第68話縄ノ何カ



 鶴飛染子がどのような場所でも戦場へ変えてしまう事は昔から変わっていない。野蛮な生き物に平和を享受する思考が必要だった。



 数時間後の21時過ぎ、部屋にあるベッドの上で自称カマホモ鶴飛染子・オナージ、自称オプティマス・トロッコ三中知羽、自称オカーン白木忠清・マーンの3つ巴の戦いが繰り広げられている。



 ナイトキャップのようにカマホモ・オナージが被っている青の男性用下着について誰も注意しない。



 戦火から少し離れたベッドの端で猿とオランウータンのぬいぐるみが座っている。彼らのつぶらな瞳は争いの虚しさを物語っていた。



 「猿蔵くんとアパアパくんは全てを見ていたってか? やかましいわ!」



 何かに対してツッコミを入れた彼の声が部屋の空気の中へ溶け込んでいく。いよいよ知努はいないものとして扱われていた。



 最近、兄と添い寝出来ず、不満が溜まっているトロッコは、カマホモと取っ組み合いしている。その横からオカーンが枕で叩いていた。



 「落ちろ! アカトンボ!」



 「恥を知れ汚物!」



 無理やり慣れない凛々しい声を作っていた2人にカマホモは追い詰められている。しかし、臆する事なく、見据えていた。



 「まだだ、まだ終わらんよ!」



 喉を締めながら壮年の男性のような声を出そうとしていたカマホモの声は、出し慣れていないせいでかすれている。



 「歯ァ食いしばれ! そんな大人、修正してやる!」



 布団の用意が整ったファミーユ知犬・イタンが裏返った声を出しながらカマホモの尻へ正拳突きをした。



 まるで予め打ち合せしていたかのように大人しくオカーンはファミーユが敷いた布団に入る。無意味な争いだった。



 知努がベッドへ上がろうとした途端、部屋の隅で充電している染子のスマートフォンから着信音が鳴る。



 「姉さん、私の携帯を取って欲しいな」



 向き直り、少年を真似ている声で彼女が頼んできた。無邪気そうな表情にも惹かれている事を隠すためぶっきらぼうな口調で応対する。



 「黙れ、中央線武蔵小金井駅のホームから突き落とすぞ」



 飼い犬が門から見えた通行人に吠えている程度の認識しか持っていない彼女は、表情を崩さず聞き流していた。



 要望通り、彼女のスマートフォンを小走りで取ってから渡す。珍しく二田部慧沙の名前が画面に表示されている。



 軽い世間話程度の内容であれば文章のやり取りが主流だ。彼女に何か頼む気があると彼は察している。



 おどろおどろしい何かと幼馴染を邂逅される事に染子が反対していた。知努はSF映画やホラー映画の登場人物へなったような気分だ。



 「私の知犬はまだ子犬よ。あんな悍ましい狂気の塊のようなアレと引き合わせるなんて嫌」



 知努の脳が理解を拒絶する様な存在が身近にいた。どうやら魑魅魍魎が跋扈する恐ろしい世界へ生きていたようだ。



 しかし、そのような類いの存在が堂々と活動しているようになった話など全く彼は信じていない。



 実際、彼女が過剰に表現しているだけであり、間違いなく人間だった。いつもユーディットの容姿をからかうひどい女が染子だ。



 クトゥルフ神話に出て来た神々のような扱いを受けていた人間が可愛そうだと彼は同情する。



 他人の蔑称ばかり考えている彼女すら代名詞を使う程、恐れられている正体が結局、彼は分からない。



 異様に恐れられている不良ですら、聞いた人間が分かるような単語を使って紹介される。



 本当に人が恐れている存在は脳が理解を拒み、明確に表現出来ない。そこで恐怖は途絶えてしまう。



 都合の良い情報を頼って生かされていた事がよく分かる。その性質上、彼に微塵の恐怖心も抱かせなかった。



 巷で有名なSCP財団の小難しそうなオブジェクトクラスすら収容されている生物の危険度だと分かる。



 通話している2人しか分からないやり取りを見ている女子中学生と男子小学生は怪訝そうな顔で眺めていた。



 「しっかりゲイ沙とお目当ての女子が注意してなさい。もし、大事な知犬がおかしくなったら郵便受けにシャーマンの糞を入れる」



 彼女から用済みのスマートフォンを受け取り、また充電する。従姉の飼い犬であるクーちゃんを彷彿させるような表情の知努はベッドに上がった。



 下から忠清に猿やオランウータンは毛布を被らなくて寒くないかと訊かれる。返事の代わりに脱いだ紺色の靴下と男性用下着がぬいぐるみへ投げ付けられた。



 「害獣2匹の事なんてどうでもいいでしょ。それに知犬は子犬だからそんな事、分からないわ」



 「家族は靴下投げの的じゃない、それにオランウータンは絶滅危惧種だぞ。体毛が濃いおかげで日本の春程度の気温なら寒くない」



 反対側で横たわっていた知羽が糞を投げるゴリラより低知能と染子を煽り、彼を挟んだ戦いの火蓋が切られる。



 2人が毛布の中で繰り広げている蹴り合いは彼の右足に被害を与えていた。染子のかかとが彼の股間へ落ちる。



 「いってぇ! ちーち〇ち〇にかかと落とししたバカチン、出てこい!」



 明らかに誤魔化していると分かる甲高い声の染子がオランウータンのぬいぐるみに罪を擦り付けていた。



 「24歳です! オランウータンです!」



 正直に彼女が謝罪するまで彼は無言となり、しばらく静寂に包みこまれる。三中家の人間は結束が強い。



 とうとう沈黙に耐えられなくなった染子が真剣な眼差しで謝罪する。苦笑しつつ彼はすんなりと許した。



 「話が変わるけど、染子は一体、慧沙と何を話していたんだ? いつから昭和27年になった?」


 知努の質問に対し、とても悪ふざけを言っているような様子が窺えない表情のまま彼女は答える。



 「普段、それは縄に関する何かが隠されているわ。一見、何の変哲もない私達と同じ生き物だけど、禍々しい狂気が」



 「縄と生物である事以外の情報が全て、俺の脳みそ君は理解を拒絶してます」



 土着信仰の神社にある鳥居の神縄を解いた事により、祀られていた神が顕現したような印象を抱く。



 縄と生物、染子の尋常じゃない畏怖から彼の脳内へ組み上がった光景は、姿形が分からずとも恐ろしい。



 ノストラダムスの大予言に出て来た恐怖の大王が子供だましに思える不気味さと不安を感じさせる。



 そのようなものが存在し得ないと理解しても尚、怯えている彼がアパアパを抱き寄せてから布団の中へ潜り込んだ。



 「そういえばオランウータンってピンキーに似てない? デデドン!」



 「ファッ!? ウーン」



 染子が放った言葉は彼をいとも簡単に瀕死状態へ陥らせる。オランウータンの顔は文化に作用する兵器だった。



 「言葉には、人を殺すことのできる力が宿っているんだよ」



 優しく微笑んでいる彼女が、夭折したSF作家の著作から言葉を引用する。


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