第113話道具とカゾク
嘘を吐いた事に対し、彼も謝罪するが、気持ちの切り替えが出来ていない。そして、数匹のマーラが他の客から餌を貰う様子を見ながら話す。
「昔、斎方の祖父母が茶色のウサギを飼っていたんだ。でも、ある日、病気になって、いつ死んでもおかしくない状態が続いたから俺は、祖父に
「どうしても絞めた時の事を思い出せないんだ。そのウサギも俺もあの男にとって、道具に過ぎない」
予想外の内容のあまり、ユーディットは絶句する。他人の価値観を押し付けられて行った殺生が、知努の精神に深い傷を残しているようだ。
アカカンガルーが辺りをせわしなく跳ぶ様子を眺めていた近くの染子も聞いている。しかし、眼前の光景より優先すべきで無いと判断したのか、何も反応を示さない。
話し終えると彼はスマートフォンを取り出し、涼鈴へメッセージを送る。長年、母親の事を思い、隠していたが、とうとう打ち明けなければならない日を迎えてしまう。
何かの拍子に染子が明かしてしまう可能性もあり、それを唐突に知らされると、斎方の祖父は涼鈴からどのような仕打ちを受けるか誰も予想出来ない。数日の猶予さえあれば怒りはある程度、治まる。
『僕は知努のなけなしの良心です。10年前、斎方の祖父に強要され、余命いくばくも無いマロンを絞め殺しました。ごめんなさい。どうか、斎方の祖父を叱らないで下さい』
愛玩動物を道具だと考える価値観の人間はそれなりに存在し、斎方の祖父もその1人だ。周りの人間にいくら異を唱えられようが、一生持っている価値観を変えない。
数分後に届いた涼鈴からのメッセージは怒りが込められている。彼女もウサギのマロンを大事にしており、名付け親だった。斎方の祖父に対する信頼は著しく下がっている。
『私は実の父にとても怒っているよ。動物虐待を孫に平気でさせた根性が腹立たしい』
スマートフォンを片付け、彼はユーディットを慰めた。それから表情が無くなっている彼女に抱き締められ、知努は遠くで開脚し、横たわっていた人間味溢れるアカカンガルーをしばらく見つめた。
10分後、一通り動物を撫でられて、満足した事で知努達が施設の外に出る。観覧車の乗り場へ向かおうとしていた矢先、染子は先程、LIFEのメッセージで彼女の母親に揶揄されてしまい、愚痴を零す。
「赤い首輪の猫の写真を母親に送ったら、慧沙と同じ事言われたわ。絶対スレイにしか見えない」
「うわっ意外にあんたもチー坊と同じマザコンなん?」
後ろにいた文月が彼女の本性を知り、驚いてしまう。日頃の振る舞いからとても母親を溺愛しているように見えない。必死に否定する染子の後ろで、忠清は衝撃的な秘密を公開した。
前髪を均等に切り揃えている理由は、母親の好きな髪型だからだ。知努と京希がまだ交際していた頃、忠清は彼の祖父にその話をされる。
「このお喋りエテ公にお尻ペンペンしないといけないわ。一体、誰の回し者よ」
攻撃されないように忠清が知努の背後に隠れてしまい、染子の報復は叶わない。彼女の前髪に誰も興味を示していないのか、周りの反応は芳しくなかった。慧沙ですら苦笑いを浮かべるだけだ。
2階の屋外にある観覧車乗り場で料金を払い、シースルーゴンドラの列へ並ぶ。通常のゴンドラより数が少なく、20分近く待たなければならない。反対側の列に誰も並んでいなかった。
寒さを凌ごうと染子は、知努の体へ身を寄せている。後ろで並んでいた絹穂に声を掛けられ、すぐ彼が微笑みながら振り向く。平常通りの精神状態に戻っていた。
「呼んだだけ」
「兄の扱い雑になってない? 姉上だったら怒っているよ?」
先程のような事を
背後から京希とユーディットの楽しそうな声が聞こえ、染子は様子を見に行った。そして、彼女が驚く声を上げ、一悶着起きそうな予感を抱く彼も向かう。
京希のスマートフォンの画面に、カナコとヨリコが食事している写真が映っていた。知努はこの写真から驚愕する要素を見つけられない。3ヶ月前まで何度も見ている光景だ。
「このお皿、仏壇に置いているご飯のお椀みたい」
横のユーディットの言葉に彼は苦笑する。彼女と違い、高台付き猫用食器を始めて見た時、『インディ・ジョーンズ/最後の聖戦』に登場する聖杯を連想した。仏飯器のような神聖さがある。
「私ですら専用の食器無いのに贅沢な物、使っているわ。どこかの組長か何か?」
特に決められてない食器を使っている染子が、劣等感を抱く。シャーマンの鉄製食器はおろか茶碗より芸術的だった。そして、食器の高台に絵も描かれていた。
聖杯を掲げる白猫、黒い四角の物体と並ぶ直立する白猫だ。カナコが前者、ヨリコは後者を専用の食器として使っていた。
「ママに頼んで、同じような食器買って貰えよ。笑われるけどな」
日本人が行儀良いとされていた食べ方で使う際、持ち上げ難い重量だ。人間の食器に飽きた変人以外、恐らく使おうと考える事すらしない。しかし、猫用嗜好品を肴にする人間は一定数存在していた。
「知努も学校の昼食がシャーマン以下だから五十歩百歩よ」
国内外問わず人権侵害を疑われる様な食事をしていた彼は、反論出来ない。洋画に登場する刑務所の食事を再現した結果、教室内で変人の印象が強くなっている。
動物が好きな慧沙、絹穂、小学生2人も京希の元に来て、スマートフォンの画面を覗き込んだ。信用されている人間以外、間近で臆病な猫の食事風景を見られない。
先程まで猫用食器の形状ばかりに注目していた染子は、ようやく高台に描かれた模様を指摘する。黒い四角の物体を羊羹と勘違いしていた。
「2001年宇宙の旅に出てくるモノリスな。ツァラトゥストラはかく語りきだけ聴いた事あるだろ」
「それ、朝のナパームの匂いは格別だの映画じゃなかったかしら?」
彼女の脳裏で、武装ヘリの集団が大音量の『ワルキューレの騎行』を流しながらベトナムの村落を強襲している。すぐ知努は間違いを教えた。
3時間越えの収録時間と難解な内容で、鑑賞中に寝てしまう染子が映画のDVDの持ち主を訊く。どこで鑑賞したかすら覚えていない。
「ジジイが持っていた特別完全版ならカゲ
女の勘が働いたのか、ユーディットは3人で鑑賞する事を提案した。知努の部屋で行う場合、ベッドに腰掛けるため、劇場より距離感が近い。その状態は彼女にとって理想的だ。
本編の中盤辺りに2人が高確率で寝ると予想し、彼は生返事を返す。一緒に鑑賞し、最後まで起きていた人間が彼の祖父と絹穂しかいない。
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