第44話過去の清算



 演奏会を終えて玄関から出た知努は、すぐそばで立っていたユーディットに話し掛けられる。何か大事な話をするのか真剣な顔だった。



 染子に呼び出された客人は彼女以外、全員既に帰っている。人目があると困る内容のようだ。



 「明日、レモンジュースとコアントローがあなたを仲間にするかどうか決めるテストをするって言っていたわ」


 

 あくまでユーディットとレモンジュースは別人だと主張するつもりのようだ。明日のテストに参加すれば彼女らの目的を訊く手間が省ける。



 受験や企業採用のように筆記試験や面接試験などは当然ない。集団が定めている目標に役立つ人材かどうかを実力で調べる。



 レモンジュースことユーディット・ハッセがスタンガンを所持していた事から不良グループであると彼は予想していた。



 何の躊躇いなく彼が了承する。驚きながらも彼女は微笑みを浮かべたのに対し、全く表情を変えない。



 火遊びを今すぐ止めるためには、実力行使しか手段が残っていなかった。



 「その馬鹿共に伝えておけ。テストを受けるが俺も入るかどうか選ばせて貰うからな、と」



 反論を認めないのか了承以外の言葉を出そうとしていた彼女の頬を殴る。尻餅をつき、突然の出来事にユーディットの目が見開く。


 

 片手で殴られた頬を押さえ両眼から涙が零れる。先程、ピアノの演奏を真剣にしていた人間と同一人物に見えない。



 しゃがんだ彼は押さえている手の上からまた殴り、片手で髪を力強く掴んでから素早く揺らす。



 「お前の意見なんて聞いてねぇんだよクソガイジン。ワガママが全て通るのは間抜け共の前だけだぞ」



 体を震わせ泣きながらユーディットが彼を睨み付けるも殴り返す事が出来なかった。彼は何度も鼻へ頭突きする。



 彼女の鼻から鼻血が流れ出ると地面へ掴んでいる頭を押し付けながら擦り、髪に唾を吐きかけた。



 「ジェリーの体は〇液みてぇな色してんのに血は有色人種様と同じ赤なんだな。てっきり、白かと思っていた」



 反抗的な態度を取れば暴力が待っていると体で理解させられた彼女は何も出来ない。信用している相手から裏切られてしまった。



 手を離してから立ち上がった彼は側頭部を蹴り、門の方へ向かう。ぞんざいに扱われた彼女が蹲って呟く。



 「あんな人間を好きになるんじゃなかった。もう、三中知努の顔なんか2度と見たくないわ」



 4年間、三中知努とユーディット・ハッセが築き上げてきた信用関係は一瞬で壊れた。明日の試験に彼が参加したところで仲間にならない。



 予定していた計画が全て台無しとなったユーディットは目と鼻から液体を垂れ流し、何度も地面を叩く。



 必要な事がいつも納得する行動と限らない。彼は本心を押し殺しながら踵を返す。



 帰宅し入浴も済ませた知努は椅子に座って部屋の壁に飾っているカレンダーを見る。ゴールデンウィークの予定が見事に入っていなかった。



 高校へ入学して交流関係が増えている慧沙と幸利は恐らく何かしらの予定を入れている。しかし、三中知努は孤立していた。



 積極的に人へ話し掛ける事を敢えてせず、狭い交流関係の中で生きている。かれこれ数年近くほぼ関わっている人間が変わっていない。



 普通の人間はまだ4月だから本調子でないなど言い訳を考える。それすら彼は考えず、教室へ頑なに馴染まない。



 並の休日は変わらないアニメ鑑賞、ネットサーフィンなど趣味に勤しみ連休を消費する予定だ。生憎、染子とすらその休日は顔合わせしたくない。



 明日のレモンジュースとコアントローが設けた試験の結果次第では傷害、軽犯罪法違反で逮捕される。



 レモンジュースがスタンガンを所持している以上、彼もそれに対抗するため道具を準備するつもりだ。



 登下校の際に凶器を持った不審者から護身する目的で分銅鎖を隠し持っている。両親公認の護身具だ。



 しかし、使い方次第で相手に致命傷を与える武器も保有している。使わない時は机の鍵がかかった引き出しへ入れていた。



 クローゼットから出した通夜に着ていけない喪服風衣装のポケットへ分銅鎖を入れている。2人が着ている物よりスカートの丈が長い。



 基本、スポンサーから贈られてくるドレスは彼の嗜好に合わせてスカートの丈が長く作られている。



 明日の試験に向けて準備していると部屋の扉はゆっくり開き、寝間着姿の知羽が入って来た。



 ゴールデンウィークに誰から聞いたのか大阪旅行すると思っている彼女は同行を願ってくる。



 「行く訳ないだろ。明日はレモンジュースとコアントローと喧嘩しに行くんだから」


 

 「お兄ちゃん、頭がおかしくなった? その2人の正体ってユーディットと文月だけど」



 精神異常者という誤解を解くために彼は妹へ事情説明した。合点が行くもやはり彼女の誤解は解けない。



 大事な従姉達を傷つける事に対して、泣き言の1つも漏らさない兄は彼の流儀とかけ離れていた。



 更にユーディットがもし飼っている子犬を知羽に預けてくれば脅迫の材料に使う事を提案する。



 「俺が電話したらあの犬っころを湯船に沈めてくれ。喜べ、明日の晩飯は子犬の焼肉だぞ」



 真剣な顔をしているため、子犬を溺死させる予定が彼の中にあった。兄とユーディットが対立している事は彼女も察する。



 「分かった。でも、そんな事を頼んできたら一生、軽蔑するよ。私の好きなお兄ちゃんは弱い者いじめなんてしない」



 「知ったような口を利くな。俺はやる時はやる、たとえそれが人殺しでもな。善悪なんぞクソの足しにもならねぇよ」


 

 彼の冷たく、怒りが籠もった声を聞いた知羽は悲しそうな表情になりながら部屋から出た。



 扉を閉めた彼女が兄の1番気にしている過去についてわざと触れる。下手すればさすがの優しい彼も逆上してしまう。



 「明日、悪い事するならお兄ちゃんのかわいいお嫁さん兼弟に言い付けるからね? また不幸にするの?」



 彼はすぐさま扉の方に近づいて勢いよく開き妹を米俵のように肩へ担ぐ。まるで誘拐しているようだ。



 頭から落とされると半身不随になってしまう知羽は暴れず、兄を信じている。ゆっくりとベッドへ降ろされた。



 「いいか? クーちゃんを連れて来たら湯船へ沈めろとは言ってない。俺が必要と判断して電話をかけてからだ」



 「クーちゃんの命運はユーディットの行動次第で変わる。だからアイツに絶対話すな」



 彼は妹のご機嫌を取るように優しく抱き締め耳元で囁いた。先程と違い、焦っている。


 

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