第117話センマイ
猫耳カチューシャを付けている画像が、様々な人間の手に渡ってしまうと、学校生活に支障を来たす。知努は首を横に数回振り、頷こうとしない。
頼みが通じないと分かり、彼女は京希の元へ行って、彼の猫耳カチューシャを付けた写真の所持を確認する。その声が聞こえ、知努は動揺の声を漏らす。
カナコの爪切りをしている際、京希が雰囲気作りを理由に付けさせ、撮影していた。その画像を見せて貰い、ユーディットが画像の転送を頼んだ。
「チーちゃんが嫌がるから、絶対クラスLIFEに載せないでね」
文月も交際相手以外に見せない姿の画像を欲しがり、2人の手元へ渡る。彼女達の倫理観を信じ、彼は口出ししなかった。バッグから文庫本を取り出して、読書する。
スマートフォンの画面を睨み付けながら何か入力していた染子が、悪態を吐く。誰かと喧嘩しているのか、血気盛んだ。頻繁にいがみ合っているユーディットは、京希と会話しており、相手の候補が絞られた。
ヨリコを膝で寝かしながら知羽はSNSで他人の迷惑を考えず、煽っている。そして、染子の怒りが知努へ向き、何度も頭を叩いて、読書を妨害した。更に顎をしゃくらせ、返信の内容を見せる。
『私とお兄ちゃんの同棲にマヌケは邪魔なだけ。私達の愛は永遠だから』
誤解を招くような文章を見た慧沙は、幸福な人間と野次を飛ばす。彼の節操無い想像を否定せず、知努がまた読書へ戻る。知羽の勝手な解釈はまだ実害を及ぼしていない。
呉越同舟を目論む染子が、ユーディットに同じ文面を見せた。しかし、兄から異性と認識されていない女子中学生の妄想は、彼女の怒りを引き出せなかった。
左胸部を強く殴り、ユーディットの悲鳴を上げさせて、染子がベンチの端へ座る。すぐ苦笑いを浮かべていた京希に注意され、被害者へ誠意の無い謝罪をするも睨まれるだけだ。
2時間後、電車で昼に訪れたばかりの心斎橋へ戻り、御堂筋と呼ばれる大通りを歩く。辺りはすっかり薄暗くなっていた。店の道のりを把握している先頭の知努の左右に、小学生2人が付いている。
後ろの京希は、留守番中のカナコとヨリコの心配をして、ユーディットもクーちゃんの身を案じた。彼女達の会話で、彼が赤毛のぬいぐるみを千景に誘拐されている事を思い出す。
彼女の憂さ晴らしの捌け口として使われていないか、焼肉屋へ連れて行かれてないかなどを危惧した。染子に千景からぬいぐるみの情報は出ていないかを訊く。
「やっぱり頭の中、ぬいぐるみかスケベな事しか無いわ。これじゃ
「いや、カナコとヨリコの方が割合高いぞ。それと、付き合っていた相手は祇園な。あの面倒臭い女と間違えるなよ」
彼女の代わりに、文月がぬいぐるみの情報を提供した。彼の悪い予想は当たり、どうやら焼肉屋へ連れて行っているようだ。それを夏鈴から聞かされた櫻香は多少落ち込んでしまい、先程まで彼女が宥めている。
ぬいぐるみの現状を知ってしまった知努も深い溜め息を吐く。汚さない対策として、ビニール袋へ入れる焼け石に水の補足報告もされた。
隣を歩く忠清が彼の袖を軽く引っ張り、不満そうに唸る。すぐ嫉妬していた事を察し、知努は宥めるが、そっぽを向いてしまう。
大通りから外れている狭い路地へ入り、縦格子の玄関の店が見えた。入店し、急な角度の階段を上がって、2階の座敷席に案内される。階段の中段で染子は足の疲労を訴えながら立ち止まり、後ろのユーディットと絹穂が上がれなくなった。
知努は荷物を座布団の傍に置き、散歩の途中で、座り込む犬のような染子の左腕を引っ張り上げる。隣の座敷席へ運ぶと、文月から着席拒否されてしまう。
行き場の無い彼女を対面に慧沙がいる座布団へ座らせた。しかし、反対側の絹穂は快く思っておらず、不満を漏らす。知努が2人の間に座り、早速、染子はセンマイ刺し、キムチの盛り合わせ、馬刺しを注文する。
全員が注文し終えて、女性店員は1階に戻った。そして、染子が知努の膝へ頭を置き、胸を撫でる。行儀の悪さを指摘せず、彼は対面の睨む忠清に愛想笑いを浮かべた。
数分後、生センマイ、キムチの盛り合わせ、馬刺しが運ばれ、それぞれ合掌し、食べ始める。染子は知努のキムチの盛り合わせからぶつ切りの胡瓜を盗った。
「同じ緑色のピーマンは嫌いなのに胡瓜が好きな河童なんだな」
彼女が2つのレモンを生センマイと馬刺しの上で搾り、残骸を彼の馬刺しへ投棄する。しかし、知努は見て見ぬふりをして、キムチを食べた。
辛さが控えめな為、食べやすい味だ。センマイと馬刺しも彼女の好みなのか、次々に彼の分を容赦無く食べる。絹穂はとうとう染子の横暴な行動を注意した。
「大好きな兄さんに構って貰いたいから妬いているの? まだまだお子様ね」
「違う、嫉妬なんてしていない。本当に皿の無い河童さんは意地悪だわ」
慧沙が彼女の頭に皿を載せようとして睨まれてしまう。それを横目に見ながら、センマイを皿の仕切りに入れてあるコチュジャンと絡め、知努は堪能した。
独特の歯応えがあり、牛肉の中で人気の部位だ。センマイは、牛の第2胃に当たる。焼肉以外の用途でほぼ使われない。彼の様子をユーディットが心配そうな表情で見つめる。
「火を通していない肉をあんな風に食べて大丈夫なのかしら?」
集団食中毒事件の報道から牛肉の生食に対して、忌避感が植え付けられていた。黒く、表面上は突起に埋め尽くされているセンマイの印象が安全性の説得を持たない。
予め洗浄と加熱処理を施していると知努は説明した。歯切れの悪い返事を返す彼女の隣に座っている秋菜が興味を示し、彼の元へ行く。そして、味見させて欲しいと頼んだ。
承諾し、知努は彼女に食べさせる。秋菜が席へ戻ってから染子は髪を解き、上着のポケットに入れていたベージュのシフォンリボンを出す。2つのリボンでツインテールを作り、年不相応な口調で味見をねだる。
「親父のリボンを盗む悪い女児だな」
苦言を呈しながらも知努が彼女の口をセンマイを運ぶ。味を占めた染子は、知羽と庄次郎の交換を提案するが、すぐ断った。彼女に聞こえない声で絹穂は脳の異常を嘆く。
理解していない体を装い、苦笑している慧沙が知羽にしたい事を尋ねる。ピアノの演奏を意味しない両手の第2関節を動かす仕草をして、染子は横を向く。
しかし、絹穂の拒絶と侮蔑が混じり合った目線を受け、指の動きは止まる。その様子を慧沙が撮影し、LIFEに投稿した。今度は知努の髪形がツインテールへ変えられる。
「ちーちゃん、この髪型、嫌い」
彼は絹穂の方にゆっくりと倒れ、そのまま目を閉じた。膝を枕に使われている絹穂が先程と打って変わり、知努の頬を人差し指で何度も触れて、微笑む。
体を起こした途端、スマートフォンをこちらに向けている慧沙はまた撮影した。寝床から動かないニュージーランド・ハンタウェイと同じような扱いだ。
「知努ちゃんも昔のパパみたいな髪形にしてみたら? きっとみんなから注目されるよ」
「ポニテフェチのお前に餌をやりたくない」
染子が馬刺しを食べる動作に戻った機会を見計らい、絹穂は知努の耳元へ顔を近付け、囁く。その言葉を聞いて、彼が目を伏せる。
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