第28話儚き黒


 チノパンと黒の長袖ポロシャツを組み合わせた服装の男は門を開ける。背後の新調された玄関の扉が開き妻らしき女性に話し掛けられた。


 「パパ、出かけるついでにシャーマンの散歩も行ってくれない? 今日、子供達が遊びに行くみたいだから」


 「ビデオ屋へ犬を連れて行ける訳ないだろ。電話でチー坊に頼めばいいだろ」


 娘の染子が三中知努と一緒に花見へ行く予定がある事実を妻から告げられる。彼は娘としばらく会話しておらず、犬の散歩を押し付けられない。


 貴重な休日の朝を犬の散歩に費やさなければいけないと落胆したが、ふと染子の父親は妙案を思い付く。


 娘を迎えに来た三中知努へ直接頼めば面倒事から解放される。幸いまだレンタルビデオ店の開店まで時間に余裕があった。


 門の外へ出るとすぐ近くでファッションモデルのように高身長な女性らしき後ろ姿が見える。


 フリル加工がされたスカートと合わさった喪服らしき服は、男性既婚者の気持ちをざわめかせていた。


 履いているガーターベルトが付いたストッキングもまた若い女性の魅力を引き立てている。


 頭にはキリスト教圏の映画でしか見た事ないベールが付いた帽子を被っていた。もしかすれば外国人の女性かもしれない。


 近所で誰かが今日、亡くなったという話を聞いていないので少し妙だった。しかし染子の父親はニンマリと笑いながら声をかける。


 「そこの姉ちゃん、これから誰かの葬式にでも参加すんのか? 良かったら案内するぞ」


 気づいた高身長の女性らしき人は振り向き、黒い手袋を付けた手で大きなボストンバックを持っている。


 ベールで隠されていても口角を上げて気に障るような笑みを浮かべている顔が見えた。見事に染子の父親は騙されてしまう。


 靴もパンプスを履いているので本格的にこだわっていた。染子の父親が悔しそうな表情になり、睨みつける。


 「パパ? 自宅の前で堂々と浮気するなんて良い度胸じゃない?」


 後ろから染子の母親が彼の右腕を力強く握りながら不気味に感じるような笑顔を浮かべていた。


 「いやママ違うからな!? よく見てくれ、三中家の馬鹿長男だ」


 正体に気づいた染子の母親は腕から手を離し、玄関の方に急いで向かう。スマートフォンで撮影するつもりのようだ。


 予定通り染子の父親は、未亡人のような装いをしている知努にシャーマンの散歩を命令する。


 まだ時間に余裕があるため、仕方なく知努が納屋からいつも使っている散歩用のリードを取りに行く。


 この衣装は染子の誕生日に着たゴシックアンドロリータの衣装と同じくある人物が制作した。


 数日前、何の音沙汰もなく一方的に贈り付けられた物だが、せっかくの機会なので彼は遠慮なく使っている。


 似合っているおかげで家を出る前に何度も両親から記念撮影させられた。どことなく2人の視線がいやらしくなっている。


 1時間かかったシャーマンの散歩を終えて、知努は鶴飛の敷地内に戻ると早速、染子の母親が何枚も写真を撮った。


 彼は有名ファッションコレクションのランウェイを歩いているファッションモデルのような気分になっている。


 黒く死を象徴する喪服はか弱き女性の一面が際立つため、男女の情欲を意図せず掻き立てていた。


 まだビデオ屋の18歳未満立ち入り禁止コーナーに滞在しているのか、染子の父親の姿が見えない。


 ネイビーブルーのハイウェストスカートを穿きベージュのカーディガンを羽織っている染子がようやく玄関から出て来た。


 大人びた革のカバンも持ち出かける際によく使っているショートブーツも穿いている。


 「染子、よく似合っていて可愛い」


 シャーマンの首輪を犬小屋の鎖に繋ぎ、リードも元の場所へ片付けて知努は見つめながらすぐ歩み寄る。


 余程、知努の服装が色っぽく見えるのか、珍しく染子は恥ずかしそうに目線を逸らしている。


 「カゲねぇとキモウト知羽金色ワカメゲルまんじゅう顔ユーディット・ハッセをぶっ殺すから4日間くらいずっとその服装でいて欲しい」


 彼女の不謹慎な冗談を聞き流し、玄関に置いてあるボストンバッグを左手で持ち上げた。


 借りてきたDVDが入った黒い袋を持っている挙動不審な染子の父親は速足で玄関へ向かう。


 勘が鋭い彼の妻子の視線は軽蔑するように冷たかった。幼馴染の綺麗な服装で欲情している父親に染子は気持ち悪いと小さく罵る。


 「男なんて気持ち悪いくらいが健全だ。三中親子と二田部親子と櫻香は若い女子にチヤホヤされるからホント腹立つ」


 中年男性の悲痛な本音を無視し、知努は染子と手を繋いだ。その様子も彼女の母親が撮影する。


 「チー坊、これから先、辛い事もたくさんあるかもしれないけど染子を支えてあげて」


 「こんなか弱くて情けない男だけど染子をしっかり守りますよ」


 普段着ない様な格好をしている彼のせいか、通行人の視線をよく集めてしまう。そして、男女問わずよくスマートフォンで撮られる。


 隣を歩いている染子は少し不服そうな表情になりながら知努の腕へ密着していた。昔から写真撮影が苦手な性格だ。


 「こうして2人きりになる時間は久しぶりだからたくさん楽しまないわ。花より団子だけど」


 宙を舞っている桜の花びらより知努の方がずっと綺麗と染子はいきなり口説くような台詞を吐く。


 数分かけて訪れた場所にまだ花が残っている数本の桜の木を見つける。幸い他の花見客は訪れていない。


 気分が悪くなったのか、染子は急に座り込んだ。心配そうな顔で知努は背中をさすり、靴擦れを起こしたと聞かされる。


 すぐボストンバックから行楽用アルミシートを取り出し、床へ広げた。あまり彼女はブーツに穿き慣れていないようだ。


 「女子とどこか出かけた時の定番がまさか起こるとは」


 アルミシートへ座らせてから知努が靴と靴下を脱がせようとして、何か勘違いされた彼女に蹴り飛ばされる。


 「靴擦れした部分を消毒しようと思ったのに蹴るなんてひどくない?」


 起き上がった彼は、スプレータイプの消毒剤を出してから靴擦れしている箇所へ吹きかけた。


 少し拗ねている知努を慰めるように染子は抱き締めて、順風満帆といかない2人の花見が始まる。

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