第26話乾いた休日中編
流行りの青春ドラマが好きそうな金髪の男は、恋愛成就の大きな岐路に立っていると勘違いしているかもしれない。
いつの間にか知努は、名前すら知らない男が脚本を手掛けた退屈な物語の引き立て役となっている。
「俺は鶴飛を心の底から愛する覚悟があるからお前のようなオカマ野郎と違う」
二番煎じの心に響かない言葉で茶髪の男は、彼の心を揺さぶろうとしていた。しかし、他人事のように知努が拍手する。
小学校、中学校の9年間でこの耳障りの良い言葉に何人かの女子が引っ掛かったから茶髪の男は使っていそうだ。
呆れた表情を見せながら知努は、背負っていたリュックサックを隣の椅子へ置いた。
茶髪の男と染子が付き合えるかどうかは、彼女の選択に託されている。いくら知努という邪魔者を排除したところで何も変わらない。
休日の貴重な時間をこれ以上、浪費されたくない彼は、彼女が告白の返事を出したかどうか訊いた。
「いや、何も答えて貰えなかったがアレは後日オーケーするつもりだぞ。だからもう俺の彼女に指1本触れるな」
「その代わり5000円払うなら俺のしゃぶらせてやるよ」
中学時代の受けたいじめを思い出し気づけば右手で皿に載ってあるチョコレートケーキを掴み食べていた。
しきりにカウンターの方から知努の顔ばかり見ていた白木夏鈴が何か察して駆け寄る。
居酒屋で殴られた意趣返しとばかりに目が据わっている彼は顎を殴り付けてから持っているフォークを奪い取った。
「あ? 喉潰してやるからもう一回言ってみろ」
フォークを茶髪の男の喉を目掛け突き刺そうとして夏鈴に制止させられる。あと数ミリで喉仏に突き刺さる距離まで近づいていた。
喉を潰されかけた男の脳内は恐怖で埋め尽くされている。手足が震え声も出ないため、逃げる事しか出来なかった。
先程の威勢を失い、茶髪の男は洋菓子専門店から出て行く。この店に彼の味方が誰もいなかった。
数分後、机の上へショートケーキ、チョコレートケーキ、モンブランを載せた皿とフォークを用意し、夏鈴が知努と向かい合わせに座る。
小さな声で謝罪する彼の頭を撫で、夏鈴が昨夜から今朝にかけて千景とどのように過ごしたかを訊いた。
嘘偽りなく、知努はモンブランを食べながら彼女に一通り語っていく。感情が抑えきれなくなり、話し終えると涙を零してしまう。
「危なかったよ、明らかにカゲねぇがチー坊を殺そうとしていたね。蹴ったりお腹踏んだりは良くないけど、誰でも動揺するよ」
長年、蓄積してきた感情と独占欲がそのような行動に至らせた事は知努も分かっていた。
愛する人を殺してしまえば誰からも奪われないという歪んだ慕情が今日ありふれている。しかし、まだ彼は死にたくなかった。
たとえ暴力を振るわれたり、殺されかけたとしても今まで通り知努が千景のそばで居続ける。
「千景に殺されかけたと知ったら染子、何するか不安だな」
彼は誕生日に幸利から貰ったダマスカス包丁で染子が暗殺を企てそうな予感がしていた。
だが、殺人する程、最近の彼女は元気そうに見えないため、杞憂だった。そのような事を考えているとリュックサックへ入れていた知努のスマートフォンが鳴る。
急いで取り出すと画面に鶴飛染子の名前が表示されていた。殺害予告でない事を彼願いながら通話する。
『カゲねぇがブラコンキモウトに擂り粉木で殴られているわ』
「あのバカタレ何やってんだよ」
彼女に場所を訊こうと思った矢先、片足を引きずりながら千景が入店し、知羽に後ろから尻を蹴られた。
「お兄ちゃんに最期を看取られる私の夢を奪わないで!」
兄に対する反抗期が終わってから自らのうちに秘めていた想いを曝け出している。
よろけながら倒れた後も彼女は横腹を何度も蹴り、追い打ちをかけていた。
千景の手足が擂り粉木で殴られたせいか、痣だらけだ。
すぐ通話していた染子も現れ、知努はスマートフォンをスリープモードにしてから倒れている知羽の元へ行く。
「いいけど、しっかりおばあちゃんになるくらいまでは生きてくれよ」
彼に抱き締められた事で知羽が蹴っていた足を止め、泣き出してしまう。怒られると思ったのか、染子は慌てて弁解した。
メッセージで千景から事の顛末を訊いて、染子が滞在していた三中の家へ呼び出し、説教していた様子を知羽に聞かれる。
激昂した彼女が台所から擂り粉木を持ち出し、怯えた千景は殴られながら逃げ出した。
「たまにウザいなと思う時もあるけど、知羽は手放したくないくらい愛している」
「嬉しい。今すぐぼっ千景とク染子が心臓発作でお亡くなりにならないかな」
暴言を吐きながら再会した兄の背中へ両手を回し、口づけをせがむ。しかし、染子が無理やり引き剥がそうとして妨害される。
なかなか離れない事に苛立った彼女が何度も知羽の後頭部と知努の腕を殴った。今朝からよく彼は痛めつけられている。
しばらくし、知努のなけなしの所持金を使い、3人が好きなケーキを注文してやや切迫した空気の中、喫茶スペースで食べていた。
女子の世界は殺伐な雰囲気が漂っている事を実感しながら彼は食べかけのモンブランを味わっている。
対面の席は千景と夏鈴が座り、知努の隣に染子は座っていた。横の位置から知羽が向けてくる視線に気づき、夏鈴は苦笑いを浮かべる。
「あーん」
彼が対面の千景へフォークに刺したモンブランを運び食べさせる。擂り粉木で痛めつけるや躾けるなど物騒な言葉も耳へ入ってきた。
ショートケーキを食べ終えた知羽が兄の膝を占拠し、優越感に浸っている。幼馴染に何されるか不安の彼は落ち着けない。
「後は4人でゆっくり楽しんでいたらいいよ」
逃げるように夏鈴はカウンターへ戻っていき、仲裁役がいなくなる。しばらく知努は無言のままモンブランを食べていた。
同性から羨ましがられる女子に囲まれた空間は、嵐の前の静けさのような不穏しか感じられない。
三中兄妹を睨みつけながら染子が知努の脛ばかり蹴っていき、知努の悲鳴が店内へ広がる。
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