編集済
知努というキャラクターを描こうとする努力は伝わってきますが、地の文の視点が定まっていなくて、一体誰のことを描写しているのか分かりづらいのがつらい。
一話からどんどんエスカレートしてきて読みづらさもエスカレートしてきているのがますますつらい。
知努がなぜか父親からキスされてすぐに堕ちているのが、これまた意味不明。父親を性的に求めるような描写、これまでにありましたっけ。
応援したい気持ちはやまやまですが、ちょっと読み続けるのがむずかしい。
とくに天狗のうんちくが出てくるあたりの視点がぐちゃぐちゃで、最高に意味不明。
「どうして、好きな人はみんな、僕から離れて行っちゃうの。あんまりだよ!」
このセリフも、台詞単体ならば何が言いたいのかはすごくわかるんだけど、唐突過ぎて(前とつながらなくて)、何度も読み返したけど意味が分からない。誰のセリフ?
そんなわけで、読みづら過ぎる点で困りました。言葉も、「調べたんだろうけれど微妙に使い方が違う、もしくは違和感がある」チョイスが多い点も読みづらくて苦しい。
個人的には不思議なキャラクター自体は魅力があって応援したいので、もう少し読んでみたいと思いますが、今後、これらが改善していることを願います。
■■■追記■■■
お返事、ありがとうございます。
件の表現に関してですが、このあたり、誰が何を、という描写がなく、たしかに知努しかないとはわかるのですが、この直前に母親が乱入してきたことで視点が入り乱れ、挙句、台詞のあとに
『乱暴に髪から手を離された彼は、年甲斐もなく、号泣しながら顔を両手で覆っていた。』
と、主体者の変更を明示することなく表現されているため、混乱するのです。
この「主体者を明示しないで視点(焦点)を乱雑に切り替えることが多いばかりか、話が進むほどその傾向が加速するので、誰が何をしているのかが大変分かりづらいのです。
誰がどうした、それが分かりやすいと、より読みやすくなると思った次第です。
お返事、ありがとうございました。
作者からの返信
感想ありがとうございます。
確かに視点が定まっていないかもしれませんね。
それはありません。しかし、三中忠文(知努の父親)はこの2週間前に『僕に愛されているかよりetc』と言った事から知努が愛しているかどうかを訊いてます。
反抗期だから素直に好きという気持ちを伝えられないから、相手の気持ちを訊き出すという手段に出ています。
『まことに小さな国が、開化期を迎えようとしていた』
これは登場人物の視点でもなく、作者の司馬遼太郎が読者に伝えようとしている言葉です。
天狗の蘊蓄云々の話ですが、もしこれを知努の視点にすると(『平家物語』にも登場する山伏の格好をし、赤い顔や長い鼻が特徴的な妖怪だ。子供が行方不明になる神隠しの一種が天狗攫いと呼ばれている)
これが一人称の小説ならいいのですが、3人称だとジョジョのスピードワゴンのような説明心情みたいになります。
読者に提供しなければいけない情報は映画やドラマでいうところのナレーションの役割です。『世界の果てまで行ってQ』なら立木文彦さんの役割です。
「どうして、好きな人はみんな、僕から離れて行っちゃうの。あんまりだよ!」
乱暴に髪から手を離された彼は、年甲斐もなく、号泣しながら顔を両手で覆っていた。
このセリフは次の文章で三中忠文のセリフと分かります。髪を掴まれていたのは彼しかいません。
私は一向に構わんッッッ!!!
テクニックさえあれば、男でも関係ないね!
作者からの返信
あはは、そうかもしれませんね(笑)