第109話犬の御守
天保山マーケットシティの中へ入り、2人は小休憩が出来そうなフードコートに、疲労で歩けない小学生を運んだ。近くの席に座らせると、秋菜が俯きながら間食を要求した。
知努は辺りを見渡して、彼女が好みそうな有名なアイスクリームとクレープの店を見つける。そして、パンフレットを取りに行った。休日だけあり、商品棚の前は若い男女や子連れの列が出来ている。
2人の席へ戻り、広げたパンフレットを見せながら彼は購入する種類を訊くと、後ろの席で座る染子が会話に参加した。便乗して、知努にアイスクリームを買わせるつもりのようだ。
彼女がいつも食べている種類を把握していた彼は、2人の要望を聞いて店に向かう。荷物を置いた慧沙達もそれぞれアイスクリームやクレープの店へ足を運んでいた。
しばらく列に並び、会計を済ませた知努が、2段重ねのアイスクリームが入っている3つのカップを店員から受け取り、早足で席へ戻る。
キャンディーが入ったアイスクリームとチョコレート、マシュマロ、アーモンドで彩られているアイスクリームを2人は選んだ。一方、染子が選んだ種類はラムレーズンとラズベリーにハート型のチョコレートを入れたアイスクリームだった。
小学生2人の仲睦まじくアイスクリームを食べていた状況に嫉妬したのか、染子は食べながら舌打ちする。妨害しようにも彼女の一挙手一投足を彼が監視しており、行動を制限されていた。
忠清と秋菜が食べ終えた後、知努はカップのゴミを持ち、近くのゴミ箱へ捨てに行く。そして、繁盛しているクレープ店の列に並んだ。バッグからスマートフォンの通知音が鳴り、ファスナーを開けた。
スマートフォンの電源を入れると、しばらく会話していなかった友人の女子からLIFEにメッセージを送られている。どうやら染子が行きたがっていたテーマパークに滞在しているようだ。
『さっき、
『後、ビーコンがゴルフで飛ばしてきたピンボールを取ったら射殺されかけたよ!』
文章の下に、逆さ吊りの鮫の前で記念撮影した写真を添付している。くすんだ青色の医療従事者の格好をした黒縁眼鏡と三つ編みが特徴的な女子は、知努の友人だ。
右手に桃のような色合いの体毛で覆われたぬいぐるみを持っている。大きな目と開かれた黒い口が老若男女問わず愛されそうだ。
隣にいた腕組みしている白衣の女性は、知努の従姉だった。
『あの辺、気を付けて下さい。ッブッシュが出ますから。ちなみに
『ピンク色のぬいぐるみは、新しいディーコンの手下か何か? 鼻息だけで友達を吹き飛ばしそうな見た目してんな、お前な』
開園当時から考えられないショーの変貌に、彼は時代の流れを感じた。有名SF映画を基にしたアトラクションが数年前、撤去された話題以降、テーマパークの情報を把握していない。
「チー坊、ぬいぐるみを持っている娘とどういう関係か、教えて欲しいわ」
長方形の呼び出し機を持ったユーディットが、片手で彼の袖を掴んで訊いた。あまり深く詮索されたくない彼は、裏声を出して誤魔化す。
「ヨシエはチヌモの友達だよ! ハハハ!」
「もしかしたらチヌモのクローゼットでアブダクションが起きるかもしれないわ」
知努が12歳の誕生日に貰ったぬいぐるみをユーディットは盗もうとしている。深い溜息を吐き、観念した彼が関係性を明かす。
京希と破局してすぐ、ヨシエから恋愛感情を持っている事を告白されたが、知努は彼女の要望に沿わなかった。その出来事が原因となり、拗れた関係性を続けている。
「絹穂さんとしばらく会わなかった理由もフッたから?」
まだ話す機会で無いと判断したのか、彼は首を左右に振るだけだ。怪訝そうな表情になりながらもユーディットがそれ以上追求せず、席へ帰った。
ヨシエからの返信が届き、ぬいぐるみの正体を伝えられる。左右の手にそれぞれ星とハートの印を持つ操舵手のようだ。ショーのリニューアルで新たに登場した。
『やっぱり、小さい子が怖がるからホッピーみたいな可愛いスモーカーズも必要だゾ』
20分が経ち、バナナとイチゴとクリームが載ったクレープを持って、知努は早足で席に向かうと、早速、染子に味見を命令される。前のユーディットが持っていたイチゴクレープは見向きもしていない。
「あ! スモーカーズだ! ブーブー!」
彼が左手の親指を下に向け、軽く何度も振ってブーイングサインを出す。強引に彼女は右手首を掴んで引っ張り、知努のクレープへ嚙り付いた。そして、ユーディット、秋菜、絹穂が席を立ち、彼に近付くと、順番にクレープを味見する。
染子の時と違い、彼は嫌味の1つも言わず、3人の口へクレープを差し出していた。その状況が気に入らず、また染子は知努のクレープを齧る。しかし、何食わぬ顔で彼は食べていた。
包んでいる包装紙をゴミ箱へ捨てに行き、知努が戻ると染子は猫の鳴き真似をしながら肩へもたれ掛かる。疲労と寝不足の影響で睡眠しようとしていた。
「カナコとヨリコですら毛繕いが出来るのに、染子は俺任せのズボラ猫だ」
「うるさい、どうせお前が見ていない所で元カノにブラッシングさせているはずよ」
即座にユーディットの隣で座っている京希が、グルーミングは2匹の日課になっていた事実を伝える。都合が悪くなり、染子は軽く鼻を鳴らし狸寝した。
欠伸を堪えながら忠清が知努の膝へ座り、後ろから染子に何度も叩かれ、芝居掛かった声で助けを求める。京希とユーディットに窘められ、彼女の嫌がらせが止まった。
数分もしないうちに忠清は寝息を立ててしまう。その様子を記念として、ユーディットと京希が撮影する。従弟の椅子と化していた知努は、庄次郎から送られているメッセージに目を通していた。
『今朝起きたら、シャーマンが俺の事、見ていてびっくりした!』
呆れと解釈出来る表情のシャーマンが彼の顔を覗き込んだ写真も添付されている。子犬の頃から連休などに庄次郎の部屋で寝ており、昨夜は彼の傍でいたようだ。
唐突に目を開けた染子が、弟のメッセージを見て杞憂する。8歳の老犬が勝手に彼女の部屋へ入り、下着を咥えて遊ぶと考えていた。しかし、前足で器用に引き出しを開ける思考は持っていない。
「俺のおパンツ盗む染子じゃないんだから絶対しねぇよ。そんな事を言うからシャーマンが素っ気ないんだぞ」
「カナコとヨリコも引き出しを開けられないから大丈夫だよ。鍵を掛けないと部屋から出るけど」
京希の苦笑に苛立ち、その腹いせとして染子が知努の頬を力強く抓る。すぐユーディットが彼女の脛を蹴った。
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