第45話無関心



 翌日の昼休み、知努は何をするという訳でもなく、着席して貧乏ゆすりしながら黒板を眺めていた。放課後にレモンジュースとコアントローを相手取る喧嘩が控えている。しかし、起床した時から気力が湧かなかった。



 明らかに平常時より、覇気のない顔をしているはずだが心配するような友人は慧沙しかいない。その彼は仲の良い生徒達と食事している。



 教室で孤立している存在しなくとも構わない人間を相手する余裕など彼は持っていない。休み時間、昼休みに1人でいる時間がないくらいだ。



 注意力も散漫なせいか洗顔時、前髪へ様々な色のハートマークの髪留めがいくつも付けられている事に気づいていない。



 妹の知羽が彼の就寝中に悪戯目的で付けたようだ。その異変を他の生徒、教諭陣は見て見ぬふりをしていた。



 中学2年生の頃もいじめて来た男子生徒達に仕返しした後、今と同じく無視される。危険人物のような扱いだった。



 久しぶりに確保出来た1人の時間だが読書する気持ちすら彼は持ち合わせていない。そこへ存在しているだけだった。



 名前を覚えていない生徒達の楽しそうな会話が耳へ入るもすぐ、反対側から抜けていく。退屈な時間すら何も感じない。



 そんな無味乾燥な時間がひたすら過ぎていくと思っていた矢先、彼の平穏を台無しにする行動を男子生徒が行う。



 教壇へ上がったワックスで髪を意図的に跳ねさせている男子生徒が懇親会の提案をする。



 「せっかく同じクラスになったみんなの事をよく知りたい。今日の放課後にしたいから来る奴、教えてくれ」



 その知りたい人間の中に当然、悪目立ちしている三中知努の事は含まれていない。会へ参加させれば場の雰囲気を壊す。



 知努が男女の交流会を台無しにしたり、鶴飛火弦との喧嘩で玄関の扉と靴箱を破壊した事は学年中に知れ渡っている。



 学年における彼の個人信用情報は汚れていた。体育の時間に2人1組が作れず、いつも孤立している。



 主催の男子生徒の元へ人が集まっている中、教室に普段と変わらない気だるそうな顔の白木文月で入る。



 今日は特徴的だった黒いルーズソックスから白のルーズソックスと黒いハイソックスへ変えていた。



 「あんたがユーディットだけじゃなくてうちも拒絶しようとしている事は分かっているし。んで、今、教室の人間を拒絶している」



 近づいた彼女が声をかけるも振り向いて無表情で見つめるだけだ。他の人間と同じく価値を見出していない。



 今まで親密だった従妹達のために協力するつもりがない事は彼の態度で察する。それどころか関わりすら拒まれていた。



 彼女が手を握ろうとするも彼に払い除けられる。家族の事を大事に想っていた彼と思えない程、酷薄だ。



 「何それ、うちってそんなに染子と差がある程、大事な奴じゃなかったって事? それとも染子も同じ?」



 迷う素振りも見せず、淀みなく彼は鶴飛染子が大事な人間である事を伝える。彼女はその場にしゃがみ込んだ。



 告白を受け入れて貰えなかった女子のように珍しく彼女は落涙している。感情を見せる事自体、滅多になかった



 涙を何度拭ってもとめどなく目から零れ落ちる。彼がポケットからハンカチを取り出し彼女の頭の上へ置いた。



 悲しんでいる様子を見ても尚、彼の表情は崩れない。何故、泣いているかすらも分かっていなかった。



 ハンカチを出した理由は脊髄反射で行っただけだ。そこにいたわる気持ちが微塵も存在していない。



 頭に置かれたハンカチで涙を拭い、人目を憚らず彼へ抱き付く。やはり、頭を撫でて慰められなかった。



 「そんな酷い態度、取らないでよ。うちはまだ何もしていない」



 「あの力の扱い方も知らないガイジンが暴走する事を考えなかったのかよ。染子に何かあったらお前が責任取るんか? お?」



 初めから仲間へ加わるどころか敵対するつもりでいる彼の考えを知り、文月はゆっくりと離れる。



 「お前らが予定している遊びに付き合ってやる。ただし、終わったら2度と顔を見せるな。つまらない家族ごっこもこれでおしまいだ」



 放課後に会う時はもう従姉弟の関係性でなく、敵同士だった。ユーディットと文月が大事な家族を1人失ってしまう。



 当然、2人の背後にいる人物が立てた計画も白紙へ戻った。優しさを失った彼は怒りしか残っていない。



 席から立ち上がり、彼女の横を通って彼が教室を出る。長年続いていた親密な関係は一瞬にして崩れ去った。



 逃げるように教室から出た知努は体育館の壇上に備え付けているピアノの演奏をしている。物悲しい音色が怒りを鎮めていた。



 中学校の教室分けで必ず1教室に1人、ピアノの演奏が出来る人間を入れているという噂を聞く。



 合唱コンクールで教室が担当する曲の演奏を出来る人間へ任せるためだ。知努も3年間、演奏したが誰からも注目されなかった。



 やはり、中学時代も美形の慧沙や深窓の令嬢のような雰囲気があった染子ばかり生徒達から注目されている。



 演奏している最中に染めている金髪が特徴的な女子2人を侍らせている慧沙に話し掛けられた。



 「今からちょっとステージ裏の部屋で騒がしくするかもしれないけどごめんね。知努ちゃんも参加する?」



 「今日は気分じゃないからやめておく。それに俺、インポだからそもそも出来ないんだけどな」



 仏頂面で退屈なジョークを飛ばしながらも鍵盤を弾く指は止めていない。放課後までに無駄な体力を消耗したくなかった。



 気まずそうに彼から目を逸らしている女子生徒と慧沙が準備室の中へ入っていく。昼休みの体育館に教諭は近づかない。


 

 演奏を終えた知努は制服のポケットから駄菓子の瓶ラムネが入った袋を出す。彼の好物だった。



 袋を破り、付属のストローを瓶ラムネの最中へ突き刺してゆっくりと吸引する。小さい頃に粉末状のラムネを勢い良く吸い過ぎてよくむせてしまった。



 後ろの部屋から男女の楽しそうな声が聞こえた。彼の女癖の悪さは中学生時代に始まる。



 その時も知努が合唱コンクールの練習をしているすぐそばで女子達と遊んでいた。ピアノの演奏が注目を上手く引いていたおかげか全く教諭に気づかれない。



 容器の最中も食べるとゴミを制服のポケットに入れ、また演奏を始める。重々しくも激しい音色が体育館へ響く。



 体の内に溜まっている苛立ちを麻酔のように和らげてくれる。今日の放課後にまた怒りが溜まってしまう。



 敵対する従姉達には親や姉など守って貰える人間がいた。しかし、孤独な彼を守る人間は彼自身しかいない。



 不平等と不寛容に満ちた世界で正義に背を向けて生きていく事は彼が背負っている宿命だった。

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