第63話したたかな暴食女



 悪質な手口で母親に誤解を植え付けられた彼は夕食の下準備が済み、シャーマンの散歩へ向かう。



 ある程度、時間が経過しなければ拗ねている母親の誤解は解けそうになかった。彼を困らせて染子は楽しんでいる。



 彼の部屋がある2階に行こうと居間の扉へ近づく彼女を知努の母親は呼び止めた。渋々、染子が向き直る。



 「そーちゃんもライバルが多くて大変だね。きー絹穂ちゃんは油断した隙にすぐちーちゃんを盗っていくよ」



 ひた隠しにしていた彼の秘密を把握しているような素振りがある絹穂は、絶大な信頼を彼から寄せられていた。



 ユーディットや染子と引かず劣らずの容姿で間違いなく知努好みだ。しかし、2人を陥れる様子は見られない。



 格好いいと持て囃されている二田部慧沙は、周りに好意を寄せる女子が集まっていた。知努も異性の気を惹きやすい。



 絹穂と交際する道もありながら知努は染子へ告白した。彼が思い描く未来は変わらないようだ。



 「それはないです。大食い奇声恥ずかしがり屋は染子ハーレムの女ですから」



 息子すら絶対に言わないような発言を聞いた彼の母親が思わず苦笑してしまう。これ程の厚顔無恥はある意味、才能だった。



 人を振り回して楽しむ彼女も知努に惹かれている事が一目瞭然だ。未だ彼の所持品であるヘアゴムを使っている。



 染子が居間から出て1時間後、絹穂と手を繋いでいる知努は戻った。とても幸せそうに笑う息子を見かねた彼の母親が抱き付く。



 「ちーちゃんのバカっ。そういう笑顔を家でもいっぱい見せて欲しいよ。本当、キャバクラでヘラヘラしているたーちゃんそっくりなんだから」



 「恥ずかしいからヤダ。俺は母さんにとって格好いい息子でありたい。そう言ったら、またイタズラされるんだよなぁ」



 両拳の内側で横腹を何回も殴り、乾いた音が響いた。絹穂は軽蔑したような目つきを彼の母親へ向ける。



 コバルトブルーのシャツ、白いフレアスカートは見るものに素朴な少女という印象を抱かせた。



 「息子がドスケベなら母親も同じね」



 「私はドスケベだよ。きーちゃんも好きな人に愛されたいと想う気持ちを忘れたらダメだよ? すぐ老けてしまうから」



 含蓄ある言葉だと知努が感心していた途端、彼の母親は口づけをせがむ。いつもの悪い癖だった。



 拒否すると機嫌を損ねてしまうため軽く唇同士を重ねる。童心へ戻ってしまう温かさに包まれた。



 ゆっくりと口を離した彼は赤面しており、台所へ行こうとするが彼女に引っ張られる。この行動で察してしまう。



 「色んな人に汚された、だらしない唇でもいいからキス、して欲しいわ」



 目を閉じ期待していた彼女の唇を奪った。離れないように彼女の腰へ片手は回る。どこか征服感と似た感情が湧き出た。



 今夜の夕食はいつも以上の大人数だ。机と鍋を2つ並べて椅子も人数分用意している。



 息子に食べさせて貰っていた忠文を女子達は、動物の交尾を見せられているような目つきで見ていた。



 実の娘が抱いていた彼の印象は更に悪化している。何度も小声で土に還れと言っていた。



 「気持ち悪いので、棺桶に入ってから地元へ帰って来て下さいね。すぐ無縁仏行きですが」



 「コラ、親父がかわいそうだろ。善人悪人問わず最期は家族に愛される権利を持っているんだよ」



 本心でないと分かっている知努は彼女の肩へ軽く寄りかかりながら窘める。わざと怒られるような事を言って楽しんでいる節が彼女にあった。



 向かい側に座っていた彼の母親は顔を伏せながら呟く。どこか嬉しそうな表情が浮かんでいる。



 「あんなにちーちゃんからべったりとくっ付いて貰っているなんてそーちゃんは幸せ者だよ」



 普段、滅多にどこの家庭も入れないせいか、エビやカニの脚はすぐ鍋から消えてしまった。



 妙な貧乏臭さが否めない缶ビールにストローを突き刺して飲んでいた忠文は、酔いのあまり大人しくなる。



 怒られた腹いせに染子は斜め前で座っている常盤を煽った。同じ分類の人間だが見下している。



 「知努お兄ちゃんと楽しい買い物出来て良かったでちゅね。ところでベビーカートに乗ったのでちゅか?」



 幼稚園児のような扱いを受けている彼女は彼に目線で助けを求めていた。その仕草が彼の庇護欲を掻き立てる。



 「常盤はみんなと変わらない成熟しつつある女の子だから気にしなくていいよ。とても綺麗だ」



 他人より劣っていると思っていた箇所を褒められた彼女は、水を得た魚のように勢いが付く。



 上機嫌になりつつわざと今朝は知努と2人きりで朝ご飯を食べたと自慢する。染子ですらまだ経験していない。



 「私の寂しさを紛らわせるためにそばで居て欲しい。都合の良い道具扱いする女、卑怯だよな。」



 「俺だってあまり口に出さないだけで、寂しいと思う時が多い。なるべくそう思わせないように頑張る」



 彼の隣で座っている染子は耐え難い寂しさが蘇り、片腕に抱き着いて何度も頬擦りする。



 心から信用している相手に甘えている事で少しずつ治まっていく。ガラス片が刺さっているような胸の痛みは数年以上続いている。



 数え切れない程、布団を涙で濡らしてきた。恐らく彼も抱えている寂しさと心の傷で苦しんでいる。



 「お義母さん、三中家の知犬とバカアホ童貞庄次郎を交換してくれないかしら? 今なら金色ワカメまんじゅうも付けるわ」



 「ソメちゃんはその前に告白の返事を出しなさい。あと、ディーちゃんをまんじゅうにするな」



 未だ染子と知努が交際していないと知ったユーディットは、安堵のあまり顔を綻ばせていた。



 「染子と付き合う事しか考えてないから返事はゆっくりでいい」



 急かしていると誤解されないように彼は耳元で囁く。中途半端な関係性も悪くなかった。



 会話に参加せず夢中で絹穂が食べていたせいか、あっという間に2つの鍋から具材は無くなっている。



 すぐさま彼は2つの鍋を台所へ運んで締めの準備に取り掛かった。今日も変わらずうどんだ。



 高圧的な態度を取っている染子が意気地なしと知られてしまったせいで締めのうどんを食べている間、色んな人間にからかわれる。



 「染子さん、健気だわ。チー坊の事が好きすぎて先へ進めないみたいね。何だかその気持ち、分かるわ」



 絹穂の余裕綽々よゆうしゃくしゃくと態度が染子に警戒心を抱かせた。昔から彼女の本性はなかなか見えない。



 興味が無い素振りを見せつつ着実に好きな人間との距離を詰めていく分類の女だ。もしかすれば目標の所まで近づいているのかもしれない。



 そんな彼女は染子の神経を逆撫でする様な発言をする。引っ込み思案だが、なかなか狡猾だ。



 「染子さんが着けているそのリボン、7歳の時にチー坊へプレゼントしたわ。今日の染子さんは不思議といつもより可愛く見える」



 染子から目線を反らしながら彼は黙ってうどんを食べている。9年前から絹穂が少しずつ彼に接近していたと染子は悟った。



 彼女に見えないように知努の脚と絡め合わせる。


 

 

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