第2章 緩慢な冷えた風

第54話外の姫



 三中知努が従姉のユーディット・ハッセから好意を寄せられるようになった時期は2年前だ。彼自身、少し鈍感なところもあり、最近まで気づいていなかった。


 

 中学生時代のユーディットは日本人離れした容姿のせいか、数人の異性から告白されている。その反面、同性に嫉妬される事が多々あった。



 交際している女子がいるにも拘らず、ユーディットへ男子生徒は目移りするからだ。告白の内容も陳腐なものばかりで全く惹かれない。



 ある日、人望が厚い女子と交際していた男子はわざと人目の多い教室でユーディットに告白した。しかし、結局、交際を断られてしまう。



 その事を知った交際相手の女子は激怒し、彼との関係を無理やり終わらせる。それから彼女が友人達に指示してユーディットを教室内で孤立させた。



 今まで話していた女子にすら人格否定や少し丸みを帯びている顔についてからかわれた彼女は登校する気力が無くなっている。



 従弟の知努も男子生徒達にいじめられていたが反撃した結果、大怪我を負わせた。それ以降、誰からもいじめられなくなっている。



 彼女に反撃する勇気と相手を恐れさせる様な力はなかった。ただ、いつ終わるか分からない苦痛を耐えなければならない。



 給食にパンが出る時は毎回、女子がわざと床へ落とす。いじめを認めたくないのか担当教諭は見て見ぬをしていた。



 「毎回、面白い事しているね。きっとさぞ両親から良い教育を施されているに違いないよ」



 表面上から分からない様な嫌味を吐きながら茶色の髪が切り揃えられている女子生徒は落ちたパンを拾い上げる。



 そして彼女の皿に載っているものと交換してユーディットの皿へ置く。彼女が唯一、教室の中で気にかけてくれる。



 「ありがとう祇園さん、いつも優しいわ」



 祇園京希ぎおんあずきは責任感が強く、教室の学級委員を務めていた。いじめを止められない代わりにユーディットを助けている。



 「確かに私は優しいけど、それだけじゃダメなんだよ。人を殺せるような非道さと力が無ければ何も出来ない」



 「私が大好きな人はそれを持っているよ。また彼に会えたら嬉しいな」



 想い人の事を思い出し照れた表情になりながら祇園京希は席へ戻った。彼女の話からユーディットは勝手に好意を寄せている相手が不良と想像する。



 不良と優等生の組み合わせは恋愛ものドラマでありがちだった。人間はどうやら悪に惹かれやすい本能が備わっているようだ。



 従弟がどちらの人間に分類されるかを考えながら彼女は席へ向かう。敵に囲まれながらの昼食がまた始まる。



 数時間後、冬の寒さに身を震わせながらユーディットが自転車に乗っていた。手袋とコートだけでは心もとない。



 日本の西側に位置する町、浄川じょうかわは本格的な寒波が訪れていた。恐らく冷蔵庫より冷えている。



 目的地である三中家に到着するといつも駐輪しているカーポートに家族の物以外の自転車が置かれていた。



 従姉の白木文月が先に訪問しているようだ。今日は金曜日のため夕食を知努に作らせる腹積もりなのかもしれない。



 夕食の後、帰宅が面倒臭くなれば三中知羽の部屋で泊まる事も出来る。ごくたまに映画鑑賞の途中で知努のベッドに横たわったまま寝る事があった。



 そうなってしまえば彼は仕方なく彼女と添い寝しなければならない。2人の仲睦まじさがよく分かる。



 駐輪したユーディットがインターフォンを鳴らすと中からセーターを着た小学生らしき男子が出て来た。



 「こんにちは」



 文月の弟である白木忠清はすぐ後から来た三中知努の背後へ隠れて挨拶する。人見知りなのか警戒していた。



 「よく出来ました。ディーちゃんも暇だから遊びに来たの?」



 隠れている彼を抱き上げながら黒い長袖のTシャツを着ている彼が訊く。普段から粗暴な口調の彼は特定の人物だけ柔らかな口調になる。



 彼女が頷いてから靴を脱ぎ上がった。先に訪れている文月の姿が見えないと不審に思いつつ2階へ向かう。



 暖房が効いている彼の部屋に文月はいた。床に彼女の物と思われる服やスカートや靴下を脱ぎ散らかしている。



 何の抵抗も無く彼のベッドで昼寝していた。余程、相手を信用していなければ安心して寝られない。



 さすがに下着姿で昼寝する姿は品がなかった。むやみやたらと見せていれば魅力は失われる。



 ベッドから少し離れた場所に敷布団と掛布団が置かれていた。おそらく忠清のために敷いている。



 しばらくして寝息を立てている男子小学生を運んで来た彼は敷いている布団へ寝かせた。



 「チー坊は私の事、太っているとかその、外国人だと思った事ある?」



 白木姉弟が寝ている今だからこそ言える質問を出す。答えによっては深く傷付いてしまう。



 2人より一緒にいた時間も少なく、彼の中でのユーディットの立ち位置はよく分かっていない。



 「ちょっとほっぺたが丸いくらいしか思った事ないよ。あと、他人ならまだしも従姉を外国人だなんて思った事ない」



 彼が微笑みながら両手で彼女の頬を軽く伸ばす。すぐ、いじめられている事を察したのか真剣な表情へ変わる。



 「いじめは段々と酷くなっていく。そうなる前にわざと不登校へなるか反撃するかしかないよ」



 不登校になり、両親を心配させたくない彼女は反撃するしか手段が残っていない。いじめに対抗出来るような方法は色々ある。



 なるべく彼のような大怪我を負わせない様なやり方が望ましい。彼女はしばらく無言になり、考えた。



 「そもそもいじめの原因って何かある? いきなり始まるって事もあるけど、基本何かきっかけがあるよ」



 彼女はいじめのいきさつを教える。教室で人望がある女子生徒の僻みから始まった。卑怯な事に僻んでいる彼女は直接手を汚していない。



 「その女にバケツで水ぶっかけたらいいんじゃない? 俺だったら事故を装って階段から突き落とすけど」



 いじめていた相手を階段から蹴り落とした人間の発言だからこそ説得力があった。彼は中学生になって1人も同級生の友人が出来ていない。



 寒い冬に冷たい水をかけられた相手は精神的な苦痛が大きい事は間違いなかった。この方法ならば怪我を負わせずに済む。



 「もし、いじめがひどくなってディーちゃんに酷い事をしようとしたらまた相談して欲しい。そこからは俺がなんとかする」



 ユーディットの中学校へ忍び込んで悪事を働く事だけは間違いなかった。そうならないように彼女が願うしかない。



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