第52話フェアリーテール前編



 翌日の朝、染子の脅迫通り、彼は彼女から貰ったチョーカーを着け、前髪に若い女子らしいハートマークのヘアピンをいくつも着けている。



 前髪の装飾品は朝食を食べている最中に母親が着けた。妹ともうすぐ単身赴任する父親から何度も前髪を撫でられる。



 全校朝会のピアノ演奏の衣装が入った大きな紙袋とスクールバックを持っている彼は教室へ入った。



 いつもより早く登校したせいかまだ教室に生徒はあまりいない。しかし、彼の席へ女子生徒が座っていた。



 背中まで伸びた長い黒髪の女子生徒は白いマスクと眼鏡を着けている。少し怪訝そうな表情になりながらも彼が話しかけた。



 「何だよ染子、昨日の夜、馬鹿みたいに薄着だったから風邪でも引いたのかよ。全くおっちょこちょいだな」



 紙袋とスクールバックの持ち手を机の吊り下げに吊るしてから着ていた制服を彼女の肩へかける。



 風邪を引いたという理由だけで眼鏡は必要と思えない。やはり、何か鶴飛染子らしくない違和感があった。



 人差し指で彼女の顎を突くと肩が震える。彼の疑惑は確信へ変わった。変装してここに忍び込んでいる。



 「お前、違う学校だろ? 我が物顔で遊びに来るんじゃねぇよ。というより、何しに来たんだ?」



 少しぶっきらぼうな物言いだったせいか彼女は申し訳なさそうな顔で謝罪する。すぐ怒っていない事を弁解した。



 ストロベリー・ワッフルは知努のピアノ演奏を聴きに来たと答える。彼女へ情報を流した人間がいた。



 彼は大体の想像がついている。鶴飛千景から情報を聞いた弟分のポーだ。彼以外、ストロベリー・ワッフルに教えられる人間はいない。



 彼とストロベリー・ワッフルは特別な関係性だった。それを知っているポーがあの試合を組んだ。



 「私、貴方のそばにいたいわ。もう2度と大事な人を傷つけないって約束する。お願い」



 昨日の勇ましさが嘘と思える程、か細い声で彼女は懇願しながら女性らしい白く細い指を絡めた。



 大事なものを守るために努力して強くなっている。その彼女が守りたい相手は三中知努だった。



 伊達眼鏡を通して見える彼女の瞳は母性に満ちている。染子と逆の立場へなった彼が固く指を絡め返す。



 彼女の手の甲から伝わる脈打ちがとても心地よく感じている。拒絶させる気など更々なさそうだ。



 「ふ、不束者ですがどうかよろしくお願いします」



 彼は決闘で勝利した王子に求婚された女性騎士のような気持ちを抱いていた。そのせいか感極まり、涙が零れている。



 命を預けている決闘相手と真っ向から勝負する事は心地良かった。昨日、試合で勝った彼が彼女の切なる想いに屈する。



 叔母を憧憬していた少女が彼女のような女性へ成長していた事が彼の喜びとなっていた。



 ストロベリー・ワッフルこと大友絹穂おおともきぬほは目を閉じながら彼を引き寄せる。心から求めていた。



 満更でもなさそうな表情の三中知努も前屈みになり、目を閉じながら鼓動を高鳴らせている。



 後ろを通りかかった彼より頭1つ分、背が低い女子生徒に尻へ回し蹴りされる。勢いよく2人の額がぶつかった。



 絡めていた指を解いた2人が涙目になりながら衝突で赤くなっている額をさする。悪戯した女子生徒が嘲笑していた。



 彼が向き直り、彼女の懐へ潜り込んで、左大腿四頭筋と肘を掴み肩に腹部を乗せて持ち上げる。周りから注目された。



 肩が腹部を圧迫しており、さすがの彼女は怯えている。スカートから薔薇の鼻腔をくすぐる香りが漂っていた。



 「おっとここでチャリオット三中、チビ性悪ペチャパイに男子トイレでエアプレーン・スピンをキメようとしています」



 「お兄さん許して!」



 裏声の女子生徒を肩へ担いだまま知努は教室から出て行く。彼と同じく人望が少ない性悪女なのか誰も彼女の心配などしていなかった。



 数分後、男子用トイレで異性の生殖器を見た女子生徒が彼におぶられながら教室へ戻る。



 「オカマ野郎に誘拐された挙句、男達の汚いものを見せられた。しばらく椎茸が食べられないじゃないか」



 仕返しが成功した彼の後頭部を何度も叩いている彼女の顔は疲れ切っていた。しかし、体を彼の背中に預けている。



 1時間が経ち体育館のステージに隣接する部屋で彼は待機していた。長い丈のスリットと露出した両腕、背中が特徴的な黒い妖艶なドレスを着ている。



 母親に渡された折り畳み式の丸形手鏡を見ながら口紅を塗っていた。多くの人間に見られるため気合が入っている。



 塗り終わると白い帽子を被り、白いスーツを身に纏っている染子が背後から近づく。イタリア・マフィア風の格好だ。



 髪形は数日間、変わっておらず知努の黒いシフォンリボン付きヘアゴムはすっかり彼女のものになっている。



 彼が鏡の蓋を閉じたと同時に尻を撫で回す。軽く上履きのかかとで踏まれるもやめない。



 「ドン・ツルトバーシに尻を撫でられるのは嫌じゃないけど、こんなところで触らない」



 「こんなやらしい服装しててお尻を撫でない方がどうかしているわ。さすが夜の恋人」



 彼女の両親が聞いて泣きそうなセリフを吐いた幼馴染の頭を鏡で軽く叩いた。周りから見れば2人はマフィアと愛人だ。



 学年主任教諭に呼ばれた彼女は階段を上がり、ステージの中央へ向かう。生徒達から完成を浴びていた。



 彼女の様子を見るため知努は舞台袖へ行く。鶴飛染子が学校の人気者である事はよく分かる。



 マイクを学年主任教諭から受け取った彼女が軽く自己紹介した。ピアノの発表会で人前に慣れているのか全く緊張していない。



 「鶴飛染子です。好きな動物は犬です。特に秋田犬とウルフドッグが大好きです」



 「知り合いの男装好きから借りた衣装を着てマヌケな女装好きから無期限で借りたリボンを付けて頑張ります」



 大事な人間から貰ったリボンを返さないつもりでいる幼馴染に対して知努がヤジを飛ばす。



 「ナメコ! そのリボン返さなかったらお前ん家の夕飯がピーマンだらけになるからな!」



 鶴飛染子の苦手な野菜は数百人の生徒に知れ渡り、周りから笑い声が広がった。

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