第97話全ての悪は彼女に通ず



 数分が経ち、知努の横腹で憂さ晴らしする事に飽きた染子は足元のキャリーケースから1枚の写真を取り出す。



 昨日、過去の写真を教室で披露していた彼女の行動から知努は胸騒ぎがしている。恥ずかしい内容かもしれなかった。



 以前に彼の祖父母の家で発見したと説明し、周りの人間に見せている。三中家の人間は肖像権が保証されていない。



 牡丹の刺繍が施されている袴を着た女子らしき人物と母親らしき人物がブロック塀の前で並んでいる写真だった。



 両手に持っている賞状筒や袴姿で卒業式の後、撮影された物だと分かる。



 「チーちゃんの叔母さんとお婆さんの昔の写真かな? とても綺麗だね」



 知努の叔母の顔を見た事が無い京希は写真の人物を勘違いしていた。彼女以外の人物だけ知っている。



 22歳成人男性と40歳半ばの中年男性がこの写真に写っている人物の正体だ。知努は顔を逸らし黙ってしまう。



 祖父も晴れ舞台で着たこの袴は次の世代の為に保管されていた。恐らく染子が見つけられない場所だ。



 風貌が成熟した女性にしか見えなかった祖父は同性異性問わず幾度も求愛されている。それ程、美しい人間だった。



 ちょうどこの頃、櫻香に今日子と名付けたホーランドロップイヤーのぬいぐるみを贈っている。



 「違うよ。フミ伯父さんとお爺ちゃんだよ」



 「答えは私が言うから黙ってなさいチビ猿。嵐山に棄てられたいのかしら?」


 

 染子が目を離した隙に知努の片腕を抱いているユーディットから蔑んだ目線を向けられた。


 

 猿呼ばわりされた事で忠清は染子の脛を強く蹴り、小学生と高校生の争いが勃発する。



 彼女はユーディットにしたような平手打ちを繰り出そうとした矢先、後頭部を軽く叩かれ、阻止された。



 「今度、ダッキー虐めたらジジイに言ってダメ子の資金源、潰すからな?」



 両親に隠れて知努の祖父から金を貰っていた染子がすぐ振り向き、片手で彼の胸倉へ掴み掛かる。



 見開いた双眸が彼女の金銭への執着を物語っていた。見せしめにユーディットの額へ頭突きし、また頭を叩かれる。



 「義仁よしひと銀行はこの内親王たるわれの物だ。良かろう、人の子よ。試してやる」



 幼馴染の祖父を道具としか見てない振る舞いが暴君だ。口調もそれに合わせ仰々しく変わる。



 彼の中指と親指が減らず口を叩く染子の咬筋こうきんに食い込み、一転し、情けなく苦痛を訴えていた。

 

 

 「上等じゃい! まずはオノレを桂川へ沈めたる。せいぜい楽しみにしとくこっちゃ」



 似非関西弁を使い始めた知努はかなり不機嫌だ。1分間続けると遂に彼女が喋らなくなる。



 手を離された染子は鼻を鳴らし、略奪した写真をキャリーケースの中へ片付けて、肘掛けに座った。



 後ろで知努とユーディットの様子を見ていた慧沙が苦笑しながら下らない冗談を零す。



 「ハッセさんと知努ちゃん、とても仲が良いから異母姉弟だったりしないかな?」



 「二田部の期待を裏切って悪いけど、チー坊は正真正銘、文おっさんの息子だし」



 靴のかかとで足の甲を踏みながら文月が断言する。過去に1度、DNA鑑定を行ったようだ。


 

 慧沙と同じく知努も染子から足の甲を踏まれている。今、彼が着ている上着は贈り物だった。



 「そういえばこの大正の学生みたいな服は誰から貰ったのかしら?」



 「苦痛を与えて訊き出そうとするな! 姉上から貰った」



 勘付いている彼女が事実確認のため、わざと訊いていた事は長年の付き合いで察している。



 知努が姉上と呼ぶ女性は母方の従姉だった。気性の荒い性格が災い、様々な人間から恐れられている。

 


 その一方、幼少期から千景や櫻香のように知努を溺愛しており、服を不定期で贈っていた。



 「あのスベタからもうプレゼント貰わないで。次貰ったら金色ワカメと一緒に三途の川へ流す」



 「いでで! 無理無理! 断ったらとんぼのツネみたいにリンチされるだろ!」



 独占欲の強い彼女に京希と交際している事を伝えた日、小学生だった知努は激しい暴力を受けた。



 そして、カナコとヨリコにまで危害を加えようと目論んだため、喧嘩へ発展し、自宅の居間が凄惨な姿となる。



 三中の祖父が仲裁に入り、2人は無期限の接近禁止を命じられた。そうしなければ刑事事件にまで発展する。



 人柄も良く、辛い過去に塞ぎ込んでいた知努を立ち直らせた京希は、交際3年目でようやく彼女から認められた。


 

 しかし、間違いなく傲慢不遜な染子と交際する予定は妨害されてしまう。未だ彼女に好意を寄せている事すら伝えていない。



 「あっ! 内親王様が代わりに戦ってくれるなら俺、貰うのやめる」



 「見事だ、人の子よ。凄まじい実力だ。これには流石の我も驚いたぞ」



 神話に登場する神のような態度を取っている彼女は遠回しに降伏していた。弱い者を虐げる事しか出来ない。



 いくつかの駅を通過し、1時間以上、立っていた知努達はようやく空いたばかりの席に座った。



 目に入った人間を虐める癖がある染子の隣は知努しか務まらない。寝不足のせいか、大人しく座った途端、すぐ寝てしまった。



 肩に頭を置かれている知努は読書に没頭している。騒がしい女が寝ている間でなければ時間を確保出来ない。



 「お昼は大阪らしいものが良いわ。兄さんは何が食べたい?」



 後部座席に座っている絹穂から昼食の話題を出され、彼は脊髄反射で適当な答えを出した。



 「女体盛り」


 

 身を乗り出した彼女が座席の間から入れた片手で彼の髪を引っ張る。すぐ彼は悲鳴を上げた。



 「痛い痛い! 髪が痛んじゃうから引っ張らないで! 本当はお好み焼き!」



 「小さい頃はこんなに下品な子じゃ無かったわ。恐らく染子さんの悪影響を受けたのだわ」



 髪が長かった頃の彼は、彼女の言うように少なくとも言葉遣いで怒られる事が無い子供だ。



 絹穂の小言を聞かされながら彼はまた読書へ戻る。修学旅行以来の大人数の旅がこれから本格的に始まっていく。


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