第96話思い出のサンドイッチ



 朝らしからぬ鬱屈な雰囲気が辺りへ漂っていたホームは、落ち込んでいる人間に飛び込み自殺をさせそうだ。


 

 知努と京希が2ヶ月間続いた中途半端な関係性に終止符を打ち、その影響で賑やかさは無くなっていた。



 元交際相手を不幸にしていたと知り、失意の彼は逃げている。到底、これから旅行が楽しめる状況でない。



 キャリーケースから出したスマートフォンで染子が失踪中の知努へメッセージを送信する。



 『薄情な泥棒猫の事は忘れた方がいいのさ。きっと引く手数多だからすぐ男を作るよ。それとも私じゃ不満かな?』



 中性的な印象を持たれる文章に敢えてしていた。普段の話し言葉は些か高圧感がある。

 

 

 ある程度、気持ちが落ち着いているのか、すぐ彼から返信された。何故か年相応の女子らしい文章にしていた。



 『ケーキは染子の言う通り、多分やる気さえあれば相応しい人と付き合えるわ。出来ればまたカナコとヨリコに会いたいの』



 別人格の彼はこういった口調を使うが、そもそも他人へこういった弱い部分を見せると思えない。



 次の電車が到着するまでまだ時間はあるため、待つ事にしていた。



 すぐそばで絹穂が彼のために京希を説得している。そちらの対処は任せるしかなかった。



 「チー坊はもう京希さんと付き合わないわ。でも、まだ関わりたいはずよ」



 「別れた女が他の人と幸せになるところなんて見たら、いくら優しいチーちゃんでも悲しむよ」



 他の人間と同じく傍観者に徹していた染子は違和感を覚えてしまい、口出しする。先程のメッセージに彼の答えが含まれていた。



 「知努は間違いなく祇園さんの幸せを願っているわ。それより、猫に会いたいらしい」



 先程下した決断が揺るぎ始めている京希は俯いたまま無言になってしまう。知努さえ戻れば事態が解決出来そうだ。



 数分後、ようやく逃げ出していた知努が姿を現す。誰よりも早く絹穂は彼の元へ駆け寄り抱き締めた。



 そして、両腕にユーディットと忠清が抱き付いた事で身体の自由は奪われてしまう。満更でもなさそうな知努はだらしなく笑った。



 頼んだところで離れない事は明白なため、彼が数センチ先にいた京希を見つめながら本題に入る。


 

 「俺は祇園京希の事を今も愛している。だからこそ、そばで幸せになるところを見たい」



 嘘偽りない彼の考えを聞けた彼女は微笑みながら1つの条件を出した。

 


 「私が作ったサンドイッチを食べてくれるならいいよ」



 しかし、胸元からまだ空腹感を覚えている絹穂に不満を言われてしまう。食事制限と無縁な女だ。



 ベンチに腰掛け、知努と絹穂はコーンビーフレタスサンドを食べていた。昨夜から何も食べていない彼にとって十分美味な味だ。



 2人が食事している様子を羨ましそうに眺めていたユーディットがある提案をする。5月の下旬は体育祭があった。



 「体育祭の時にチー坊のお弁当を作るからチー坊は私の分、作って欲しいわ」



 「金色ワカメゲルまんじゅう顔の弁当は私が作るわ。ゴカイの素揚げで弁当箱を埋め尽くしてあげる」



 誕生日に染子からイシゴカイの素揚げを無理やり食べさせられた出来事が一瞬蘇り、彼は吐き気を催す。



 隣の絹穂も同じく服の中へ入れられる嫌がらせを受け、虫嫌いが悪化した。無言で体を震わせている。

 

 

 従弟の虫嫌いを知っていたユーディットがすぐ染子の企みを察し、睨み付けた。



 「絶対、染子の下手くそで悪趣味な料理なんて口にしないわ。チー坊にも食べさせたくない」

 


 騒動に巻き込まれたくない知努は無言のまま食事している。余計な事を言えば平手打ちが待っていた。



 実力行使に出ると予想していたユーディットは彼の隣へ座り、もたれ掛かる。この状態で暴力を振るえば知努が黙っていない。



 「ディーちゃんの分、作ってあげるよ。俺の弁当は出来ればサンドイッチが良いな」



 食べ終えた彼はユーディットの頭を撫でると染子から左右の頬を引っ張られた。弾力があるおかげであまり伸びない。



 そして、ユーディットと絹穂の側頭部へぶつけた。頬から手を離された知努が両手で顔を隠しながら嘘泣きする。



 左右の2人も両手で頭を抱えながら屈みこんでしまう。周りへ聞こえないように暴言を吐いていた。


 

 「染子の両親は一体どういう躾を施しているのかしら。猛獣を放し飼いしないで欲しいわ」



 「いつか染子さんは兄さんから棄てられるわ」



 知努の前だけ庇護欲を抱かされる女として振舞いたいがため、暴力は振るわない。幸い、少しずつ痛みが和らいでいる。



 「誰か助けてぇ! 誰か!」



 演技で情けない声を出して彼が笑わせようとした。ゆっくり足音を消しながら染子の後ろへ忍び寄り、忠文が染子の太腿に膝蹴りする。



 平然を装いながら素早く京希の隣へ逃げ、3人の無念は晴らされた。



 片脚の力が入らなくなった彼女は知努の額へ頭突きし、倒れてしまう。野太い声を出しながら彼がもがき苦しんだ。



 「さすがにチーちゃんを巻き添えにしたらダメだよ。鶴飛さんって意地汚いんだね」



 知努が日頃から受けている染子の仕打ちを始めて見た京希は、不安を抱いている。家庭内暴力と大差なく、あまり好ましくない。



 頭突きされた額が少し腫れており、彼の表情は曇っていた。一瞬、右拳を握るもすぐ開いてしまう。



 「頼むからもう少し大人しくなってくれ。俺の体が持たないだろ」



 知努の肩に2人が頭を置き、仲睦まじい光景を見せつけられた染子は敗北感を抱いている。



 彼らが待っていた電車は定刻通りに到着し、次々と乗り込んだ。休日の影響か、空いている座席は少ない。



 小学生2人をそこへ座らせ、後の人間は釣り革を持ち、立っていた。知努の隣で染子は不貞腐れている。



 座席に座れなかった幼少期の苦い経験から電車やバスが苦手だ。憂さ晴らしに彼の足を踏んでいた。



 「クソガキ2匹がいなければあの席に座っていたわ。誰よ、連れて来たマヌケは」

 

 

 「うちだけど、何か文句ある? 次、忠清をクソガキ呼ばわりしたら殴るし」



 後ろから文月に肩を強く握られている染子は蛇に睨まれた蛙同然だ。しばらく、知努の腹部ばかり殴り、悔しがる。


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