第115話セピア帝国の逆襲

 

 とうとう知努の膝の上に座っていた忠清は寝息を立ててしまい、とても食べ歩きが出来る様子で無かった。斜め前の絹穂は記念に2人を撮影する。


 「赤ちゃんの頃は、兄さんが抱っこ紐に入れていたからカンガルーみたいだったわ」


 「僕も秋菜を抱っこ紐に入れている知努ちゃんを見たよ。でも、カンガルーというよりワラビーだね」


 動物の貴重な生態を見た様な慧沙の口ぶりに、知努は呆れて溜め息を吐く。かつて彼が動物園で、母親アカカンガルーの袋に入った子供を見て、恐怖心を抱いてしまう。


 小鹿のような愛らしい顔の横から細長い片足と尻尾が見える姿は、不気味だ。一時期、アカカンガルーの子供に対し、苦手意識を持っていた。そのせいか、忠清とカンガルーの子供を重ね合わせる事がどうしても出来ない。


 乗っていたゴンドラは乗り場に戻り、知努が肩と膝で寝ている2人を起こす。仮眠を妨げられた染子は反射的に彼の頬を平手打ちする。かなり機嫌が悪くなっていた。


 乗り場に到着し、ゴンドラから降りた5人は、天保山マーケットシティの自動扉付近で待つ4人と合流し、知努が新たな予定の話を切り出す。


 「ま、良いんじゃね? どうせ、うちら、電車の時間を気にする訳じゃないし」


 他の女子達は文月の意見に賛成していた。昭和中期の街並をテレビやスクリーン越し以外で見られる機会は少なく、平成生まれの彼らにとって貴重だ。


 『なにわうまいモン通り』の瓦屋根が特徴的な入口を入ると、薄青の三輪トラックや駅員の人形を設置した駅の改札口が見える。上に国鉄なにわ駅と書かれていた。雰囲気作りの線路を走る汽車の音も流れている。


 館内全体は茶色の照明で照らされており、昭和の時代へ迷い込んだと錯覚させてしまう。知努の背後にいる忠清が辺りを見て、感嘆した。


 寝起きで生きる屍のような千鳥足となっている染子は、三輪トラックを指差して、側面に近付く。そして、この車を使って、通天閣へ向かう事を提案する。


 「早くしないと、テロリストが通天閣から世界を昭和へ戻す電波を流すつもりよ」


 「今、森の反政府ゲリラアパアパが、トラックの機関銃で敵を食い止めているわ」


 芝居掛かった彼女の台詞を聞いて、知努は1つのアニメ映画を連想する。しかし、劇中の幼稚園児が、重機関銃で洗脳された大人を肉片に変える描写は1秒も無い。


 「怖いなぁ、とづまりすとこ」


 「後、その車は置物だから動かないぞ」


 車体の下に黒い台座が付いており、記念撮影用の展示品だ。染子は、落胆しながらスマートフォンを知努に渡し、車の横へ立つ。映画製作会社か個人から寄贈された本物の車だと思っていたようだ。


 無表情の染子の撮影が終わり、それぞれ誰かに撮影を頼んで、三輪トラックの隣へ立った。色のおかげで、台座は車体の影にしか見えない。


 次に長方形の低い段が設けられた荷台へ上がり、彼らは記念撮影する。ユーディットと文月の撮影が終わり、知努の順番になった。荷物を三輪トラックの横へ置き、神妙な顔立ちで荷台の縁にもたれ掛かる。


 その様子が、戦地へ輸送中の歩兵と似ていたのか、染子から兵士の物真似を頼まれてしまう。少しの沈黙を挟み、彼は要望通りの真似をした。


 「帰還後に飲む生ぬるいビール、そして仲間のために俺は、今日も新たな蒸した地獄へ向かっている」


 ベトナム戦争のアメリカ陸軍兵を想定している。物心付いた時から戦争映画に触れている影響か、すぐ連想出来た。しかし、知努の服装がとても軍人らしくない。


 彼は周りから何度も撮影され、すっかり展示品の1つとなっていた。数分後、知努が荷台を降りて、ようやく彼らは移動を再開した。


 中を進むと二又の道があり、曲がり角の多い通りの壁は様々な店を設けている。左の道を選び、右手にうどん屋を見つけて、絹穂は立ち止まった。画架へ載せられている品書きと4段の棚に並べられた食品サンプルを見つめ、知努を呼ぶ。


 「か、かすうどんはお昼に食べたよね? ほ、他の料理を」


 彼との距離を詰め、彼女が見上げる。観覧車の時と同じく目線で圧力を掛けていた。その後ろから染子が両手の人差し指を彼女の後頭部に立てる。


 おかしさのあまり、彼は笑いを堪えた事ですぐ悪戯が知られてしまう。軽く窘め、絹穂は別の店を探す。何とか長時間、彼女の食事を外で待つ事態を避けられた。


 次に選んだ料理は、鶏肉を秘伝の味噌ダレで煮込んで作るどて焼きだ。トレイに入れ、食べ歩きも出来る。理想通りの内容を見て、知努はすぐ絹穂の提案に賛成した。


 鶏どて焼きが入った黒い丼状の容器と割りばしを店員から受け取り、彼女は近くの屋根付きバス停へ向かう。腰掛けられるベンチも設置されていた。


 広場の中央に小さな鯨に乗る猫の像があり、彼らの注目を集めてしまう。染子は他所の白猫と比較し、嘲笑する。しかし、愛猫を侮辱され、京希が注意した。


 そのやり取りを横で聞きながら知努は、スマートフォンの画面を見ている。LIFEにヨシエからのメッセージと画像が送られていた。


 『ハンバーガーショップでハンバーガーセット食べたゾ。美味しかったけど、値段が高スギィ!』


 店の前で駐車している黒のクラシックカーと並ぶヨシエの画像を見て、彼は乾いた笑いを出す。緊張のあまり、遺影の様な表情だ。


 横からスマートフォンを覗き込んだユーディットが、画像に映るクラシックカーを精巧な置物だと感心した。しかし、先程の三輪トラックと違い、廃盤になっている実物だ。


 ボンネット中央の穴が開いた台形の膨らみを見つけ、彼女は質問する。一瞬、言葉に詰まるも知努が思い出して説明した。


 「確かエンジンルームの改造で、ボンネットを押し上げないための膨らみだよ。この車は空冷目的の穴もあるね」


 車へ何の思い入れも抱いていない彼女は、鼻を鳴らして頷く。その一方、『アメリカン・グラフィティティ』をDVDで観た知努にとって、劇中の場面を思い浮かべる存在だ。

 

 ヨシエと華弥が訪れたハンバーガーショップも、車と同じく映画を象徴する場所だった。ここでしか味わえない体験を人々にもたらせる。


 「いつか過去になるを懐かしく思い出したいね。こうしてディーちゃんと一緒の時間を」


 知努はユーディットの横顔を見つめた。彼女も目線を合わそうとする矢先、ハンバーガーの画像が送信され、興醒めしてしまう。バンズは、溢れんばかりの具材を挟んでいる。


 後ろから2人の間に割り込んだ染子は、スマートフォンの画面を見て、驚愕した。そして、画面に指を滑らせ、履歴を確認する。


 「はあ? あのスベタ、私に黙って随分楽しんでいるじゃない」


 憂さ晴らしの矛先を向けられそうなユーディットは、彼の背後へ回り、屈みながら上着の中に頭を入れて隠れた。

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