第105話小学生のおねだり


 愛らしい容姿を気に入ったらしく、秋菜が、彼女達の両親とアカハナグマの飼育交渉する係を知努に任命した。まだ小学校低学年の彼女は、精神的に幼く、いつか同じ哺乳類の家族を飼育放棄する可能性が高い。


 数ヶ月前、秋田犬の飼育交渉をユーディットに頼まれ、彼は叔母のヘラを説得した。その時もやはり真っ先に飼育放棄の問題を指摘される。しかし、知努が必ず命の最期を見届ける条件で彼女から飼育の許可を貰えた。


 「ここの広いお部屋で過ごす方がアカハナグマにとって幸せなんだ。それより、秋田犬のクーちゃんは早く秋菜ちゃんに会いたいなって言ってたぞ」


 ユーディットに頼んでスマートフォンを返して貰い、彼は先程、妹から送られたクーちゃんの写真を見せる。秋田犬をいつでも見られると知り、秋菜はアカハナグマの飼育を諦めた。そして、聞き分けの良い彼女を知努が褒める。


 秋菜を納得させた矢先、性格が悪い慧沙は周りの女子達が攻撃的になりそうなアカハナグマの習性を教えた。子育て期間以外を過ごす際、野生のアカハナグマは仲の良い雌同士で群れを作る。


 「もし、私がアカハナグマだったら祇園さんと文月と秋菜ちゃんで群れを作るわ。絶対、意地悪ク染子は入れない」


 「こっちからお断りよ、金色バカハナグマ。私には里美とキーキードカ食い猿がいるわ」


 幼馴染と学年で目立っている美人の争いを高みの見物する事こそ彼の目的だった。新たな蔑称を付けられるもユーディットの上機嫌は変わらず、知努と一緒に木の上へ登ったアカハナグマを眺めている。


 「その呼び方、嫌いだわ。小さい頃の染子さんが私にした恥ずかしくて野蛮な話、暴露しても良いかしら?」


 赤面していた絹穂の表情から思春期中の男女はどのような内容か察してしまう。性的暴力した過去が露見されそうな染子は彼女の後ろに回り、両手で口を塞ぐ。幼少期から輪にかけて性的関心を持つ早熟な女子だ。


 「そろそろ鶴飛染子被害者の会が設立されそうじゃないか。染子、頼むから秋菜と2人きりにならないでくれよ?」


 「うるさい、むっつりドスケベ女誑し。忌々しいマーガリンの真似は止めなさい」


 知努が苦笑しながら染子の方を向くと怯える秋菜を後ろから抱いていた。加虐性愛の他に小児性愛の疑いがあり、彼女の動向を警戒しなければ何か取り返しのつかない事をする予感を彼は抱く。


 パナマ湾の自然を再現した水槽で泳ぐ大きく赤い金魚のようなハリセンボン、イシガキフグ、口が馬のように長いソウシハギは同じ生息地のアカハナグマと違い、あまり女子達の注目を集めない。知努とユーディットはエクアドル熱帯雨林に生息するピラルクやレッドピラニアなどが泳ぐ水槽を観察していた。


 「ピラニアと同じ水槽に他の魚を入れて大丈夫かしら?」


 「意外と自分より大きな魚に怯えるらしいから仮に捕食する事があっても多分ごく稀だと思うよ。でも、血の匂いで興奮するから危ない魚に変わりないね」


 彼にしか聞こえない様な声でユーディットは、知努の気質とピラニアの共通点を指摘する。しかし、日頃、大人しい彼女自身も染子や彼女の母親に対して、彼のような凶暴な姿を見せていた。


 カピバラやグリーンイグアナが展示されている水槽へ移動し、従姉の面倒を見ていた知努のスマートフォンに数回、通知が鳴る。彼の意識を機械に取られ、不機嫌となったユーディットに側頭部をぶつけられながら確認した。


 絹穂の数少ない友人であり、自称知努の後輩からメッセージが届いている。添付されていた写真は、洋菓子専門店の席で賭け腕相撲している知羽と常盤が写っていた。若干、常盤は押されている。


 『今、知羽ちゃんと常盤が代金を払う係決めの下らない腕相撲してます。それより、おおっち絹穂と旅行しているなんてクラスの男子達が知ったらかなり驚きますよ』


 『キュートな後輩はぬいぐるみのお土産期待してますね! 哺乳類系だと尚嬉しいです。絶対、大きな水族館の店で売っているダイオウグソクムシだけはやめて下さいね!』


 大きなダンゴムシのようなダイオウグソクムシが若い男に注目されている話題を彼は、インターネット上で見た事があった。同じ海生甲殻類のカニやエビは何とか嫌悪感を持っていない知努もダイオウグソクムシが苦手だ。


 覗き込んでいたユーディットにまたスマートフォンを取られ、甲斐性無しと思われるようなメッセージを返した。彼女が提示した金額で買える商品は、Sサイズのカワウソぬいぐるみしか思い浮かばない。そして、眉を顰めていたユーディットに夏織との関係性を訊かれる。


 「ただの先輩と後輩。それにあいつは、すぐ新しい彼氏を作るから俺なんかに気を持つ訳ないしね」


 嘘を言っているように見えない彼の様子から彼女がすぐ納得した。多くの客達が見ているにも拘らずカピバラはこれといった動きを見せず、ただ岩の上に四足で立っている。辛うじて鼻が少し動いており、生きている事だけ確実だ。


 立ち疲れたのか、染子は壁に設置されている黒い椅子に座り、休憩していた。知努の片腕を抱いているユーディットも腰と足が疲れたと告げ、彼から離れて、染子の隣へ移動する。犬猿の仲の2人は流石に披露した状態で争わなかった。


 人だかりの後ろから見られる程、身長が高くない忠清は、ユーディットが離れる機会を見計らっていたかのように従兄の元へ近づき、肩車を頼んだ。すぐ荷物を椅子の隣に置き、知努は肩車する。カピバラの姿が見えて、忠清は喜んでいた。


 十分に見せてから彼が従弟を降ろすと今度は秋菜が肩車を要求する。すっかり小学生達の父親代わりとなっており、知努は愚痴を零しつつも屈んで彼女を肩へ乗せた。そして、慧沙と京希が頬を緩ませて撮影する。


 「むっつりドスケベ女誑し、私もビーバー見たいから肩車しなさい」


 壁に水槽で展示されていた魚や動物の名前が表記しているにも拘らず、染子は平然とカピバラの名前を間違えていた。彼の代わりに秋菜が返答し、意地悪な女を敵に回してしまう。2人の背後へ忍び寄り、染子は秋菜の後頭部にゴキブリの玩具を投げ付ける。


 「ビーバーじゃなくてカピバラ。それとお前を肩車した事を学校の男子達に知られたら面倒なんだよ」


 「してくれないなら知努を一生、彼氏にしてあげない。女子の心変わりはとても早いわ」


 ゴキブリの玩具を拾い上げていた染子の脅迫に屈し、彼が秋菜を降ろしてから呆れた表情で肩へ乗せた。知努を困らせないように誰も撮影せず、眺めている。一際、異質な2人の様子が目立ち、染子だけ喜んでいた。


 彼女が小学生に聞かせられない下品な発言をしようとして、彼は軽く彼女の片足を外側へ捻る。とても学級内で異性に好意を持たれている人気の女子と思えない。しかし、そういった内面も知努は受け入れていた。


 愛想を振り撒かないカピバラの様子にすぐ飽きてしまい、染子は彼の肩の上で軽く暴れる。そして、ゆっくりと彼女を降ろし、知努が椅子の隣で置いている荷物を取りに行った。

 

 酷使されている彼の様子を見兼ねた絹穂は染子とユーディットを注意し、ようやく2つのキャリーバッグが彼の手元から離れる。


 次の大きな水槽も水族館を代表する動物が泳いでおり、アカハナグマやカピバラに負けない人だかりが出来ていた。

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