第112話チキンレッグ


 営業開始から数時間が経っており、動物達は徐々に専用の丸いベッドや床で横たわり始めた。染子が背中を撫でながらありもしないニュージーランド・ハンタウェイとの思い出を語る。


 一緒に天保山周辺を散歩したり、猿と犬と染子でピクニックをした事も無かった。ユーディットが前触れ無く登場する猿について訊く。すると、染子が隣の忠清を指差した。


 軽く唸りながら彼は従姉の後ろに逃げる。しかし、染子が忠清の元に迫り、やや乱暴な手付きで髪を撫でた。動物にすると警戒されてしまう。今度は、目線で知努に助けを求める。


 「服を着て、喋る猿なんて珍しいわ。でも、近所のオランウータンは味噌を分けてくれるからまだまだね」


 「貴重な味噌を持っているなんて、さぞかし身分が高いようだ。きっと僧だな」


 知努は抱き上げようとしていた彼女を引き剥がし、ユーディットと一緒に監視する。余程、気に入ったのか、忠清と秋菜がまだニュージーランド・ハンタウェイの様子を見ており、奥の部屋へ向かえない。


 知努は、最期を看取られているような状況の犬を記念に撮影した。そして、母親の涼鈴に、2つの写真をショートメッセージで送信する。数分後、彼女から悲しい報告が届いた。


 クローゼットに置いている深紅の体毛を持つぬいぐるみは、千景によって連れ去られていた。副顧問の仕事で、休日出勤させられる事が原因のようだ。預けられたロップイヤーのぬいぐるみも彼女に盗られている。


 幸い、アパアパは難を逃れた。知努が溜息を零し、ユーディットに心配される。唐突に文月は上機嫌でこちらへ来て、スマートフォンの画面を見せた。


 『今、仲見世通りだったかな? そこにいるよ。おかか櫻香ちゃんが今日子を誘拐されて、さっきまでグズっていたよ』


 『きび団子を持っているから桃おかかちゃんだね。家来の犬と猿と雉は見つかるかな』


 黒いカーディガンと白いTシャツを着ている櫻香が、串に刺したきび団子を持つ写真も添付されている。浅草の仲見世通りは、様々な出店が並ぶ場所として、何度も番組で紹介されていた。国内外問わず、観光名所として有名だ。


 LIFEの画面を覗き込み、染子が必死に笑いを堪えていた。櫻香に対する夏鈴の扱いは、年齢不相応で不気味だ。文面から交際している2人の様子が微塵も見えない。


 「知努が祇園さんにフラれた本当の理由って、いっつもぬいぐるみの話ばかりしていたからでしょ」


 その疑惑は、京希によって否定された。猫を気遣わなければならない交際期間を送っており、彼の口からぬいぐるみの話題が全く出ていない。最近まで持っている事すら隠していた。


 10分程経ち、ようやく小学生2人が次の動物に関心を寄せ始めて、奥の部屋に行く。そこで触れられる動物は、カピバラ、アカカンガルー、マーラだ。知努達も後に続き、入ると早速、2人から文句が出た。


 カピバラを撫でている秋菜は、硬質な毛が好みに合わず、育児嚢いくじのうの無いオスのアカカンガルーを見つけた忠清は幻滅している。しかし、ユーディットが容姿を気に入り、撮影した。


 知努は2人を宥めながら中央の餌売り場で、紙コップに入った数枚の細長い草と数個の粒状の餌を購入する。そして、係員から与える餌の順番を教えられた。売り場後ろにある木で作られた円状の囲いが、動物達の休憩する場所だ。


 人工物の木を設置しており、部屋にあった柱の1つに動物の写真付き紹介文を掲載している。彼は、紹介文で徘徊中の脚が細長い動物の名称を知った。


 天井や壁に見える様々な葉や絡み付いた枝は森のような雰囲気を演出している。飛び跳ねていた元気なカンガルーの姿に忠清も少しずつ興味を寄せていく。


 購入し、辺りを見渡すと、アカカンガルーが餌を持っている知努を見つけ、詰め寄った。慎重に彼が口へ細長い葉を運ぶと躊躇い無く食べる。軽く頭を撫で、どこかに向かう赤褐色の背中を見送った。


 横から細長い脚を見て、染子はインターネット以外でほぼ使わない罵倒を浴びせる。少なくとも彼らの脚が、日常生活を送る際に不自由な要素は無かった。


 「これマジ? 上半身に対して、下半身が貧弱過ぎるだろ」


 秋菜と忠清から餌の葉を貰い、旋回するカンガルーが彼女の手に持っていた紙コップを見て、迫る。警戒しながら染子は葉を食べさせ、頭を撫でた。ウサギのような顔立ちと、細長い脚が特徴的な赤褐色のマーラも来る。


 残りの葉を屈んで渡し、染子が知努に名称を訊いた。名前を教えられて、すぐ彼女は動物の名称を揶揄する。不道徳的な行為ばかりしていた映画の登場人物と同名だ。


 「精巣ガンのセラピーにいそうな名前をしているわ。あの黒いアイシャドーが濃い」


 カンガルーへ近付き、葉を食べさせた絹穂は、品格の無さに対し、映画『ファイトクラブ』に登場する『僕』の真似で非難した。


 「僕は染子の失った羞恥心です」


 マーラの頭を撫でる事に夢中の染子が珍しく聞き流し、不毛な争いは起きない。人馴れしている動物が多いおかげか、彼女は十分楽しめていた。知努も別のマーラ達に葉を食べさせて、背中を撫でる。


 そして、出入り口横で設置されていたガラス張りの小屋へ向かい、小さな木の枝に登っている緑色のイグアナを彼が眺めた。客のほとんどがカンガルーやマーラの元に集まる。


 踵を返し、唯一のカンガルーに粒状の餌を与えながらまた撫でた。絨毯のような肌触りが良い感触を彼は気に入っている。石を積み作っていた食器で食事するマーラの様子がふと見えた。


 「草を食べるマーラが、どうしてドッグフードみたいな餌を草より好むのかしら」


 売り場で係員に言われた言葉に疑問を持ち、ユーディットが彼に質問する。今、マーラは牧草を食べており、肉食動物の犬と食生活は違う。知努が苦笑して、客から貰う餌の正体について話す。


 「多分、ウサギが食べるペレットと同じで色んな草を混ぜているよ。みんな、味の濃い方を好むよね?」


 「そうね。ウサギの餌について詳しいけど、チー坊は飼育した事ある?」


 彼は唐突に表情を曇らせて否定した。不自然な態度に何かを隠している彼女が勘付き、彼の左腕を強く掴んで睨む。苛立っているせいか、心無い言葉も出ていた。


 「どうして嘘を吐いたの? もしかして、ウサギの飼育に飽きて、?」


 発破を掛けるも彼は一向に答えようとしない。見かねた京希が2人の間へ入り、彼の腕からユーディットの手を解く。そして、知努が嘘を吐いた事に対する弁解をした。


 「チーちゃんは好きだったウサギの最期を看取る事が出来なかったんだよ。それを今も忘れられなくて」


 赤いスカーフを巻いた猫より懐き辛いカナコやヨリコから信用されている彼は、愛情が深い人間だ。彼女の話を聞いて、ユーディットは俯きながら知努に謝罪する。

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