第95話おもいあい



 慧沙の妹である二田部秋菜にたべあきなの隣を通ると彼女からも頼まれる。知努は体の良い使い走りだ。


 

 「知努にい、うちも喉が渇いたから適当にジュース買って来て」



 財布から出した100円硬貨を渡される。缶のジュースすら買えない金額のため、彼は呆れて溜め息を零す。


 

 染子のジュースを買った際の釣り銭で買わせる魂胆が見え透いていた。しばらく見ないうちに悪い女子小学生へ変貌している。



 「ごめんくさい、10円玉が足りないじゃ、あーりませんか」


 

 笑わせたい一心で放った彼のギャグを9歳の年齢差がある少女に無視されてしまった。成す術がないと悟り、ボストンバッグから財布を取る。



 そこから数十円を出した矢先、守銭奴の染子に文句を言われてしまう。昨夜観た映画の影響だった。



 彼も彼女の両親同様に『難波金融伝・ミナミの帝王』の視聴を禁止するべきか悩んでいる。

 


 「オノレ、何しとんじゃ。ゼニに関してはこの鶴飛、1歩も引かんのじゃ」



 「鶴飛はんはしっかりした女性やわぁ」



 京ことばで軽くあしらった彼は財布を外套のポケットに入れ、自動販売機の元へ向かう。



 自動扉が開き、手洗い場のすぐそばに自動販売機は設置されている。染子のゲップを聴かされたくない彼が乳酸菌飲料を2つ購入した。



 秋菜がジュースを飲めない状況は可哀想と思い、仕方なく不足分を所持金で補填している。

 

 

 踵を返すと染子は悪びれず、両手から素早く2回ずつ頬に繰り出す平手打ちで秋菜を虐めている。



 「元気ですか!? オラッオラァ! エェ! オラァ!」



 一種の遊び程度しか思っていないのか、慧沙は笑みを浮かべながら眺めていた。過保護な傾向がある彼はすぐ止めに入る。



 「うち、染子みたいなわやする子、好きになりひんよ」



 「しらこいのうワレェ」



 釣銭を染子へ戻すと頼まれていた飲料を強奪されてしまう。そして、不満な表情で偏見交じりの罵倒が出た



 「ハイハイ赤子野郎が飲みそうなジュースを買って来やがって。やっぱりハイハイ野郎は成長しても変わらないわ」



 離乳食へ食生活が変わる幼児はよく乳酸菌飲料を飲んでいた。実際、知努も飲んでいる写真がある。



 幼少期から包装の絵と味が好きな理由で今もなお飲み続けていた。染子に知られると間違いなくからかわれてしまう。



 しかし、染子の赤子に対する侮蔑は、長年関わっていた3人すら理解出来ない。



 釈迦のような生まれた時から二足歩行の人間でもなければ持てない価値観だ。



 肘掛けに買ったジュースを置き、先へ戻ると後ろの慧沙が余計な事を口走る。



 「知努ちゃんだって、秋菜が小さい頃、同じようなジュースを一緒に飲んでいたから恥ずかしくなんてないよ」



 「それってまだ母親のマっ」



 慧沙へ対し、公序良俗に反する発言をしかけた染子の頭部を知努が叩く。鶴飛家で1番下品な女はどのような時も弁えなかった。



 知努の元交際相手である祇園京希がサンドイッチが入ったバスケットを持って来ており、朝食に誘っている。


 

 空腹だったのか、彼のボストンバッグを遠慮なく踏んで謝りもせず、染子は京希の元へ向かう。一方、天邪鬼の知努は座ったままだ。



 小学校低学年まで当たり前のようにあった協調性はいつからか失っている。人の賑やかな声すら不快感を抱く事もあった。



 後ろにいる京希が呼んだ事で重い腰を上げ、そちらへ行く。すっかり1種類を残しバスケットの中身は無くなりつつある。



 先程まで入っていたツナサンド、ジャムサンド、ベーコンエッグサンドは周りの人間が取っていた。



 2つのいちごジャムサンドイッチを持ち、染子がまた彼のバッグを踏みながら席へ戻っている。



 コーンビーフとレタスが挟まれているサンドイッチを見た京希の表情が暗くなってしまう。


 

 周りの人間が席で食べている中、知努と彼女は全く手を付けていない。2人の間に重々しい雰囲気が広がる。



 「このサンドイッチ、チーちゃん好きだったね。いつもピクニックの時にチーちゃんが張り切って作ってくれたサンドイッチ、美味しかったよ」



 鮮やかな桜の花や紅葉が見られる季節に彼は彼女と行楽を楽しんでいた。その出来事が遠い昔のように感じる。



 口論も無く順調な関係性はある日、京希の一方的な別れ話で終焉を迎えた。それから2ヶ月程、無気力な人間として生きている。



 カナコとヨリコの最期を一緒に看取ると約束をしたため、未だ関わり合っていた。知努は彼女を変わらず愛している。



 いつまでも終わってしまった恋愛を引き摺り、京希に情けない男だと思われたくないため、隠していた。



 愛しているが故にどうしても友人と呼べない中途半端な関係性を続けている。



 懐いてくれた白猫の顔を見に行く事すらとても気まずくなっていた。親権を元配偶者に取られている子供同然だ。



 辛酸を嘗めた日々が昨日の出来事のように思い出し、食欲が湧かない。彼はサンドイッチを取らず戻ろうとする。



 居心地が悪い彼の気持ちを態度から察した京希は呼び止めてから2度目の別れ話を切り出す。



 「カナコとヨリコの最期は私1人で看取るよ。もう私はチーちゃんに頼らず生きていくから最後に聞いて欲しい」



 この空間は他人の色恋に集まる野次馬や9割方、敵対している男子生徒がいない。彼は傍の空いた椅子へ腰掛ける。



 「私があの時、別れ話を出した本当の理由はチーちゃんに甘えてばかりだと一生、子供のままな気がしたからだよ」



 「エスカレーター式で結婚して、子供を授かって、一緒に老いていく。チーちゃんがいたら多分幸せへなれたけど、多分、それじゃいけないよ」

 

 

 京希の双眸から涙が零れ始めた。精一杯、彼女のためを想い、行った行動は結果として苦しめている。



 周りの人間からの人望も厚く、太陽のように明るい京希と知努は分不相応な関係だった。



 近い将来、彼女に相応な人間が現れ、人並の幸せを得られる。知努は無理やり笑顔を作りながら伝えた。



 「今までありがとう、そして苦しませてしまってごめんなさい」



 言い終わると彼も悲しさのあまり、嗚咽する。ようやく2ヶ月間の無価値な関係性を清算した。



 この旅行が終われば彼女と関わらない事を決意する。そうしなければ彼女の決断が無駄になってしまう。



 「大丈夫、チーちゃんはもう少し自由に生きた方がいいよ。嫌な事なんて全部忘れてしまった方が楽だよ」


 

 「うん、これからそうする」


 

 俯きながら立ち上がった知努は染子の隣へ帰って行く。旅行を楽しむ気力が失せており、逃げ出したくなっていた。



 下手な慰めが却って傷つけてしまうため、周りの人間は沈黙を貫いている。染子すら茶化さなかった。



 彼が席へ戻ってすぐ、乗り換えに必要な駅へ到着する。急いでボストンバッグを持ち、無言で降りた。


 

 旅行の参加者が人ごみに紛れながら2階のホームへ移動する。元交際相手と関わらない未来を選んだ知努は煙のようにそこから消えた。



 「自分が今までにしてきた事が、兄さんはどういう行動を取るかすら考えられないのかしら」



 薄々このような状況になると察していた絹穂が独り言を呟く。隣の京希は何も答えられない。


 

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