第53話フェアリーテール後編



 自己紹介を済ませた彼女はピアノの前にある椅子へ座り、弾き始める。彼女の服装らしい選曲だ。



 70年代、80年代の暴走族がバイクに取り付けていた6連ラッパホーンでよくこの曲を奏でていた。



 彼女の父親も不良時代、インターフォン代わりにラッパホーンを鳴らしていたと知努の祖父が語っている。



 そんな不良らしい曲も彼女の演奏によって人々の衰退を表現しているような美しい音色へ変わっていた。



 努力を怠らず練習している彼女もいつか老いによって演奏する事すらままならなくなる。その時を迎えた彼女は悲しむだろう。



 今、彼女は刻一刻と迫る終わりへ向かって演奏していた。染子の限りある美しさに惹かれながら彼が聴いている。



 才能、美しさに終わりがあるとしても2人のかけがえのない愛だけは永遠に続いて欲しいと彼が心の底から願っていた。



 演奏が終わると多くの生徒達に拍手を受けている。彼も同じように大きく拍手していた。一礼し舞台袖へ来る。



 すぐさま彼は抱き寄せて髪を指で梳き、そのまま口付けしようとするが進行役の学年主任教諭にからかわれた。



 「誰かを想って弾くからこそ感動するよな。演奏の後に良いもの見せて貰っている最中で悪いな。次、頼む」



 今日は接吻が上手くいかない日と割り切った彼は彼女から離れてステージの中央に行く。



 キャバクラ嬢のような服装と口紅のせいか生徒達の大半が彼を女子生徒だと思っている。予想通りだった。



 しかし、彼の想定内の出来事が起きている。体育館の入り口付近で部外者4人は見物していた。



 黒い着物姿の祖父、黒いネクタイが着けられているワイシャツ姿の叔父、ベージュのセーターを着た忠文、染子と同じ服装をしたポーだ。



 全員の素性を知っている教諭は苦虫を噛み潰したような顔になっている。彼の立場上、からかえなかった。



 部外者の扱いを一任するようにマイクを渡す。身内のせいで知努は演奏の失敗が許されなくなった。



 「ジジイは家でゲートボールしてろ、叔父さんと親父は仕事に行って、ホモ野郎、わざわざ染子と服装を揃えているんじゃないよ」



 わざと部外者を晒し者にしていると座っていたユーディットや文月が立ち上がって向き直り、抗議していた。



 年頃の女子は身内の男が学校へ来る事を極力避けて欲しいと考えている。しかし、転勤が決まっている中年2人は何も恐れていない。



 他の生徒達もユーディットの父親の顔を見たいがために振り向いている。まさか金髪美女の親が強面男とは想像していなかったはずだ。



 同じく人相が悪いポーは満更でもなさそうな顔で学年問わず女子生徒達から黄色い声を浴びせられていた。



 2人に視線が集まっているせいか料亭の女将のような格好をしている老人とその息子は無視されている。



 知努が見渡して彼らより悪質な手段で侵入している女子を探す。教諭に見つかる危険を顧みない根性だけは逞しかった。



 彼が所属する教室の列には見当たらず、ふと従弟2人の近くへ視線を向けると図々しく居座っていた。



 数人の教師達に注意された事で数百人の視線が前へ戻る。ようやく知努は自己紹介に入った。



 「三中家の長男は女装しなければならないという祖父の代から続く習わしがあります。嘘です」



 性別を明かさないと注目されている後輩に嫉妬した上級生女子達からいじめられてしまう。その点、染子が少し心配だ。



 人間の醜さを思い知らされている彼は常に知り合い以外の人間を信用していない。換言すれば社会性が著しく欠けている人間だ。



 愛想笑いを浮かべている彼は苛立っている。これから多くの人間に数え切れない苦痛と怒りの成果を見せなければならないからだ。



 見られる行為自体、慣れているため気にしていない。問題は演奏を聴いた後、彼に近づく輩が出るからだ。



 勝手に幻想を抱いた挙句、勝手に失望する人間が一定数いる。良い演奏をする人間は必ずしも人間性も良いと限らない。



 「私は三中知努です。よろしくお願いします」



 学年主任教諭にマイクを返し椅子へ向かおうとした矢先、体育館の入口から白い服装が目立つ兄妹らしき2人組が入ってくる。


 

 染子と同じ服装をした白木夏鈴と水兵のような格好をした子供だった。すぐ彼は注視する。



 胴に青の帯が付いたマリンベレー帽と同じ色合いのセーラー服を好む子供は1人しか知らなかった。


 

 「おー!」



 気づいた知努が叫んで舞台から飛び降りる。子供の正体は白木夏鈴と文月の弟だった。どうやら彼も遅刻するつもりで来ている。



 祖父、伯父、従兄の影響か当然のように青いスカートを穿いていた。すぐ彼が嬉しそうな表情で駆け寄る。



 「タロー!」



 「ワン、ワンワンワン」



 2人は『南極物語』の地質学者と樺太犬の真似をしていた。従弟を抱き上げた彼が喜びのあまり何度も回転していた。



 壁側で立っていた鶴飛千景は恨めしそうな顔をしている。知努がとても幸せそうな表情になっているからだ。



 白木忠清しらきただきよは過去の辛い出来事がきっかけで全生活史健忘ぜんせいかつしけんぼうになってしまい未だ記憶を取り戻していない。



 姉2人の事を考慮し今は祖父母の家で過ごしている。そんな彼は優しく接してくれる知努を心の拠り所にしていた。



 抱き上げたまま彼は舞台の左端に備え付けられている階段を上がり、椅子の方へ向かう。



 周囲の奇異な目を全く気にせず従弟を椅子の端へ座らせる。特等席で聴ける彼は緊張していた。



 先程と打って変わり、真剣な表情になっている彼を見た学年主任教諭はただ眺めているだけだ。



 騒いでいた生徒達の声が一瞬で消え、体育館は沈黙に包まれた。厳かな空気の中、彼は演奏する。



 せわしなく両手の指で鍵盤を叩き激しい怒りと悲しみが込められた音色を響かせた。舞台袖から染子は見守っている。



 彼が幼い頃を思い出し怒っていた。いつかいじめをやめてくれると信じていた染子に知努は酷い仕打ちばかりしている。



 そのせいで彼女の精神が擦り切れてしまい長年、苦しんでいた。そんな彼女はしっかりと生きている。



 染子の誕生日に喧嘩した鶴飛火弦へ彼は悲しい気持ちを抱いていた。彼が娘を愛している事は良く知っている。



 最愛の娘と同じ空間で居られる時間は徐々に少なくなっていく。その現実を知っているからこそ焦燥し失敗した。



 年を重ねていく毎に素直な気持ちはなかなか出せなくなる。彼もまた染子と同じく父親の忠文を苦しめていた。



 いつも腫れ物のように扱い、反抗的な態度ばかり取っている。本心は父親の事を大事な人と想っていた。



 火弦が今、突き付けられている人生の宿題と同じ内容を知努は与えられている。もうすぐこれまで以上に父親と会えなくなってしまう。



 その宿題の答えは既に決まっていた。求めれば父親が応えてくれるだけ火弦の問題より簡単だ。



 彼の中の怒りや悲しみを吐き出したように演奏は終わり、周りから拍手が沸いた。演奏していた時間は刹那に消える。



 彼が椅子から立ち上がり、振り向くと三中忠文に強く抱き締められた。帰宅するまで我慢出来なかったようだ。



 「嫌がると思うけど今だけ許して欲しいな。演奏、とても上手だったよ。好きだよ、愛しているよ」



 「ありがとう。今まで殴ったり、冷たく接してばかりしてごめんなさい。パパ、愛しているよ」



 強く抱き締め返して知努は頬に口付けする。さすがに我慢の限界が来たのか千景は舞台へ上がり、忠文の尻を何度も蹴った。



 「1人だけ抜け駆けしてチー坊とイチャイチャするな! そして私に場所代われ!」



 「痛いよ! 血の繋がった親子なんだからいいの! そんなにしたいなら貸してあげるよ」



 彼が離れてすぐ千景は知努に抱き着いて尻を撫で回し口付けしようとした。しかし学年主任教諭に引き剥がされ、阻止される。



 「鶴飛先生、男子生徒へのお触りは遠慮して下さいね。キャバ嬢みたいな服装だから触りたい気持ちも分かりますが」



 時間がある時に触ると宣言した彼女は壁側へ戻って行く。忠清と手を繋いだ忠文も入り口付近に戻る。



 制服に着替えるため隣の準備室へ行った彼はまだ着替えていない染子を見つけた。どうやら待っていたようだ。



 彼女の手を優しく包み込み目を閉じてから首と唇へ口付けした。頬が赤い染子は胸に顔を埋める。



 「私は心も体も美しい鶴飛染子さんの事を愛しています。出来ればお付き合いしたいと思っています。返事はその黒いリボンを返す時で構いません」


 

 彼の告白を聞いた彼女が笑いを堪えながら見上げた。ふざけようとしている事だけは明白だ。



 「今、着けているリボン返してフッたらチー坊、えんえん泣きそう。こいつ馬鹿みたいに泣いてらァって絶対からかいたい」



 両手を解放してから知努は強く抱き締める。いつものように叩いたり、怒ったりしなかった。



 「一仕事終えて一服している人がよくそう思うように、生きようと私は思った」



 頷きながら彼女が両手を腰へ回し抱き締め返す。けたたましく予鈴が体育館全体に鳴り響いた。



 放課後を迎えた生徒達は明日から数日間続くゴールデンウィークが待ち構えている。部活、旅行など様々な予定を立てていた。



 2人分の荷物を持ちユーディットの家へ向かっている最中の知努も予定が入っている。しかし、妹も付いて来られると疲れてしまう。



 隣で歩いている彼女は肩を寄せている。母親から買い物を頼まれているため彼に手伝って貰うつもりだ。



 男手があればそれだけ負担軽減を図れる。普段から優しい従弟は二つ返事で引き受けてくれた。



 予定日の天候を心配しながら雲1つない青空を眺めている彼の後ろから物騒な声と原付のエンジン音が聞こえる。



 「この前はよくもうちに恥をかかせてくれたな! 今日こそぶっ殺してやる!」



 後ろを振り向くと動物病院へ行っている時に鉄パイプを振り回していた女が原付でこちらに近づいていた。



 「俺があの馬鹿を引き付けるからディーちゃんはしゃがんでじっとしててね。心配しないで」



 荷物を地面に置いた彼は彼女の頭を撫でてから走り出す。原付で彼女が撥ねられるとひとたまりもない。



 「原付で殺せば汚名返上出来ると思ってんのかよ! 速く来いよ能なしの口叩き! おばはんのスクーターか?」



 彼は橋の欄干へ上がり、ユーディットの注意が向かないように煽る。案の定、短気な女は彼の方へ加速してきた。



 急に強風が吹いた事で誤ってハンドルを切ってしまいそのまま欄干へぶつかり、勢いよく川へ落ちる。



 欄干が衝撃で大きく折れ曲がり、少し離れた場所にいた知努も体勢を崩し転落してしまう。すぐユーディットが駆け寄るも水面に彼の姿は見えない。



 泳ぎが得意でないユーディットはただ彼の無事を祈りながら110番する事しか出来なかった。騒動に近づく野次馬が写真ばかり撮影している。



 そんな事は露知らず太陽から春らしい温かい日差しが降り注いでいた。


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