険を感じ、彼は睨みながら片腕で胸を隠す。そして、忠清と一緒に入浴する事を伝えた。

 

 某同性愛者向け映像作品を例に出し、慧沙は恥じるべき行為で無いと主張する。是が非でも実現させたい彼の姿勢に呆れを覚え、知努が舌打ちし譲歩してしまう。


 数分後、慧沙と、リュックサックやボストンバッグを持ちながら忠清を背負う知努も客室の中へ入った。スリッパに履き替え、荷物を2つの大きなベッドの間へ置く。


 木製の机に、電気湯沸かし器、液晶テレビ、自立式照明器具などが常備されていた。その中央の小さな棚は歯磨き用のコップと歯ブラシが収納されている。小型冷蔵庫も椅子の横へ設置していた。


 どの荷物よりも重い忠清をベッドの上に寝かせ、知努はスマートフォンのスリープボタンを押す。ヨシエと夏鈴と涼鈴からLIFEのメッセージが送られていた。


 上着を脱いでから、忠清の上着も脱がせ、近くのハンガーに掛ける。母親のような所作を慧沙が揶揄し、撮影した。侮蔑している目線を彼へ向けながら知努は机の方に行く。


 まずヨシエのチーズバーガーの画像が添付されているメッセージから目を通す。画像のチーズバーガーは華弥の昼食だ。彼女から教えられたばかりの知識を披露するつもりなのか、知努に質問していた。


 『KY華弥ネキのチーズバーガー、ちょっと食べたけど、ウマスギィ! ここで質問だゾ。クォーター・パウンダー・チーズはおパリでどう呼ばれているかゾ?』


 カーリーヘアの黒人が脳裏に過ぎりながら彼は答えを送信する。予め、彼女の正解を労う言葉も予想し、先に出していた。『ポンド・ヤード法』を使用していないフランスで『チーズ・ロワイヤル』と呼称されている。


 地元のファーストフード店で期間限定商品となっていた為、知努が注文する機会は数回しか無かった。彼にとって、映画『パルプ・フィクション』を連想させる商品だ。


 『1/4ポンドが通じないメートル法の国だから、だ』


 『こいつ、脳みそいっぱい詰まってるじゃねぇか! って返しいらないからな』

 

 隣のベッドに横たわり、慧沙が湯張りを頼んだ。だらしない彼の様子を撮影し、知努はスマートフォンを机に置いて浴室へ進んだ。


 湯張りを終えて、戻ると慧沙は誰かと通話していた。好きな女性物下着の話題を話しており、知努が素早く忠清の様子を確認する。いかがわしい内容を聞かず、眠っていた。


 スマートフォンを取り、彼は残りのメッセージを表示させる。夏鈴の添付していた画像は、刻んだ葱と、円を描くようにいくつも並べられている小魚らしき食材を載せた珍しい割下だ。


 鉄の深型鍋を大きな枡の中で敷いた、底の深い鉄製ガス加熱器の上に置いている。テレビ番組の時代劇で登場した『軍鶏鍋』のような風情があり、江戸時代へ遡行しているようだ。


 『これはどぜう鍋だ。鰻のように滑らかな動きをするけど、結構骨が硬いのさ。出汁とよく合ってご飯も進むね』


 『今日は珍しく、おかかちゃんと一緒に日本酒も枡で飲んだよ』


 2つの枡を机に並べている新たな画像を受信した。興味本位で日本酒を飲み、胸が焼けるような感覚に陥った経験を知努は思い出す。節分の時期以外、あまり見かけない枡は、日常から離れた空間を演出している。


 黄身を載せたもんじゃ焼きの画像と共に、衝撃的なメッセージが送信され、知努は驚きの声を漏らす。すっかり表面上の情報に騙されていた。


 『有名な浅草の居酒屋でもんじゃ焼きを食べたよ。初めてホッピーを飲んだけど、かなり美味しかったな』


 『※本人は酔い潰れてしまい、おかかちゃんがホテルまで背負って運びました。下着姿の王子に頼まれて、代行しています』


成人している男女らしい逢引を楽しんでいた従兄に、彼が鼓舞の言葉を送る。酒と良い付き合いを出来なさそうな知努は、いつか色んな泥酔した人間を背負わなければならなさそうだ。


 涼鈴も先程の2人と同じく、画像を送信している。今朝と違う姿のアパアパは、右肩に青いエコバッグの持ち手を掛けていた。ぬいぐるみが入力している体の文章に知努は目を通す。


 『わたくしの帰りのカバンの中には、まだ若干の余裕がございます!』


 橙色の着物と文章から、アパアパが観客に土産を強請る落語家の真似をさせられていたと察し、彼は苦笑する。もし、この格好のアパアパを染子に知られた場合、ゴールデンウィーク明けの教室へ駆り出されてしまう。


 『秩父のユダに毒を盛られた人ですよね?』


 一通り返事を送り終えて、知努はベッドに腰掛けた。横を一瞥し、忠清の手を握る。いつまでも彼を幼い子供のように扱っていた。しかし、近い将来、忠清から求められなくなる日が訪れてしまう。


 青年になった忠清は、家族の事より友人や異性を優先する。関係性が今までより稀薄となり、永遠に改善されない。今の櫻香と知努の関係性その物だ。


 数年間、知羽と険悪な日常を受け入れていた知努は、不安のあまり手を震わせる。かつて交際相手や白猫達を敵視していた獰猛な狐の影が近付く。


 スマートフォンを枕元へ投げ、知努は屈んで忠清を抱き締める。そして、涙を零しながら小声で何度も弱音を吐いた。

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