第2話傲慢の折檻
知努の喉元に向けられている生気が感じられない視線は、一種の凶器だ。男子より女子の方が腕力や身長など優れていた小学校低学年頃と違い、取っ組み合いで知努は染子に勝てる。
武道を修めていたり、運動に優れていたりしない女子高校生に負ける程、知努は虚弱体質で無い。
女子のような細い指をしている彼の握力は少なくとも30㎏以上ある。そして、拳に大きなタコも付いていた。
しかし、同じくガラス細工のような細い指や、程良い肉付きがある彼女の脚に油断すれば後悔するだろう。
辱を果たす為なら、どのような手段も
顔を殴られなかっただけ、まだ戯れ合いの
怪我をしないように手加減している辺り、それ程、怒っていない事が分かる。彼の頭痛はもうじき治まるはずだ。
口より手の方が先に出る、じゃじゃ馬な女子と付き合う人間の事を知努は想像した。
恋愛をする事で染子が淑やかにならない為、年中振り回されて時折、泣かされるだろう。彼女の性格は父親譲りだ。
謝罪された染子は知努の頬から手を離し、机の端に座る。突然の出来事で呆然としていた慧沙がようやく友人の心配を始め、彼女の注意は彼に向く。
「いきなりバストサイズとヒップサイズを知りたがるなんて嫌がらせかしら?」
「ううん違うよ。知努ちゃんは染子の事が大好きなんだよ。好きな人のスリーサイズを知りたいものだよ」
膝の上で絡めていた左右の指を、小刻みに動かしている慧沙が告げて、知努は見開いた。誰にでも、分け隔てなく接しそうな外見をしている慧沙の性格は、相当悪い。
近所の洋菓子専門店で働いている女性や幼馴染の女子に、知努が好意を持っていると伝えた過去もある。
面白半分で巻き込んだ2人が寛容な相手だったので、知努は許されてきた。顔見知り以外にされると恐らく軽蔑される。
突発的に見えて、どこかいたずらの計画をしっかり練っている節があり、取り返しの付かない失敗はしていない。
幼稚園の頃から今まで慧沙しか知努に親友と呼べる存在がおらず、長年、依存している。どれだけ悪質な嫌がらせをされても耐えるしかなかった。
毎朝、鏡を見て、自己嫌悪に至らない慧沙の顔立ちで、多くの女子は勘違いしている。決して無垢な青年呼べない。
安全圏で遊び甲斐のある2人に幾度も悪戯を仕掛けている。無論、知努の恋愛が成就しない事は想定されていた。
受験を控える中学3年生の頃はともかく、2人はそれまで顔を合わせば口論ばかりしている。近くで見ていた慧沙がその事情を考え、悪戯を決行した。
染子に弁解しなければ友人の縁を切られるかもしれないが、知努は切り抜けられそうな言葉が見つからない。
込み上げてくる不安は実体は無いにも拘らず、喉と胸を締め上げている。すぐそばで座っている彼女の顔を見られない。
知努をからかう為に慧沙が言った嘘と分かっていれば笑い話で済む。だが、楽観的な考えは不安を払拭し無かった。
間接的な告白を受けた斜め前の彼女がどの様な行動に出るか、全く予想出来ない。最悪の場合はこれから2発目の頭突きが待っている。
幸い、上履きを隠されたり、出会い頭に膝蹴りされる辛い日々は、別の友人へ頼めば無くして貰えるはずだ。
今日の数時間だけで染子の心情は悪化していた。最近、ほとんど関わっていない相手だけに汚名返上が難しそうだ。
数分後、頭蓋骨のどこかに亀裂が入っていそうな痛みは少し引く。厄介な相手がいなくなるまで男子トイレに籠る考えを思いつき、知努は席から立とうとした。
しかし、左手首を下へ引っ張られる感覚が急に襲い掛かり、逃げられない。心当たりは1つしか無かった。染子の指が食いつくように手首を捕まえており、どうやら途中退席は許して貰えないようだ。
暴力を振るわれないと見くびられている事に対して、胸の底から嫌悪感が沸いた。気づけば、知努は硬く拳を握り締めている。飼い犬のような認識を持たれていた彼女に、好意を知られる事が耐えられない。
「何か言う事はないのかしら」
顔だけ知努の方へ向けて、被告人質疑する検察官のように淡泊な表情だった。引っ込み思案で退屈な男と彼は自覚しているが、やはり腹立たしく感じる。
せめてもの情けとして、いくらか罵倒でも受けなければ笑いへ昇華し、穏便に済ませられない。彼女と目線が合わせられないまま、答える。
「失せろ、このダボ女が。カマキリとバッタから生まれたような
「あっごめん、ちょっと言い過ぎた。とにかく俺はお前に恋愛感情なんて持っていない」
異性を罵倒する経験が浅く、洋画の様な誇張した言葉となってしまった。並の女子ならしばらく落ち込むはずだ。
傍若無人の染子は急に鋭く睨み付け、手首から手を離して、知努の頬へ持って行く。次の動作が誰も予想出来ない。
透明の障壁が立てられているような空間に、茶々を入れる余裕すら無い慧沙は、傍観者として見守っていた。
スカートの生地が擦れる小さな音を立てながら詰め寄り、見下げている。知努は驚きのあまり、瞬きすら忘れていた。
家族以外に久しく密接距離を許していない。どぎまぎしてしまい、すぐ赤面してしまうからだ。屈んでから知努の耳元へ近づけ、耳の縁に甘噛みする。不思議と羞恥を紛らわせる痛みが湧かず、歯痒くなった。
知努の心情が耳と頬に表れ、染子に悟られてしまう。せめてもの意趣返しとして転ばせない力加減で彼女の腹を軽く押す。すると彼の手首を捉え、スカートの中に引き込んだ。
温かく、弾力がある色白の太腿を触らされて、知努の隠されていた鬱屈が剥き出し、周りから見えない様に彼女の首筋を甘噛みする。怒りが一瞬で消えた。
「私に反抗期みたいな態度をとるなんて絶対許さない。むっつりドスケベの遺伝子を貰わないと腹の虫が治まらないわ。後、絶対虐める」
「は? 俺の遺伝子でクローントルーパーでも作んの?」
知努の耳に息を吹きかけて、離れた彼女は自らの教室へ戻る。遠回しに既成事実を設けると脅迫していた。染子が身籠り、堕胎する恐ろしい未来は、誰も喜ばない。そして、三中知努の尊厳に関わる。
幼少期に彼は染子と裸体を見せ合ったり、接吻したりさせられた。彼女が両親の情事でも見て、真似したかったのかもしれない。興味本位で注目していた生徒達は男女問わず、どこと無く知努を妬むように睨んでいる。
「まさか染子が気持ち悪いと言って終わらなかったとはね。それに僕、見ていてちょっとドキドキしたな」
隣の襖で遮られている様な空間がようやく公共の場所へ戻り、口を開いた慧沙は苦笑していた。
「ドキドキしたな、じゃない。あいつ、とんでもない事をやらかすつもりだぞ」
助け舟を出さず気楽に眺めていた友人は、いつも通り楽しいイタズラと思っている。昼休憩の終了を告げる予鈴が鳴り、生徒達が学生の本分である勉学へ戻った。
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