第94話インディアンの軽い槍
ニーソックから見える太ももを一部の人間は絶対領域と呼んでいた。女性の脚を好む文化の認知が今日、浸透している。
ベッドの上から涼鈴に見られながら染子の寝間着を脱がしている彼も女性の脚が好きだった。最早、片脚だけにすら欲情する。
どちらかといえばニーソックスよりハイソックスを好んでいる。理想は黒のハイソックスと白いブーツを履いた脚だ。
靴下により隠された脚の魅力を対照的な色合いのブーツが引き出すと考えている。これが彼の性癖だ。
不幸な事に知努が好意を寄せている鶴飛染子は外出する時以外、靴下をすぐ脱いでしまう女子へ育っている。
下半身を冷やしてはいけないと思い、彼が最初にタイツを穿かせる。しかし、彼女の格好は日本で有名な元関脇プロレスラーのようだった。
染子もすぐそれに気づき、知努の横腹へ何度も手刀で攻撃する。2人が敢えて明言しなかった人名を涼鈴はとうとう言ってしまう。
「そーちゃん、何だか力道山みたいな格好しているね。今から試合でもするの?」
「ヒールレスラー、ヤークト・ワカメとの遺恨試合をします。空手チョップで今日こそ
ユーディットは
天国と地獄のどちらも行けず、永遠に存在する事は人生の否定に等しい。それを知った上で彼女が言っている。
年相応の女子らしい服装に着替えさせた後、知努はヘアブラシで髪を梳く。大人しく彼女がもたれかかっている。
猫のような彼女を愛おしく思う気持ちが表情へ出ていた知努は、母親から苦言を呈されてしまう。
「あまりそーちゃんを甘やかしてばかりだとダメ子に育ってしまうよ?」
身支度を他人にさせている女子は彼の知り合いの中で染子しかいない。しかし、だらしない彼女は男子生徒達から言い寄られている。
「同棲している訳でもないからそうはならない。それに養育の義務はあの両親が背負うべきだ」
これからも彼は染子を甘やかす役割に徹するつもりだ。
黒いシフォンリボン付きヘアゴムで彼女の後ろ髪を束ね、肩から垂らした。口さえ開かなければ大人びた女子だ。
10分が経ち、一通りの準備を済ませた2人は荷物を持ち、玄関から出た。時刻確認ついでにSNSへ投稿する。
『さっきの染子、力道山みたいな格好してて草。
集合場所の駅へ向かっていた途中、見覚えがある白い軽自動車が2人の横へ停車した。斎方櫻香の車だ。
「小さなウサギ小屋みたいなこんな車に乗りやがって。どんなウサギ野郎が運転してんだ?」
相手の了承を得ず、染子が悪態を吐きながら後部座席へ乗り込む。彼もバツの悪そうな顔で付いて行った。
助手席に従弟の白木忠清が座っている。どうやら櫻香は彼の送迎を祖父から頼まれたようだ。
「阿南のクソ
後部座席に置いていた灰色のホーランドロップイヤーのぬいぐるみを持っている染子が彼の横腹へぬいぐるみの後ろ脚をぶつけた。
カーオーディオから流れていた長渕剛の『とんぼ』を聴くと彼女はいつも別作品の台詞を真似する。
「金色ワカメゲルまんじゅう顔みてぇな耳しやがって。お前、東京モンじゃねぇだろ?」
垂れている長い耳のウサギのぬいぐるみを知努の方へ投げ付けた。櫻香にとって大事な友達だ。
名前も付けられており、彼にぬいぐるみを送った知努の祖父が今日子と名付けた。『二代目はクリスチャン』の登場人物、シスター今日子から取っている。
「おい止めろ、今日子を投げんな。乱暴な女の子はいつか皆から嫌われるぞ?」
「ハイハイ言うような安っぽい女になんて、私、ならないわよ!」
櫻香に聞きたくない言葉を言われた時はいつも『とんぼ』の好きな台詞で黙らせていた。
ぬいぐるみを立たせ、知努が今日子の声を演じて会話する。すっかり2人だけの世界と認識していた。
「力道山染子は虐めるから大嫌いよ。キャベツくれても絶対許してあげない」
「こんなにモフモフで可愛い今日子をいじめるなんて力道山染子は最低な女の子だね」
気が短い染子は有名プロレスラーの有名な台詞を言いながら彼の頬を2回、平手打ちする。
「元気ですか!?」
「怖いなぁ、とづまりしとこ」
下手に怒れば面白がると分かっていた知努は、ぬいぐるみと共に窓ガラスから外を眺めながら呟く。
集合場所の駅の前に到着し、3人は車から降りた。すぐ櫻香がぬいぐるみを持って行く染子を見咎める。
「誘拐して強請の材料に使う事は分かってんだぞ。今日子を返せ、あくしろよ」
2人が軽く挨拶する中、謝りもせず、今日子を後部座席へ戻した彼女は軽く舌打ちした。
駅の中で参加者達が既に集まっている。ぬいぐるみの誘拐を失敗した染子は腹いせにユーディットの頬を素早く2回、平手打ちする。
「元気ですか!? オラッオラァ!」
色白の頬が赤みを帯びたユーディットは彼の背後へ密着し、隠れてしまう。暴行していた瞬間を少し離れた場所でいる慧沙の妹に目撃された。
兄と同じく目尻が下がっている彼女は冷ややかな目線を染子へ向けている。すぐ染子は別の人間から報復された。
「チー坊、あの乱暴ダメ子のどこが好きか、うち、分かんないわ。今でも遅くないからジュディーに乗り換えたら?」
彼女が苦手とする白木文月は平常通りの気怠そうな態度でからかう。誰も彼女の意見に異を唱えなかった。
切符を買ってから改札を通り、停車していた特急列車へ乗る。自由席のため、それぞれ、好きな席に向かう。
染子の横暴な振る舞いの被害を受ける横と後ろの席は慣れていた人間が座っていた。すぐ彼女は椅子を後ろへ倒す。
隣に座っている知努は、図々しい幼馴染が倒した椅子を元の位置へ戻し、真顔のまま質問する。
「インディアンが1本持っているのは軽いヤリです。その反対は何だ?」
「入植者の軽くないヤリ」
真剣な内容でふざけた答えを出した染子の頭を叩く。躾の場合、犬や人間に拘らず、彼は厳しかった。
起きてから今まで短慮な振る舞いばかりしている染子が俯きながらもう1度答える。彼女の父親からも昔、同じ質問をされた。
「
「はい、日夜それだけを勉強しろ。世の中、他人がいるって事、忘れんじゃねぇぞ」
怒られた彼女は、思春期の女子らしくそっぽを向いている。昔から反骨精神が強かった。
思いやりと我慢を履き違えないように彼は補足説明を入れる。過度な我慢がいずれ争いの火種となってしまう。
それは人間関係にも十分当てはまる事だ。痴情の縺れが互いの不満で良く起きる。
「慧沙に倒していいか訊いた後、倒せって事だよ。そんなむくれた顔したら俺が悲しいだろ」
言われた通り、慧沙にぶっきらぼうな声で確認を取ってから再度、椅子を深く倒した。
「薄っぺらのボストンバッグ、10秒以内でジュース買って来います。お願いするます」
1分も経たないうちに彼女がおかしな敬語を使いながら200円を渡す。先程、教えた思いやりはどこかへ消えている。
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