第4話天狗の寵愛



 放課後を迎え、春らしい陽気に当たりながら、知努は自宅の玄関に入った。並べられている靴の数からまだ中学1年生の妹は、帰って来ていないと分かる。


 もし、帰っていても妹はすぐ自室に行くか、居間で再放送していたテレビドラマを観るかしていた。数年以上、挨拶など交わしていない。


 知努は中学2年生辺りから反抗期を迎えていたが、早熟な女子である彼の妹は、それ以前に始まっていた。


 彼の妹が小学校高学年へ差し掛かった時期、唐突に汚れた父親と兄の衣類を分けて洗濯して欲しいと文句を言い出す。


 思春期の子供は忙しい大人の都合など、関係無く居間を戦場へ変えた。夜泣きする赤子と同じだ。


 染子を彷彿とさせる仏頂面で、反抗期疑惑の娘へ言い返した彼の言葉が知努は今も忘れられない。


 『え? なんだって? はお仕事で疲れているからマミーに言ってよ』


 娘に嫌われる事へ関心を持っていないと分かる態度が、余程堪えたらしく、それ以来、彼女の文句が途絶える。


 娘に無関心な父親が、養育費を稼ぐだけの機械と変わらない。いつも家庭より仕事の事ばかり考えているようだ。


 妹と同じく、知努も誰かに台本を渡されたようなありきたりな反抗期特有の暴言で、酔っていた父親へ挑発した事がある。


 もうすぐ息子が反抗期に入る頃合と予想されていたのか、淀み無く彼の父親は話を畳みかけた。


 『僕に愛されているかどうかなんて些細な問題だよ』


 養育放棄じみた父親の態度に知努が、情けなく感じた。もしかすれば三中家の教育が代々そうだったのかもしれない。


 息子の簡単な質問にすら答えられない男は、父親の資格が無いと彼が考える。頭に血が昇った知努は、父親の頬を力強く殴り付けてしまい、そこから居間で親子喧嘩に発展した。


 『キモいんだよ、ホモ野郎! 俺が愛してるって言ったら喜んで〇んこしゃぶんのか!? どうなんだよ!?』


 豹変した彼の父親が喧嘩の最中、何故か穿いている寝間着のズボンを脱ごうとした事で知努は部屋から逃げ出し、決して部外者に知られたくない最低な幕引きを迎える。


 順調に反抗期を終えた知努と父親の親子関係は、全く改善されなかった。何故なら父親の人間性が異常だからだ。親子喧嘩の2週間後、父の日に印象的な出来事が起きる。



 湯上がりの彼は冷凍庫に入っていたアイスクリームを食べる為、居間へ入った。そこに情緒的ネグレクトを繰り返している父親が、椅子へ座っていた。彼と関わりたくない知努は無視する。


 自発的に話さなければ無視する関係の為、罪悪感は微塵も感じない。冷蔵庫の前へ進み、椅子を引く音が聞こえ、居辛くなった父親は、居間から出ると予想する。


 しかし、その予想に反して背後へ近づいていた彼の父親は、知努の腹部へ両手を回して抱き寄せた。行動の意図が分からず、どのような行動を取るべきか彼は悩む。


 「パパの日にプレゼントをくれなかった悪い子の知努くんだ。とても良い匂いがする」


 髪に鼻を近づけられると恐怖のあまり、知努の両足が震え出す。ここに助けてくれる人間はいない。


 仄かに香るシャンプーの匂いを嗅いでいる行動からよからぬ考えがある事は、理解してしまった。


 「ちょっと、特別公務員さん!? やめてください!」


 「染子みたいな呼び方しない。僕は三中知努を愛しているから抱きたいよ!」


 飲酒していないにも拘らず、これほど恥ずかしい言葉が言える彼の想いは真剣のようだ。


 少し戸惑いながらも知努は振り向き、抱擁している父親の顔を見る。彼と同じく中性的でとても中年に見えない若々しい顔立ちだ。


 髪形はベージュのリボンで束ねた後ろ髪を垂らしており、どこと無く色気を感じさせられる。若い頃、異性から注目されていそうだ。


 愛している息子に殴られて辛かった心情を想像して、彼は父の日だけ慰める事を決めた。


 息子の髪に欲情している彼の父親は我慢出来なくなったのか、耳たぶに口付けし、縁へ舌を這わせる。


 「や、優しくするなら親父がしたい事をさせてあげる」


 少し肩を内側へ竦めながら、人生で1度も言わないと思っていた煽情的な台詞を吐いてしまい、知努の顔が熱くなる。肩を竦めている背中は、か弱い女の子らしさが出ると幼少期に母親から教わった。


 珍しく笑みを浮かべている父親が抱いたまま、椅子の方へ引き下がる。そして、座ってから彼の膝へ知努は座らされた。


 父親は対面に向けさせて、お互い無言で見つめ合う。キシリトールの匂いが漂い、あらかじめ計画していたと察した。


 目を閉じて2人の唇は重なり、熱い吐息と時計の針が動く音しか聞こえなくなる。突然、両手の指を絡めながらこちらへ手繰り寄せると、父親は舌を侵入させ。動かした。何か、知努の大事な物が奪われてしまった感覚に悶える。


 相手の気持ちを萎えさせないように知努は、拙い動きで舌を搦め取り、両手も押さえつけた。


 時計の細い針は何周も円を描き、理性が崩れている2人はただ動物の如く求め合っている。


硬口蓋こうこうがい を父親からなぞるように舐められ、心地良さのあまり、知努が脱力してすっかり篭絡させられていた。


 膝から落ちないように両足はしっかりと嫌いだった父親の腰に回している。胸の高まりが止まらなくなっていた。


 しかし、時間の流れを勝手な都合で遅く出来る訳も無く、終わりは唐突にやって来た。ゆっくりと居間の扉が開く。三中知努の母親に当たる寝間着を着た長い髪の女性だった。不自然に笑みが浮かんでいる。


 「ちー息子ちゃん、たーちゃん、とっても仲良しみたいだね」


 聞き覚えのある女性の声が聞こえ、急いで2人は唇を離す。あまりこの状況は芳しくない。特に彼の父親は息子を情欲の捌け口として扱ってしまった。妻の考え1つで親権や慰謝料も取られる。


 彼女の顔からすぐ笑顔が消えた。右拳は硬く握られており、平和的な結末が望めない。


 「この家に巣食っている妖怪、を、退治しに参りました」


 亭主の弁解する余地すら与えず、彼女は張り詰めた声の拝み屋を演じる。山から下りて、美少年を攫う妖怪である天狗と、亭主が同じ性癖の持ち主の為、妖怪呼ばわりしていた。


 長く垂れ下がっている後ろ髪を掴んで、2週間前、息子に殴られ痣が出来ていた天狗の頬を何度も殴る。


 乱暴に髪から手を離された彼は、年甲斐も無く、号泣しながら顔を両手で覆っていた。


 「どうして、愛しの知努くんは僕から逃げてしまうの。あんまりだよ!」


 「こんなに性的虐待受けたら嫌われるよ」


 最愛の息子を苦しめようとしている首尾貫徹、手段が汚い妖怪のような男だった。母親に手を引かれながら知努は2階へ上がっていき、ようやく気付く。父親から危険な位、愛されている。


 母親や妹の前で本性を出せば警戒されると思い、素っ気無い態度ばかり取っていたようだ。しかし、今まで通り、嫌っている体裁を保たなければ、容赦無く彼の情欲が向けられてしまう。


 武闘派拝み屋は鉄拳制裁だけで思春期の息子に欲情した妖怪を許さなかった。翌朝、階段を降りると廊下に変わり果てた父親がうつ伏せで投棄されていた。意識確認の為、加減して蹴る。


 寝ている間に大事な後ろ髪をハサミで切られた挙句、第3の心臓と呼べるリボンも奪われ、傷心中と語り出した。知努は、朝から生クリームが大量に載せられていたショートケーキを食べた様な胃もたれに襲われる。


 今時の未成年女子アイドルでも、長い髪とリボンがなければ生きていけないような振る舞いをしない。長年、彼が執着していた長い後ろ髪に天狗が憑いていると考え、拝み屋は彼から執着を切り離す。


 無事、天狗が消滅し、彼は人間へ戻るも昨夜より息子の生理的嫌悪感が増した行動を取っている。


 「ああ王子様、王子様、どうかわたくしめの大事なリボンを取り返してくれませんか。ついでにも」


 童人形のような髪形になっている父親の戯言を無視して居間に入った。妹と母親が何食わぬ顔で食事している。


 昨夜、親子の不健全な戯れの現場となった椅子が空けられており、知努はバツの悪そうな顔になりながら座った。


 一家の大黒柱が座る席の前に今日の朝食らしきバナナと牛乳を置かれている。母親の怒りがひしひしと伝わった。合掌し焼き魚、味噌汁、白飯の朝食を食べるが、緊張のせいか全く味は感じない。

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