第110話天保山フレンドリーアニマルズ


 前屈みになりながら染子が蹴られた脛を素早くさすり、今度は彼の頬へ何度も頭突きする。その様子を見て、京希が今朝の出来事を思い出す。


 「そういえば今日の朝、カナコとヨリコがほっぺたに頭突きしてきたよ。目を覚まさなかったらご飯食べられなくなると心配していたのかな」


 猫の行動を愛情表現と解釈している彼女に対し、染子は鼻で笑い、奇襲の推測を挙げた。愛玩動物に対しての信用が著しく低い。唐突に合掌し、隣の知努へ人身交換の提案を出す。


 「等価交換だ。俺の弟半分やるからお前の妹半分くれ!」


 有名な漫画の台詞を改変し、染子が勢いで彼に了承させようとしていた。しかし、知努は横を向き、慧沙と今後の予定を話し合っている。彼女は呼び鈴代わりに寝ていた忠清の肩を引っ張り、何度も拳の内側で叩く。


 「Hello! Hello! anybody誰かいませんか? home? 」


 『バックトゥザフューチャー』に登場する不良の真似をしていた。会話しながら彼は膝にいる染子の頬を左右から引っ張り、ユーディットが両生類のような顔を撮影する。


 「ホント馬鹿ね。半分じゃなくて全部あげるわよ、なんて言うと思ったか、ダボ女」


 手を離し、知努は再度、慧沙との会話に戻った。忠清の昼寝で退屈している秋菜が席を立ち、スマートフォンの画面を見ていた絹穂の元へ向かう。そして、彼女の膝の上に座る。


 スマートフォンを机に置き、絹穂は秋菜の髪を左手で梳いていると、染子が2人を一瞥した。すぐさま知努の片腕に抱き付き、そのまま引っ張りながら命令する。


 「隣のロリコンドカ食い猿が目障りだからしばき回して来なさい、ショタコン女誑し」


 「この前、したばかりだから断る。本当はキーちゃん大好きな癖に素直じゃないな」


 本心を暴露された事で彼女は、絹穂を鶴飛家の養子縁組に勧誘するも、返答が無かった。そして、何か言おうとする染子の口を知努は片手で覆う。振り向いた絹穂が下唇を軽く噛んで、怒りを露わにしている。


 「素っ首、刎ね飛ばしてやりたいわ」


 30分後、半ば強制的に絹穂と手を繋いでいた知努は先頭を歩き、フードコートから移動していた。未だ怒りが治まっていない彼女の後ろを歩く京希達は、少し距離を空けている。


 階段で上がり、天保山フレンドリーアニマルズの入場予約券売り場の列に並んだ。この場所は先程、知努がヨシエに教えられた。様々な動物を撫でられるため、天保山マーケットシティで人気の施設だ。


 外からでも中の様子が見られるように、低い壁を設けていた。奈良や広島の厳島にいる鹿と違い、躾けられており、忠清や秋菜が泣かされる事は無さそうだ。


 彼のスマートフォンにまた庄次郎からLIFEのメッセージを送られる。今度は、頭に白いタオルを巻いた状態で俯くシャーマンの写真が添付されていた。苦手な洗体を終えたばかりで機嫌を損ねているようだ。


 『ラーメン屋の店員みたいだけど、素朴で可愛いシャーマン。ママの待ち受けにもされるらしい』


 上着のポケットから出したスマートフォンの画面を見て、頬を緩ませている知努は絹穂にも見せた。しかし、ちょうどヨシエが猫の鳴き声を真似しているLIFEのメッセージを送った事で、彼は無表情の隣人に胸を撫でられる。


 そして、乳首を力強く捻られてしまい、知努が悲鳴を上げそうになった。予想外の反応に慌てて画面を確認し、ようやく状況を理解する。誤解していた彼女がそっぽ向いてしまう。


 「動くキャットタワーじゃ無くてこっちを見せたかったの。ほら、シャーマン、可愛いよね?」

 

 再度、シャーマンの写真を見せると、彼女は頷いた後、ヨシエのメッセージを表示させた。何かの隠語だと勘付いており、言い逃れ出来そうに無い。


 完全屋内飼育の猫が鳴き声で意思疎通を図ろうとする習性を話し、知努は解読した。実際の猫が忌避する爪切りの要求だ。絹穂がその行為に特別な価値を見出しておらず、彼の肩へ寄りかかり、興味を失っていた。


 入場予約券を購入し、少し離れた場所で彼らは入場時間を待っている。立ちながら寝ようとしていた染子が、知努の胸に顔を埋めており、ユーディットは彼女の後頭部を撮影した。


 「今から私はソネコになるわ。にゃにゃんぶしゃーっ」


 奇妙な鳴き声で気を散らしている隙に、彼が着ていた上着のポケットから小さい長方形の箱を抜き取る。怪しい染子の動きを見つけたユーディットが、すぐ頭を叩いた。


 大人しく駄菓子の箱を戻し、何事も無かったかのように振る舞う。数十円の駄菓子で目くじらを立てない知努は彼女の上着のポケットに箱を入れる。すると、礼のつもりなのか、染子がムカデとゴキブリの玩具を取り出す。


 「ひぃぃ! こっち来ないで!」


 彼は気弱な声を出しながら素早く彼女から距離を取った。絹穂も悲鳴を上げ、2人が京希の背後へ隠れる。薄気味悪い笑みを浮かべながら染子は迫るも横から忠清の膝蹴りを受け、立ち崩れた。


 白い雑種猫のカナコが何度も生きているゴキブリを知努の元に運んで、狩猟の練習をさせようとしていた事もあり、虫と無縁な生活は訪れない。


 入場時間を迎え、知努に続いて彼らが天保山フレンドリーアニマルズの中へ入る。最初の部屋は、木箱が置かれた四角の机がいくつも並んでおり、床で数匹のアメリカン・ファジー・ロップイヤーが歩いていた。


 机には落下対策として、木製の柵が設けられている。興奮し、跳躍しない限り、そこから落ちてしまう事が無さそうだ。


 早速、忠清と秋菜は、近くのカプセル式自動販売機でウサギとモルモット用の餌を買い、傍に付けられていた小さな白い籠から串も取る。餌の角切りにされた人参を串で刺し、忠清が木箱へ近付けると黒いモルモットはようやく顔を出す。


 白いアメリカン・ファジー・ロップイヤーに秋菜が餌やりしている様子を見て、染子も自動販売機で餌を買う。カプセルを開けて、出した小さい角切りの人参に串を刺し、しゃがもうとしている知努の口元へ伸ばした。


 嫌がるように顔を横へ動かす彼の反応を面白がってか、慧沙も参加する。人参が欲しい白のウサギは、知努の足を踏んで何度も跳ねた。近くで餌付けしている小学生らしき男子が、奇妙な光景に3人から遠ざかる。


 「ビデオカメラ回しながら離乳食を子供に食べさせようとする親か?」


 ウサギやモルモットと大差ない扱いを受けていた頃の彼は、様々な子供に離乳食を食べさせられた。その様子がビデオカメラで撮影されており、櫻香は角切りの人参を与えている。


 後ろにいた京希が2人を窘め、持っている餌は無事、ウサギの口へ運ばれた。至る所に排泄物が落ちていた事もあってか、忠清は踏んでしまう。すぐ座り込んだウサギの背中を撫でている知努に報告した。


 「たかがウンコ踏んだ位で知努に慰めて貰おうなんて情けないわ。後、私の靴を踏んだら殺す」


 染子の脅迫を耳に入れていない彼は立ち上がって、忠清の頭を撫でたり、頬へ口付けして慰めている。想定外の行動を目の当たりにして、彼女が唖然としていた。


 忠清は気力を取り戻し、座り込んでいる栗色と似た色合いのウサギの元へ向かい、知努の背後からユーディットに話し掛けられる。


 「ウサギさんのポロポロウンチ、私も踏んでしまったわ。とても悲しくて泣きそうよ」


 彼女の意図に気づいた染子が2人の間へ割り込んで、しゃがんだ。しかし、彼はユーディットの声が聞こえていない。

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