第111話札付きの不良


 再度、周りの人間に聞かせたくない内容を伝えると、ようやく彼が気付いた。向き直り、知努はユーディットの髪を手櫛で梳き、宥める。ユーディットがゆっくりと目を閉じ、何かを待っていた。


 すると、しゃがみ込んでいる染子にゴキブリの玩具を見せられて、彼は無言で逃げ出してしまう。軽く彼女の頭を叩き、ユーディットが追いかけた。背後に忍び寄り、知努の横腹をやや強めに殴る。


 「うえっ! ディーちゃんじゃ無くてDVになっているよ」


 「カナコかヨリコに頭突きされてもDVされたって喚くの? それより、ディーちゃんにチューする事を忘れているわ」


 傍から見れば交際して間もない男女だった。彼女の機嫌をこれ以上損ねないため、彼は振り向き、髪に口付けする。嬉しそうな笑みを浮かべながらユーディットがモルモットの小さな飼育小屋に向かう。


 アメリカン・ファジー・ロップイヤーを見て、ある男を思い出した知努は、近くにいる文月を呼び止めた。そして、櫻香と夏鈴の所在を訊く。すると彼の予想外の答えが待っていた。


 「夏鈴姉とおかか櫻香なら今、にいるじゃね? 明日、舞浜のシーに行くとか言ってたし」


 テーマパークは、逢引の場として有名な反面、破局の原因になりやすい。いずれ染子と交際し、どこかしらのテーマパークへ行く未来を想像し、知努が、少し顔が強張る。明日、向かう遊園地と違い、彼女からかなりの期待を持たれてしまう。


 スマートフォンを上着のポケットから出した文月が、彼の片腕を抱き、そのまま液晶側のカメラで撮影した。恐らく写真は、LIFEのグループチャットに投稿する。恥ずかしさのあまり、知努が顔を逸らす。


 「ギャルとモテ女は自撮りしないと死んでしまう生物か?」


 「結構女子は自撮りしてるし! まあ、地味なチー坊がやると思えないけど」


 文月から離れ、彼は横の扉を開け、隣の部屋へ続く短い廊下を通ると、低い引き戸の向こう側に犬や猫がいた。犬と一部の猫だけ様々な色のスカーフを巻いている。すぐ雑談しながら残りの数人も付いて来た。


 スカーフを動物に巻いている理由は、近くの柱に貼っていた紙に書かれている。噛んだり、引っ掻いたりする気難しい性格の猫と区別する目的で巻いていた。頭以外撫でられない猫が一目で分かるように赤いスカーフを目印としている。


 犬のスカーフに関しては装飾品のようだ。戸を引いて、入った知努はいくつもの丸太を並べていたウッドハウスのような壁を眺めている。ちょうど足元に赤い三角のスカーフを巻いた茶色、黒、白が混じった毛並みの猫が通り掛かる。


 気付いた彼は、前屈みになりながらゆっくり頭を撫でるとそのまま猫が、丸太型のキャットハウスへ近付いた。上へ飛び乗り、占領する。周りの猫とよく喧嘩するのか、係員の女性は慌てて注意しに来た。


 ちょうどキャットハウスの中から、灰色と黒が混じっている毛並みの猫が顔を出す。後から来た赤いスカーフを巻いている猫は、蛇の鳴き声のような威嚇で、縄張りを主張した。


 その姿を見て、知努が『斜陽』の内容を思い出す。小説の主人公であるかず子は、札付きの不良を鈴が付いている子猫に例えていたからだ。周りに人がいる事を忘れ、彼は彼女の言葉を引用した。


 「あの赤い首輪の猫、染子みたいだね。休み明けから染子も赤い首輪を着けて登校したらもっと人気出るよ」


 屈んでいる係員の手に噛み付く猫を撮影しながら慧沙は揶揄し、知努以外の男女に笑われる。彼女の行動を予測した彼が扉を開け、短い廊下へ逃げるも染子が追跡した。左右の口角を上げ、不気味な表情だ。


 「悪霊に取り憑かれているような顔でこっち来んな!」


 斧で扉を破壊し、顔を突き出せば映画『シャイニング』の有名な場面を再現出来る。染子に命令され、立ち止まった彼は、何度も尻を叩かれてしまう。満足したのか、彼女は踵を返し、先程の部屋に戻る。


 知努が再度、部屋へ行き、近くの机に設置された小さなテントらしきキャットハウスから顔を出す灰色の猫と染子を見つけた。彼女が頭を撫でる事に全く猫は動じない。


 飼い犬のシャーマン以外の動物を撫でられた記念として、彼は後ろ姿を撮影する。壁に貼られていた写真と文章を見て、その猫がアメリカン・ショートヘアという種類である事を知った。


 同じ机に置かれている薄緑のトレイやタオルケットらしき薄青い布の上で、白と黒が混じった体毛の猫が2匹いる。壁の掲示物に猫の血縁関係も記されており、この2匹は、エキゾチック・ショートヘアの姉妹だ。


 トレイの中に猫砂らしき物体が見え、プラスチック製の猫用ベッドと認識していた知努は苦笑する。排泄して、しばらく居心地の良さのあまり、占拠していた。多頭飼育の猫にとって、狭く、安心出来る空間が少ない。


 短い鼻のパグや茶色の巻き毛が特徴的なトイ・プードルが元気に走り回っている中、大型犬は部屋の奥にあった丸いベッドの上で横たわっている。黄色のスカーフを巻き、背中だけ黒く、周りは褐色の体毛だった。忠清が背中を撫でるも全く気にしていない。


 「この犬、とシャーマンみたい」


 彼の背後から染子が忍び寄り、頭を何度も叩く。そして、ストリート出身の赤いLに、猿蔵の誘拐を依頼すると脅迫した。忠清は、不良にぬいぐるみを盗まれてしまうと思い、怯えている。


 持ち主の知努が、得体の知れない名前の正体を明かした。目が大きく、赤く長い体毛を生やしたぬいぐるみを染子は、あたかも凶悪犯罪者のように語っている。


 「ちなみに頭文字はLじゃなくてEだぞ。というか、ストリートギャングのような紹介をするな。車両窃盗や路上強盗していると思われるだろ」


 知努がしゃがんで、犬の背中を撫でながら壁に貼られていた紙から犬の写真を探す。犬種はニュージーランド・ハンタウェイのようだ。放牧犬でありながら性格は温厚らしく、吠える気配すら見せない。


 秋菜も犬の傍に来て、頭や背中を撫でた。毛並みが似ているせいか、ジャーマン・シェパードと勘違いしており、しばらく間違った犬種で呼んでいた。動物に警戒されやすい染子は、横からまたゆっくりと犬の頭を撫でるが無反応だ。


 唯一の大型犬の元に色んな人間が集まり、彼はその場から移動した。霊感がある人間のように、天井を見上げていた絹穂と京希を見つけ、知努は怪訝そうな表情になりながら話し掛ける。


 「猫が上に登っているの」


 絹穂が指差した梁に、白と黒を組み合わせている長毛の猫は座っていた。壁側の机に設置している人口の坂から登ったようだ。高さと狭さを兼ね備えた梁は、猫が好む場所となっていた。


 標準的な体格の猫は、余程の事が無ければ落下しない。日常的にキャットタワーへ登る猫を見ていた京希が梁の狭さを心配している。


 「あそこの下にネットを設置していないともし落ちた時、危ないよ。飛び降りて万が一もあるし」


 祇園家のキャットタワーは、2匹が飛び降りて怪我しない様に安全対策が徹底していた。近くにカーペットを敷いたり、ベッドへ飛び移る事が出来る場所で設置している。


 偶然、天井を見上げたユーディットは、普段見られない猫の光景を気に入り、すぐさま撮影した。未だ足元のニュージーランド・ハンタウェイが、客達に様子を見守られている。

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