第104話地遊館


 答えて貰えない事を初めから想定していたのか、彼が臆する事なく話しやすい話題を出す。慧沙の予想としては、旅行の計画を決める場に参加していなかった知羽が恐らく兄に同行するとばかり思っていた。


 「それより知羽が来なかったのは意外だったね。絶対来ると思っていたよ」


 「妹には白猫2匹とクーちゃんの面倒を任せている。その代わり、今度、埋め合わせしないといけない」


 白猫達は退屈な時に誰かがいないと部屋から抜け出し、間食探しの旅へ出る。上向きに取り付けられていたドアのレバーを工夫し、開けたりする知能と技術を持っていた。


 高く跳んだり、前脚を器用に使ったりする2匹を監視しなければ家中が荒らされてしまう。1度、間食が欲しいあまりに脱走し、台所を荒らした事で京希からこっぴどく怒られていた。


 退屈している子犬の遊び相手と白い窃盗犯達の目付け役は知羽しか務まらない。来週の休日、2人だけでどこか遊びに行くという条件を提示し、何とか引き受けさせた。


 数分程歩き、階段を上った先に独特な構造をした建物が見え始めると女子達と慧沙は一旦、立ち止まり、スマートフォンで撮影する。大阪の有名観光場所である地遊館は開館から数十年経っているにも拘らず、未だ遊園地のような人混みが出来ていた。


 「壁にクレヨンで描いたような魚の絵があってチョーウケる」


 文月が書く黒いミミズに見える文字と比較して、知努は壁の絵を称賛した。そして、後ろから彼女に蹴られてしまう。


 チケット販売場に行き、知努が1人だけ奢られる気でいる守銭奴女の財布をキャリーバッグから取り出し、入場料を支払う。小学生の忠清と秋菜すら手持ちの所持金で買っていた


 案の定、思い通りに事が進まなく機嫌を損ねた染子は彼の脹脛を軽く爪先で蹴られる。


 「今度、小惑星が接近して、スペースシャトルを打ち上げる時に、庄次郎と忠清と知努も連れて行っても貰うわ」


 「打ち上げ実験のチンパンジーか何か?」


 近くの建物の中へ入り、エスカレーターで3階まで上がり、周りのアクリルガラスにサクラダイやクロガネウシバネトビエイなどの魚が泳ぐ様子を見ながらアクアゲートを通った。


 再度、長いエスカレーターで8階まで上がると水族館らしからぬ光景が広がっていた。8階建ての大規模な水族館はほとんどないため、海洋生物の研究所を見学しているようだ。


 森を再現するため、至る場所に植物を植えており、人工の滝もある。動物園のような空間だ。この場所では日本に生息する生物を展示していた。繁殖期を迎えると宝石のように輝くオイカワとカワムツがまだ通常状態だ。


 忠清に婚姻色の話をしている知努の近くで泳ぐ小さな哺乳類が女子達の注目を集めていた。他の水族館と違い、哺乳類もそれなりの数が展示されている。


 何故か同じ場所で展示されているコツメカワウソは唯一、日本に生息しておらず、カワウソ自体、世間から絶滅種と考えられている。愛らしい容姿に反し、大型犬並の咬合力を持つ油断ならない小動物だ。


 「こういう動物見てたら何か癒されるくない? ずっと見てられる」


 「何をしていてもとても可愛いからここを離れたくないわ」


 文月とユーディットが観察している後ろで絹穂は理不尽に染子から猿呼ばわりされていた。コツメカワウソより可愛さが劣っているという身勝手な理由で揶揄の対象に指定される。


 品行方正を体現したような彼女は暴言を吐かれる事が少なく、他の女子以上に悲しんでいた。


 「酷いわ染子さん! 可愛いカワウソと私を比較するなんてあんまりだわ!」


 「キーキーうるさいドカ食い猿ね。大人しく嵐山の実家へ帰りなさい」


 すぐ知努の隣へ行き、どちらが可愛いかを訊く。年下の女子に対し、特別甘い彼の答えは決まっていた。


 「キーちゃんの方が可愛い。カワウソの食事する所を見たら本当に可愛いなんて言えない」


 予想通りの回答を出された事で喜びながら絹穂は女子達の所へ戻る。一通り、展示されている生き物を見てから7階に降りる。先程と違い、水族館らしく薄暗い部屋だった。


 ゴイサギや大きく黄色い嘴と黒い目のせいでどこかぬいぐるみのような海鳥のエトピリカの生活する様子が見られる。知努は大量のアユが一斉に泳いでいる姿を忠清と一緒に眺めた。体が光を反射し、銀色の輝きを帯びている。


 蝗のような虫が描かれていた壁を見つけ、知努は思わず情けない声を出す。崖の上で横たわっているカリフォルニアアシカを観察していたユーディットの背後に愛想笑いを浮かべている慧沙が近づく。


 「ハッセさん、知っている? カリフォルニアアシカは1頭のオスと複数のメスでハーレムっていう家族を作るんだって」


 「きっとチー坊がカリフォルニアアシカだったら私を伴侶のメスに選んでくれるはずよ」


 確かめる為に知努の片腕を引っ張り、アシカの前に連れて来て訊く。言い逃れ出来ない状態だった。


 「ハーレムを作るような甲斐性は持ち合わせてないけど、選ぶなら染子とディーちゃん」


 勝手な妄想話を展開している彼女でなく、何故か巻き込まれた彼に対し、文月が罵声を浴びせる。ユーディットと同じ妄想を何度もした事があるため、彼は悟られないように反論した。


 「いつか俺が必要無くなるまで傍にいたいと思っている。もちろん興味は持ち続けるけどな」


 知努以上に女性関係が多い慧沙は他人事のように愛想笑いを浮かべている。その表情で人を困らせて楽しむ悪い男の思惑に振り回されたと知努は気づく。

 

 数匹のメスを囲って生活していた少子化に無縁な動物が寝ている姿すら多くの人間を夢中にさせた。知努の片腕を抱いているユーディットも数分以上、大した動きを見せない展示から立ち止まったままだ。


 退屈に感じ始めたのか、忠清が無言で従兄の裾を軽く引っ張る。6階からゴマフアザラシと一緒に泳いでいる姿を見る事が出来た。知努は苦笑しつつ話を切り出す。


 「そ、そろそろ、他の展示見ない? まだまだ可愛い動物いるよ」


 十分堪能したのか、大人しくユーディットは鼻と尾が長いアカハナグマの展示へ彼と一緒に移動する。


 木に登ってこちら側を見ているアカハナグマもまた館内の人気動物だった。しかし、染子の好みでは無いらしく、イノシシサルという勝手な渾名を付けられている。


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