第3話気紛れ



 翌日、染子の怒りを買ってしまった知努は、刑務所から脱走した囚人のように警戒しながら過ごしている。登校した時は上履きに画鋲を仕込まれていないか、教室で使っている机が細工されていないかなど、確認した。


 まだ彼女の工作らしき痕跡を発見する事は出来ず、杞憂のようだ。しかし、このまま何事もなく終わると彼は考えられない。


 いつも早起きし、昼食の弁当を作っている知努が珍しく寝坊してしまう。そのせいで昼食は持って来ていない。


 廊下で染子と鉢合わせにならない為、食堂を使う予定を入れていなかった。普段、何を考えているか分からない女の怒りが、早く静まる事を彼は願っている。


 ふと、彼は周りを見渡すも、どこかしらで生徒に話し掛けられている友人の姿が見えなかった。


 一部生徒たちが集まって行うコンパの段取り合わせの為、不在中である事をすぐ思い出す。


 男性陣の目玉である慧沙の出席は決められており、対する女性陣の目玉が染子辺りだと予想している。寡黙な美人は、同席しているだけで場を盛り上げる事が出来る楽な役回りだ。


 とても趣味の読書へ向かう気力が湧かず、彼は、連絡手段にしか使っていないスマートフォンをカバンの中から出した。


 電源ボタンを押すと、母親からショートメッセージが届いた通知が画面に表示される。


 最近は、連絡する相手も彼女がほとんどだ。思春期を迎えている男子が頻繁に母親とやり取りしている事は、周囲からあまり良い目で見られない。


 新しい環境でまだ彼をからかいに来る人間は現れておらず、両親に見せられない侘しいながらも、平和な昼休みを送っていた。


 『そー染子ちゃんの誕生日プレゼントがまだ決まってないならお箸はどう!?』


 『ちー息子ちゃんがお箸をプレゼントしてくれたら喜んで貰えるとママ思うよ!?』


 まだ40歳になっていない、世間から見れば若い彼の母親は、いつも快活な人間だ。贈り物は、古くから何かしらの意味合いが込められている話を母親に聞いて、一通り彼は調べた。


 幸福祈願や長寿祈願の良い意味合いがある箸は安定の贈り物だ。毎日少なくとも2回使うので、いくつあっても困らない。慧沙が贈ろうと考えている下着は、支配欲や独占欲の意図を含んでいた。


 どのような贈り物をしたところで、彼女の反応は稀薄と予想している。関わりが薄い生徒達から見れば彼も大差無い人間だ。しかし、他ならぬ母親が決めてくれた贈り物を貰い、彼女に喜ばれる未来を望んでいた。


 数週間程、決めあぐねていた贈り物がようやく決まったところで前から見知った2人に声をかけられる。小学生の頃から付き合いがあるショートボブヘアーの友人である 旗崎里美はたさきさとみ と同じく友人の 白峰幸利しらみねゆきとしだった。


 知努と別の教室に所属しており、この顔ぶれで訪問してくる事は中学時代以来となる。異性から好意を寄せられている慧沙や自由に生きている寡黙の染子と違い、明るく社交的だ。


 休み時間に教室で新しく作った友人たちと、最近見ているドラマや好きなアイドルの話をしている。知努と同じくあまり女子から話し掛けられる事が無い幸利は、薄い顔立ちだった。


 「知努は染子の誕プレ何にするか決まったか? 俺は包丁にしようかなって思ってんだよ」

 

 「染子も料理するだろうけど、誕生日プレゼントで刃物って物騒だよ」


 聞かされた里美の反応が芳しくない為、もしかすれば気難しい染子は貰えば、機嫌を損ねるかもしれない。


 先程、母親の助言で贈り物を決めた知努は早速、2人に教えた。予想通り、貰って喜ばれるという評価が出る。


 里美が選んだ贈り物は、毎朝の洗顔で自身も重宝している髪留め用のスモールピンと伝えた。クリップ式のヘアピンは安物は耐久性に難ありで、ある日、突然折れてしまったという経験談も語る。


 装飾品は余程、心を許し合っている関係性で無ければ異性が贈れない。知努や幸利に出来ない選択だ。


 普段から髪に装飾品を着けない染子が、黒いスモールピンで前髪を留めて、洗顔している様子は彼の脳裏へ思い浮かんだ。


 前髪で隠されていた額が露出する事によって、生じる妖艶な雰囲気と無防備な背中は、知努を惑わす。

 

 もし、実際に鶴飛家の洗面所でそのような染子を見てしまえば、恐らく後ろから抱き締めている。


 一生、軽蔑されてしまうと分かっていても、彼女はその危険を冒したくなる程、魅力が溢れていた。


 早朝の鶴飛家に知努がいる状況は、そこへ宿泊しなければ実現しない事を思い出してしまう。


 それだけでは無く、染子が知努に気を許しているという最難関な課題も待ち構えていた。


 逆に彼が彼女に気を許してしまえば、弄ばれた後、容赦無く棄てられる。鶴飛家の一員となっているロットワイラーにすら、彼女の残酷な本性は見抜かれていた。


「ヘアピンを着けている染子って絶対かわいいんだよな。見ているだけでドキドキする」


 妄想に没頭するあまり、聞かせたくない本音を口から出してしまったと気づくも手遅れだ。幼馴染で妄想していた事を知った2人は、からかうように笑顔が浮かんでいる。


 「今度、染子にヘアピン着けて欲しいと頼んであげるけど、もしあたしので良ければ明日見せてあげよっか?」


 「あいつに気を許したくない! あの、ところで里美さん? 俺をヘアピン大好きの奴と思っていません?」


 「思っているよ。まあヘアピン付けた女の子かわいいからその気持ち分かるよ」


 異性の幼馴染から嫌悪感を示されないだけ、喜ぶべきかもしれないが、あまり知努は釈然としなかった。


 誕生日の贈り物の話題をするという目的が果たされた2人は軽く挨拶し、教室へ戻る。髪留めである女子の事を連想する彼は、スマートフォンを手に取った。


 『ケーキくん、そろそろ僕のヘアピン返してくれませんかねぇ』


 数年近く、髪留めを貸したまま返していない女子にメッセージを送る。しばらくし、彼女から返信されるも姑息な手段を使っていた。


 『ヘアピンは女の子のマストアイテムだニャン』


 目を細めている白猫の写真をメッセージと共に添付していた。この猫の名前はヨリコだ。攻撃性が高く、彼はせがまれていつも抱き上げると、前足の肉球で何度も頬を叩かれる。


 「可愛いヨリコを武器に使うな」


 動物の写真で懐柔されてしまう彼は相当他人に甘かった。ヘアピンが戻ってくる日が遠のいてしまう。段取り合わせから戻った慧沙に話し掛けられ、知努が急いでスマートフォンの画面を消す。

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